目次
サンバーバンがベビーベッド
EN07型エンジンは子守唄
オンボロサンバーは楽しかった。……と、テキトーに書いてみた。実は我が自動車史上初のサンバーのことは、ほとんど覚えていない。「家族とモトクロッサーを載せる」という積載性だけを望んでMR2(AW11)から買い替えたわけだが、本当にモトクロッサーを積んだかどうかもアヤシイ。何しろ30年近く前のことだ。朝食すらろくに覚えていないオレが、思い出せるはずもない。
唯一覚えているのは、1995年12月に生まれた長男の寝付きがとにかく悪く、ようやく寝たと思ったら微かな物音でもすぐに「フンニィ、フンニィ」と泣き出すので困り果てていたところ、サンバーに乗せると泣き止んでよく寝るということに気付き、以来、夜な夜なサンバーに乳飲み子およびカミさんを乗せて走り回ったことだ。
ミッフィーのイラストをプリントアウトし、後部座席の天井に貼り付けた。長男がボケーッとそれを眺めているうちに眠気が強まる、という超簡易版ベッドメリー的システムである。もっとも、セロテープでテキトーに貼ったので、ビニール的素材のサンバーの内装とは親和性が低く、すぐに剥がれる困りものではあった。
後になって感じるサンバーの優れた乗り味
当時は、サンバーの乗り味などまったく意識していなかった。しかし恐ろしいことに、ミッドシップスポーツカーであるMR2からの乗り換えに、さほどの違和感を感じていなかった。後々、サンバーのあまりに優れたハンドリングに気付かされるわけだが、この頃はそんなこととは露知らず、「特に問題ねえなあ」程度の認識でしかなかった。愚かだったのである。
ああ、オレは本当に愚かだった。今なら「サンバーこそ我が国の軽自動車史上最高にちゃんとした車である!」と胸を張って叫ぶところだが、当時はそれほどサンバーに思い入れはなかったのだ。何しろMR2から乗り換えた時には「なんだこの豆腐みたいな白い物体は」と、自虐的に冷笑していたほどなのだから。
というわけで、何の気なしに入手し、我が自動車史においてさほど強い印象を残したわけではない自分的初代サンバーだが、その後、六連星生活の道をまっしぐらに歩むにあたっては、大きな礎になってくれた。
ビニールシートはさすがにNG!
次期ファミリーカーを探して踏み込んだ謎の中古車屋
長男が成長するにつれ、夫婦間で「サンバーはいいけど、ビニールシートはどうなの?」みたいな話になった。特に薄着の夏場は汗をかくとペタペタと素肌にくっつき、およそ快適とは言えないシロモノだった。
その頃のオレは、友人が始めた小さな会社のたったひとりの社員だった。あまり覚えていないが、それまでよりは多少いい給料をもらっていたようにも思う。高橋家においては、「子供もズンズン大きくなっていくし、そろそろちゃんとしたクルマを買ってもいいんじゃないの?」という気運が高まっていた。
例によって電話帳並みの厚さの『カーセンサー』をバラバラとめくり──と書いて思ったが、令和5年の今では電話帳の例えも伝わらないんですね──、何の車を発見したのか忘れたが、その頃住んでいた所沢市から少し外れたところにあるスバル系中古車屋さんに行ってみることにした。
1996年の冬だったのではないかと思う。白い丸目サンバーでスバル系中古車屋さんに入って行くと、ドラム缶からは焚き火の炎が立ちのぼり、数人の男どもがすっげぇヒマそうにキャッチボールしていた。ちゃんとグローブを使っていたから、軟式ボールだったと思う。
「スパーン! スパーン!(キャッチボールの音)」「バチッ、バチバチッ、バチッ(焚き火のはぜる音)」。……なんだここは、と思った。本当に中古車屋さんなのだろう。何かとんでもないところに足を踏み入れてしまった気がした。広い場内には確かにスバル車がたくさん並んでいるのだが、フツーそんな所でキャッチボールするか……?
恐る恐るサンバーを止めて車外に出ると、キャッチボーラーのひとりに「小山田の友達ぃ?」と声をかけられた。このひとことは、今も鮮明に覚えている。オレはひぃっと息を飲んだ。え? なになに? 誰だよ小山田なんて知らねえよ。だいたいオレ初めてここに来るんだよ? どう答えればいいんだ? なにこれ? なんなの? なんかの合い言葉なの? 返答を間違えたら、オレ身ぐるみ剥がされて殺されちゃうの……?
いや、誰だってそうだろう。まったく初めての中古車屋さんに足を踏み入れたら、店員さんと思しき人々が焚き火を囲んでキャッチボールしてて、いきなりまったく知らない人物の友達と間違えられるのである。そりゃ息を飲むというものだ。ちなみに「小山田」は完全に仮名である。
「小山田の友達ぃ?」と言われて数秒間は茫然としてしまったが、我に返って「……あ、いえ、違います……」と小声で言うと、店員さんらしき人は「あ、お客さんでしたかスイマセン! サンバーに乗って来たから小山田の友達かと思った」と、特に悪びれる様子でもなく朗らかだった。 後で聞いたところによると、サンバーにモータースポーツっぽいステッカーを貼っていたので、レーシングカートをやっている小山田さんの友達だと勘違いした、とのことだった。
いずれにしても、オレはすっかり楽しくなっていた。「ワケが分からねえぜスバル!」と、実に愉快な気分だったのだ。オレとしては、バリッとスーツを着たイケメンが「っしゃいませぇ」なんて出迎えてくれるより、焚き火とキャッチボールとワケの分からない勘違いの方がよほど面白かった。なんというか原始的で力強いクルマ愛が感じられたのである。
キャッチボールをしていたのはサービススタッフだったようで、オレはほどなくしてセールス担当の小山田さんと対面することができた。やっぱりまったく知らない人だ。しかし、小山田さんはガチのレーシングカートドライバーだった。一方のオレも学生時代にちょこっとカートをやっていたり、四輪レース誌の編集をしていたことで、共通の知り合いもいて、人見知りなオレとしては異例なほどすぐに打ち解けることができた。
その場では商談ということもなく、カートの話をしたり何だかんだで盛り上がるだけだった。オレはすっかりこのスバル系中古車屋さんが気に入った。「もし『ちゃんとした車』を買うなら、ここにしよう」と心に決めて、店を後にした。
小山田さんの言う「おもしろいインプレッサ」とは?
ほんの数日後だと思う。小山田さんから電話があった。「面白いインプレッサが出たんだけど、見に来ない?」。面白いインプレッサ……? なんだそれ? 見に行くに決まってんじゃん。
オレのモータースポーツ趣味はオン/オフ問わずだったので、WRC──世界ラリー選手権のことも、そこでインプレッサが活躍していることも知っていた。だが、自分にはほど遠い、夢の乗り物だと思っていた。なんならランボルギーニやフェラーリなんかよりも、オレにとってはスーパーカーだったのだ。
だから電話の向こうから「インプレッサ」という言葉が聞こえてきても、それが自分の車になるかも、というイメージはまったくなかった。「なんかよく分かんないけど、面白そうだから行ってみっか」ぐらいの軽い気持ちだった。