目次
■昔の自動車雑誌は熱かった
●すべてが手作業だった雑誌づくり
私は2020年3月まで、主にむかしの自動車を採り上げる「モーターファン・アーカイブ」編集部に在籍していた。職業柄というか、部署柄というか、本を作るのが本業なのに、そのために過去のことを調べることのほうがメイン業務のようになっており、他の編集部に比べ、古いカタログや資料のほか、弊社「モーターファン」誌のバックナンバーを手にする機会が自然と多くなっていた。
過去モーターファンを手にし、見るにつけ思ったのは、昔の自動車誌は熱いということだ。
熱い! 実に熱い!
もちろん火にかけたヤカンの話ではなく、本の中身のことである。
自動車技術がまだおぼつかない時代、「自動車とはこういうもの」「自動車とはかくあるべし」たる観点で自動車を見つめているほか、自動車にまつわる周辺の事柄についても語るなど、とにかく熱量豊かなものだったと思う。
そしてこれら記事を買うひと(読者)がいたからこのスタンスが成り立っていたわけで、当時は作り手も読み手も社会性があったのだと実感させられる。
そう、時期でいえば1960年代から1970年代中盤にかけての頃だろうか。
ついでにいうと、「よくまあこれだけのページ数を毎月作っていたものヨ」と思うほど「厚い」ものでもあった。最盛期は500ページ超! 当時のこったから当然、文章はパソコンどころかワープロでもない、原稿用紙への手書きだ。コピー機にFAX、ネット通信だのサーバーだの、思いつきもしない時代だったのは百も承知だが、毎月毎月これだけのページを手作業で作り上げていたのだから何とも頭が下がる思いだ。
●地図時代からあった、「自分の位置を知りたい」という願望を自作で実現
・・・前置きが長くなった。モーターファン・アーカイブのときに見つけ、「いつかどこかでお披露目したい」と思っていたページをお見せするのが今回のねらいだ。
まずは、ナビ時代のいまでは手にすることが少なくなった道路地図の話から始めよう。
昔はクルマに道路地図帳を積んであるのが普通だった。クルマで見知らぬ地へ向かうときには下調べのために、道に迷ったときには道路っ端にクルマを停めて道路地図帳を開いたもの。これがナビゲーションやスマートホンがない時代の常識だ。しかしハンドルを握りながら「現在走行中の場所を把握したい」という願いというか夢は昔からあったようだ。
そんなことは自動車メーカーとてとっくに承知で、その潜在ニーズにイチ早く応えたのがホンダだった。
「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター」である。
ホンダがこのシステムを世に公開したのは、いまから約43年前、1981(昭和56)年12月18日のこと。
セルロイドの透明シートに描いた地図を本体サイドから差し込み、自車位置を自分で(!)設定してから使う。クルマが動くとジャイロケーター画面上で自車を示す光のポイントが動くのだが、そのポイントが画面端に近づいたら地図シートを差し替える必要があった。
しかしである! そのときからさらに遡ること14年、1967(昭和42)年のモーターファン編集部、いや、正確には、当時のモーターファン執筆陣のうちのひとり、出射忠明さんが、「SCIENCE NOTE」のページで、「ムービー・マップ」と題し、「MOVIE MAP(現在位置標示装置)」を自作披露していたのだ!
●大公開! 昭和42年のナビゲーション
まずは写真をごらんいただきたい。
その姿たるや、いまのナビゲーションシステムの液晶モニターにそっくりでしょ?
掲載はモーターファン1967(昭和42)年6月号。
カラーページではないのが残念だが、ちょいと厚み(奥行き)のある筐体に地図がセットされ、裏側から自車を示すポイント照明が灯っている。筐体左に見える、アイスのpinoみたいなつまみは誤差調整用。
とにかくこれは昭和42年の写真なのである。
昭和42年といえば、初代カローラ発表に端を発して「モータリゼーション元年」と呼ばれた昭和41年の翌年。その頃にして、いまのナビゲーションシステムを予見したかのような形と機能を持つデバイスを、出射忠明さんは自分の腕1本で組み上げていたのだ。
クルマがどちらに方向を変えようと、向きは不変のままでいるジャイロとの差でクルマの方向を検出。その動きを伝える方位板と、スピードメーターから移動距離を取り出すケーブルを機械的に組み合わせ、自車の動きを示す地図裏のスポットライトを、移動するための透明の球体を動かす・・・これは何とも文章では表現しにくいので構造図をごらんいただきたい。
方向検出のしくみは初期のホンダナビゲーションシステムに似ている・・・というよりもホンダのほうが後だから、「エレクトロジャイロケータ」のほうが「MOVIE MAP」に似ているというべきだ。方向の検出元が、「MOVIE MAP」はほんとのジャイロ、対する「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」はガス式のジャイロという違いがあり、事実、ホンダがレジェンドで実現した初期のナビゲーションもガスジャイロを使っていた。
「方向変換の検出」のほか、地図表示をどうするかなど、出射さんの頭の中には構想段階から紆余曲折があったことが記事から読み取れるのだが、クルマがまだ高嶺の花の頃から30年も40年も後に広まるデバイスを先取りした(たったひとつだけを手作業で造ったものとはいえ)出射さんの先見性と腕には、ただただ脱帽せざるを得ない。
「MOVIE MAP」掲載はモーターファン1967年6月号、「エレクトロジャイロケータ」発表は1981年・・・ひょっとしたら、「エレクトロジャイロケータ」のしくみを発案したひとは、少年時代にこの「MOVIE MAP」を見ていたのではないか。その8~10年後にホンダに入り、この「MOVIE MAP」をベースに4~6年をかけて研究開発、晴れて1981年に「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」を発表。
そう考えると「14年」という年月に何だか合点がいく・・・そんな想像をしながら見るのも楽しい。
とまあ、昔のモーターファンには、いまの雑誌を見るのとはまた別の楽しみが潜んでいる。冒頭で述べた「熱さ」が見て取れる以外に、おおらかな時代だけに、「誰が見たんだ、こんなもん」「いまどきこんな特集しないだろ」といいたくなるページもけっこうある。
そのときの国内外のクルマのドアハンドルと、ドアを開けたところに見えるロックの写真をズラリと並べた、大々的な「ドアロックとドアハンドル」のタイトル特集など、「・・・・・。誰が見たんだ、こんなもん。」といいたくなってくる。
クルマに憧れていながら遠くから眺めるしかなく、本でしかクルマを知るしことができなかったひとが多かった時代だけに、このような特集でも成り立っていたのだと頭ではわかりはするものの、昔のモーターファン編集部のひとたちには申し訳ないが、いまや私の中では、昔のモーターファンを「よき時代の熱き自動車誌」と思っていると同時に、いまの目で見るとお笑い・・・あ、いや、エンターテイメントの側面もあると思っている。
というわけで、笑うか感心するかは別に、「おおっ!」と思うような昔のモーターファンのページを、時折みなさんにもお見せしようと考えている。4月29日に公開した「1954年に予想した25年後のクルマ」の記事もその一環なのでした。多くのひとが読んでくれたようで、読んでくださったみなさん、どうもありがとう。そしてどうぞお楽しみに。