7〜8リッターは当たり前? アメ車といえば大排気量V8エンジン!『MOONEYES Street Car Nationals』のマッスルカーを一気に見せます!!

今回で36回目を数える『MOONEYES Street Car Nationals(SCN)』にはアメリカ車を中心にHOTROD(ホットロッド)、LOW RIDER(ローライダー)、TRUCKIN’(トラッキン)、STREET VAN(ストリートバン)、などDOMESTIC&EROPIAN CUSTOM(ドメスティック&ヨーロピアンカスタム)など、さまざまなジャンルのカスタムマシンが集まってくる。その中でも人気を集めていたのが、1960~1970年代前半に相次いで登場し、人気を博した高出力・大排気量のV8エンジンを心臓に持つ、後輪駆動のアメリカ製2ドアクーペのMUSCLE CARだった。今回はそんなMUSCLE CARをSCNにエントリーしたマシンを中心に解説する。

世界中にファンを持つMUSCLE CAR
V8の心臓を持つアメリカン・ハイパフォーマンスカーの世界

本国アメリカではカスタムカルチャーのメインストリームにあるSTREET ROD(1949年までに製造された車両をベースに公道走行を前提に製作されたHOTROD)だが、ベース車の確保が難しく(多くの場合、アメリカからの並行輸入に頼ることになる)、製作するのに相応のコストと高い技術力が必要なことからここ日本ではややマニアックな存在となっている。それに対して、ハリウッド映画やTVゲームでの活躍によって一般の認知度も高く、老若男女問わず国内でも人気が高く、ファンが多いのがMUSCLE CAR(マッスルカー)だ。

1970年型シボレー・シェベルSSのPRO STREET(プロストリート)。市販車のストックボディを用いた車両が戦うドラッグレースのプロクラスカテゴリーのことをPRO STOCK(プロストック)と呼ぶが、PRO STREETとはそんなPRO STOCKマシンをストリート仕様に落とし込んだマシンのことをいう。高度なチューニングが施されているが、市販車のトリムを持ち、街乗りできる耐久性と実用性兼ね備えている。

さて、MUSCLE CARとはどのようなクルマを指すのか? その定義は国や時代、人によっても多少のゆらぎがあり、オーストラリアフォード・ファルコンやホールデン・コモドアなどのオーストラリア製のハイパフォーマンスカーを含む場合もあるし、2000年代に登場した三代目ダッジ・チャージャー、二代目ダッジ・マグナムのようなハイパフォーマンス4ドアセダンやステーションワゴンを含む場合もあるだろう。

1970年型シボレー・シェベルSSのリアビュー。一見すると市販車然としたルックスだが、ナローデフ(トレッドを狭くすること)化されたリアの足回りにファットタイヤを組み付けたことで、ただ者ではない雰囲気がプンプンに匂い立っている。

搭載されるパワーユニットもV8が必ずしも必須条件とならないこともあり、1970年代末に登場した三代目・FOXマスタングの初期モデルに設定のあった2.3L直列4気筒SOHCターボのコブラパッケージや、2014年にデビューした六代目マスタングに設定のあった2.3L直4ターボ「エコブースト」をもMUSCLE CARにカテゴライズするケースもある。

インパネまわりは計器類をすべてAutoMeter社製へと交換されている以外はストックの状態を維持している。シフターはドラッグレース用のレーシングシフターが奢られている。トランスミッションは何が使用されているかはわからなかったが、高出力・高トルクを受け止めるために相応のものが用いられているのだろう。なお、ドラッグレースではシフトミスのリスクを嫌い、ATやシーケンシャルを用いるのが一般的。

また、自動車の電動化が進む昨今の流れからするとフォード・マスタングMach Eや、発売が待たれる八代目ダッジ・チャージャー・デイトナR/TなどのハイパフォーマンスEVも将来的にはMUSCLE CARとして認められる可能性がある。

ナローデフ化&ローダウンしたことでリアセクションは完全に作り直し。巨大なタイヤとデフを収めるためにフレームはCノッチ(フレームを1度切り離し、ホーシングとフレームが接触するのを避けるためCの字型の逃げを作ること)加工を施している。当然リアシートは収まらないために撤去した。さらにボディの剛性確保のためにロールケージを装着している。バケットシートと5点式シートベルトはコルビュー製をチョイス。

しかし、ここでは狭義の意味でのMUSCLE CAR……すなわち、1960~70年代前半にかけて相次いで登場した大排気量・高出力のV8エンジンを心臓に持つ、後輪駆動のアメリカ製2ドアクーペに絞って話を進めて行くことにする。

この車両は540cu-in(8.64L)のビッグブロックV8に゙換装した上でブロワー(スーパーチャージャー)をインストールしている。魅せることを意識して配線類を隠してスムージング、内外装同様にエンジンルームも美しく磨き込まれている。

排気量に勝るチューニングなし!この単純明快さこそがMUSCLE CARの魅力

MUSCLE CARが日欧のスポーツカーと決定的に違うのは基本的に直線番長、それもアメリカで人気のドラッグレースでの活躍に焦点を絞ったマシンであるということだ。

日欧のスポーツカーがサーキットやワインディングでの走りを前提に、ボディの軽量化、空力性能の追求、DOHCやターボに代表される高回転・高効率エンジンの搭載、路面追随性に優れた四輪独立懸架式サスペンションの採用などによって性能を向上させているのに対し、MUSCLE CARは「排気量に勝るチューニングなし」という言葉を地で行くように、アメ車の中では比較的小さなインターミディーエイト(中級車)やポニーカー(マスタングに端を発する小型のスペシャリティーカー)に、5~7Lの巨大なV8エンジンを搭載するという単純極まりない方法でパフォーマンスアップを図るという違いがある。

1970年型ダッジ・チャレンジャーR/T。チャレンジャーの高性能バージョンであるR/T(ロード&トラック)にオプションとして用意された440(7.2L) 6パックを搭載したマシンだ。6パックとは3連装2バレルキャブレターのうち、通常は1基だけが機能し、全開時には2基すべてが機能するというもの。レーシングユニットの426HEMIに対して常用域での性能に遜色はなく、扱いやすさという点ではこちらが上だった。最高出力は390hpを発揮する。

厳密に言えば、パワーユニットの高出力・高トルク化に併せて足廻りやブレーキも相応に強化されているが、フロントがダブルウィッシュボーン式、リアは板バネを用いたリジットアクスルというサスペンション形式はそのままだ。

1971年型プリマス・ロードランナーと1972年型ダッジ・チャージャー340マグナム。第2世代のロードランナーはダッジ・チャレンジャーの姉妹車となった高級MUSCLE CARのプリマスGTXをベースにしているが、排気ガス規制の影響で先代モデルよりパフォーマンスは低下している。ダッジ・チャージャーはシリーズとしては第3世代にあたり、インターミディエイトのコロネットと同じBプラットフォームを用いたMUSCLE CARで、先代からのスプリットグリルを踏襲した流麗なクーペだ。

このように聞くと、いかにも洗練とは無縁な大味なクルマを想像されるかもしれない。しかし、これは畢竟、クルマに何を求めるかというユーザーの要求の問題と言える。広大な国土を持ち、その大部分が平野であるアメリカ。しかも、現在でこそ規制が緩和され高速道路の最高速度は45~75mph(72~120km/h。州によって設定速度は異なる)に引き上げられたが、オイルショック直後の1974~1987年まで連邦政府は55mph(89km/h)を推奨しており、その後も1995年末まではは65mph(105km/h)までに抑えられていた。すなわち、速度無制限のアウトバーンを擁する欧州に比べるとトラフィックの流れはけっして速くはない。

1970年型プリマス・クーダ。バラクーダの第3世代モデルは走行性能向上のため、従来のBプラットフォームに代わり極端に短く、よりワイドなEボディベースとなった。同じプラットフォームを採用するダッジ・チャレンジャーとは姉妹車の関係になるが、こちらはホイールベースが2インチ(5.1cm)短く、全長は5インチ(12.7cm)も短い。プリマスはダッジより格下のディビジョンとなるが、その分虚飾を廃し、走りに振ったことが当時のカーガイたちから熱い支持を集めることになった。なお、写真の車両のように440 6パックのような高性能エンジンを搭載したモデルは「バラクーダ」ではなく畏敬の念を込めて「クーダ」と呼ぶ。

そうした環境では快適な長距離ドライブのため、トルク変動の少なく、低回転でゆるゆる回る大排気量のV8の心臓が必然的に求められる。しかも、V8エンジンはトルクの太さからアクセルをひと踏みすれば思い車体を一瞬で加速させる。GT的な性格を持ちながら加速性能を何よりも重視したハイパフォーマンスカーがMUSCLE CARというわけだ。

1970年型プリマス・ロードランナー。高性能化・高級化に伴い年々新車価格が高くなったMUSCLE CARを、本来のターゲットユーザーである若者たちでも手が届くようにと、1968年にインターミディエイトのベルヴェディアGTXをベースに装備を大幅に簡素化し、その代わりにエンジンは標準で335hpを叩き出す383(6.3L)SUPER COMMANDが奢られた(写真の車両はオプションの440 6パックを搭載)。3000ドル以下で高性能車が買えるということで若者たちは色めき立ち、発売後の1年間で5000台以上を販売する大ヒットモデルとなる。なお、ロードランナーの名前はワーナー・ブラザースとの提携により、人気アニメ『ルーニー・テューンズ』からフルスピードで弾より走るオオミチバシリのキャラクターから命名された。クラクションもアニメキャラの「ミッミッ(Beep Beep)」という鳴き声を再現している。

搭載される巨大なV8エンジンは2000回転で怒涛のトルクを放ち、わずか5000回転で最高出力を叩き出す。瞬発力や加速力ではまさに敵なしだ。しかし、最高出力を出せるのは一瞬のこと。そのままエンジンを連続高回転させればたちまち油温が上昇し、それを無視してアクセルを踏み続ければメタルやクランクシャフト、コンロッド、ピストンなどのムービングパーツがその大きさや重さのために暴れてエンジンを内部から破壊するのだ(NASCARなどの競技車のパワーユニットは基本設計は同じでも使用される構成パーツの素材や精度はまるで異なる)。

1969年型(左)と1968年型(右)プリマス・ロードランナー。

ゆえにMUSCLE CARの馬力は同じ数値を示していても日欧のスポーツカーの馬力とは同列には語れない。いわばアメリカという地域、長距離のドライブとドラッグレースという相反する用途で性能を発揮できるように製造されたアシの長い局地戦闘機。それがMUSCLE CARというわけだ。

ベビーブーマー世代を直撃したMUSCLE CARの元祖・ポンティアックGTO

その起源については、アメリカ車で初めて300hp級の高出力のV8エンジンを搭載したクライスラー・レターシリーズのC-300とされている。しかし、C-300は豪華絢爛高級車という立ち位置のクルマであり、有り余るパワーは大きく重い車体を過不足なく動かすためのものであり、このクルマからはMUSCLE CARに不可欠なスポーティーなイメージはほとんど受けない。

1955年に登場したクライスラー・レターシリーズのC-300。アメリカ車で初めて300hp級のV8エンジンを搭載した同車をMUSCLE CARの元祖に推す声もある。なお、このクルマは2004年に市販化したクライスラー300Cの元ネタとなった。

一般的にはMUSCLE CARの元祖となったのは、1964年に世に送り出されたポンティアックGTOとされている。このクルマの生みの親となったのが、GMポンティアックでチーフエンジニアを務めていたジョン・デロリアンだ。

1964年に登場した元祖MUSCLE CARのポンティアックGTO。開発者はのちにデロリアンDMC-12の生みの親となるジョン。デロリアン。

当時、社内の他ブランドとの差別化に悩んでいたポンティアック・ディビジョンでは、業績改善のため、免許取得年齢に達したベビーブーマー世代をターゲットにした安価なハイパフォーマンスカーの開発を画策していた。彼ら若い世代の心を掴むにはモータースポーツのイメージを活用するのがセオリーである。ところが、当時のGMでは内規によって傘下にある関連部門は自動車レースへの関与が禁止されていた。

1965年型ポンティアックGTOコンバーチブル。GTOとはイタリア語のGran Turismo Omologatoの略で、レース出場に必要な公認(ホモロゲージョン)を取得した車両という意味だが、実際にはポンティアックGTOはFIAの公認を取得していない。名前の由来はデロリアンがファンだったという1962年登場のフェラーリGTOに由来……というか名前を拝借したわけだ。そして、フェラーリから7年、ポンティアックから5年遅れて今度は三菱がギャランGTOを発表する。もちろん、こちらもFIAの公認は取得していないが、GTOがハイパフォーマンスモデルをイメージさせるものとして使用されたのは同様だ。

そこでポンティアックは夜ごと若者たちが興じていたイリーガルなドラッグレースで使用されることを前提に、ストリートでのパフォーマンスを重視したポンティアックGTOをリリースしたのだ。しかも、当時のGM上層部が好ましからざる存在と毛嫌いしていたスポーツモデルを開発するに当たり、ポンティアック・ルマン(テンペストの1グレード)のパッケージオプションとして用意したのである。これなら独立車種でないため販売に当たってGM上層部の許可を得る必要がなかった。

1968年型ポンティアックGTO。

社内ルールの間隙をついてポンティアックが若者向けのスポーツモデルを発売したことにGMの重役連は激怒した。しかし、わずか296ドル(当時)を追加するだけで、325hpを発揮する389cu-in(6.4L)V8+カーター製4バレル単相キャブレター(追加オプションとしてトライパワー・2バルブ3連キャブも用意された)、特別感を演出するクロームメッキされたシリンダーヘッドカバー&エアクリーナーボックス、デュアルエクゾーストシステム、フロアシフト3速MT&ハースト製のシフトレバー(追加オプションで4速MT、あるいはスーパータービン300型2速ATが選べた)、強化されたサスペンション、大径のフロントスタビライザーが装着されるのだからこれが売れないはずがない。販売が好調だったことからGM上層部も渋々ながらGTOを追認したのだ。

1970年型ポンティアックGTO。

このGTOのヒットによってビッグスリーからは、同様のコンセプトのハイパフォーマンスカーが雨後の筍のように相次いで登場した。その中でもGTOに少し遅れて登場したマスタングは人気・実力ともに特筆すべきものがあった。小型のスペシャリティーカーであるマスタングをベースに、レース界のレジェンドであるキャロル・シェルビーが手を加えたシェルビーGT350はサーキットでも活躍を見せ、1967年には355hpを発揮する429cu-in(7.0L)を心臓に持つGT500も登場している。

1971年型ポンティアックGTO。

交通事故の増加、マスキー法、オイルショック……
恐竜的に進化を遂げたMUSCLE CAR黄金期の終焉

しかし、そんなMUSCLE CARの隆盛も長くは続かなかった。現代のようにABSやトラクションコントロールなどの車両制御技術がない時代に、レーシングカー顔負けの高性能車を誰もが気軽に買え、それが大ヒットする状況というのは社会に混乱をもたらすことになる。

今も昔もこの種のクルマを好むのは若者であり、運転技術が未熟な彼らが公道で無謀運転や暴走行為を繰り返した結果、死亡事故が急増したのだ。これに対して製造元のビッグスリーが批判の対象となり、アメリカを揺さぶる社会問題となったのだ。

さらには排気ガスがもたらす大気汚染が社会問題化するようになり、1970年には有害な排気ガス排出を規制する「マスキー法」が議会を通過してしまう。この法律はビッグスリーの強固な反発もあり、実施の延期や規制値の修正が繰り返されて実質的には廃案とされたのだが、それでもメーカーは新車の排気ガス低減を余儀なくされた。

その結果、1970年代に入るとビッグスリーは排出ガス量の多いマッスルカーに対し、搭載するエンジンの圧縮比を下げ、キャブレターの数を減らすなどの対策を余儀なくされる。

1967年11月、ホワイトハウスで「1967年大気汚染防止法(マスキー法)」に署名するリンドン・ジョンソン大統領。

そして、これとほぼ時を同じくして政府は増え続ける交通事故に歯止めをかける目的で安全基準の引き上げを行い、大きくて重い「5マイルバンパー」の装着を義務化した。これらも要因となってマッスルカーの性能は大幅に低下し、商品として精彩さを欠くようになる。

さらに追い討ちをかけたのが1973年のオイルショックであった。ガソリン価格が急激に高騰したことで、消費者のマインドをパワーよりも燃費志向に変えたことがトドメとなり、1970年代中頃にはマッスルカーブームは完全に沈静化を迎えた。

スエズ運河を渡るイスラエル軍のセンチュリオン戦車。第四次中東戦争(1973年10月)が勃発すると、アラブの産油国は親イスラエル国に対し石油禁輸措置とそれに伴う原油価格の引き上げを行った。これにより第一次石油危機(オイルショック)が発生し、西側諸国は石油不足と経済の大混乱に陥った。

それを受けてビッグスリーはMUSCLE CARのラインナップを大幅に整理し、ブランド名は残されたもののマスタングIIのように当初はV8エンジンが設定されずエコノミーカーのピントをベースにしたもの、ダッジ・チャレンジャーのようにモデルチェンジを機に日本車のOEMになったものなどもあり、シボレー・コルベットやカマロのようにわずかに生き残ったマシンもパワーは大幅にダウンし、6~7L級のビッグブロックV8はオプションリストから消えた。

1974年に登場したフォード・マスタングの第2世代モデル・マスタングII。コンパクトカーのピントをベースとしており、当初はV8エンジンの設定もなかった。1975年には遅れて302cu-in(5L)のV8エンジンが追加。1976年にV8モデルにパッケージオプションでMUSCLE CARのルックスを持つコブラII(コブラ・パッケージ)が登場したが、最高出力は140hpとパフォーマンスはベースモデルと変わらなかった。
初代ダッジ・チャレンジャーの生産終了から3年後の1977年に登場した二代目ダッジ・チャレンジャー。ご覧の通り、日本製の三菱ギャランΛ(ラムダ)のOEM車で、MUSCLE CARとは縁もゆかりもない車両にチャレンジャーの名を使用したことで賛否を巻き起こした。

こうしてMUSCLE CARは暗黒時代を迎えることになる。再びMUSCLE CARが日の目を見るようになるのは1980年代後半のことで、完全復活するのは五代目マスタングや三代目ダッジ・チャレンジャー、五代目カマロが登場する2000年代中頃まで待たねばならなかった(そして、それらの21世紀のMUSCLE CARも燃費・排出ガス規制とEVブームにより再び消えようとしている……)

2005年にデビューした第5世代マスタング。初代各モデルのエッセンスを散りばめたスタイリングに、優れたパフォーマンスを兼ね備えた車両でマスタングの復活を印象付けた。
2008年に復活したチャレンジャー。初代をデザインモチーフにふさわしいパフォーマンスを与えた21世紀のMUSCLE CAR。
2009年に7年ぶりにカムバックを果たしたカマロ。映画『トランスフォーマー』とのコラボでも話題になった。2015年には六代目となる新型が登場している。

MUSCLE CARは永遠に不滅!
『Street Car Nationals』にも往年の名車が多数エントリー

最後に2024年5月12日(日)、東京・お台場で開催された『36th Anniversary MOONEYES Street Car Nationals®』に多数がエントリーしていたビッグスリーが製造した往年のMUSCLE CARを紹介しつつ筆を置くことにする。

「MOON COOL AWARD」を受賞した1964年型マーキュリー・コメット(右)と1963年型フォード・ギャラクシー(左)。
コークボトルラインが美しいシボレー・コルベットC3。多くの人がイメージするMUSCLE CARと言えばこれだろう。
1969年型シボレー・カマロSS。第1世代カマロの最終モデルで、メカニズムはそれまでのものを踏襲するが、ボディ外板は一新され、よりロー&ワイドに見えるスタイリングが与えられている。
1970年に登場した第2世代カマロの前期型。その独特なマスクから日本では「鮫カマ」の愛称で呼ばれている。
1970年型フォード・トリノ・コブラ・スポーツルーフ。ハイパフォーマンスモデルらしく高級グレードのトリノGTよりもトリムレベルや装備は抑えられていたが、375hpを叩き出す429cu-in(7L)V8スーパーコブラジェットエンジンの心臓を与え、標準で4速クロスミッション、ハースト製シフター、ブラック・アウトされたカウルフードとフロントグリル、7インチ幅のワイドホイールが与えられたなどの装備が奢られている。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…