自動運転システムへのチャレンジ【シン自動車性能論】

自動運転研究への取組み:1961年(通産省工技院 自動操縦研究委員会 松本俊哲ほか)通産省工業技術院・東村山テストコース<自動操縦実験>
日本の自動車研究の泰斗として数々の研究成果を挙げてこられた小口泰平先生が、21世紀の自動車性能論を書き下ろす。名付けて『シン自動車性能論』である。第4回のテーマは「自動運転」である。日本の自動運転研究の黎明期はどうだったのか?
TEXT:小口泰平(OGUCHI Yasuhei)
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自動運転の研究は、1939年のニューヨーク世界博覧会で、米国のGMがモデルを展示。やがて1950年代に入ると、ハイウェイでの重大事故の防止を目指して実車実験が始まる。日本も以外と早く、1961年・通産省工業技術院機械試験所(東村山)を中心とする自動操縦委員会が発足し、当時時速80km/h走行をテストコースで実現しています。車両の運動性能のレベル設定、自動走行とその理論解析、走行コースを制御する誘導ケーブルの敷設、加減速・操舵・車間などの制御を行なうコントローラーの開発など、文字通り多岐にわたっていました。   

実験車両:プリンス・スカイライン【バン型】 無人走行:時速80km/h

私は当時、委員の片隅に加わり、車両の運動力学とその制御理論にチャレンジ。他車との調和をはかる複雑な制御項目とその演算処理速度の大切さを実感した次第です。走行制御演算を行なう頭脳には、最先端といわれていた当時の大型コンピュータが搭載され、後席から荷物室までの空間を埋め尽くし、辛うじて運転席と助手席を確保していました。走行テストは、工技院東村山のオーバル型テストコース。ある早朝のこと、車両の慣らし運転の予備走行で周回していた時、突風により新聞紙が進路の前方路面に吹き付けられ、一瞬、システムは障害物と受け止めてか緊急ブレーキ。左右輪の制動力が異なり車輪はロック、かろうじての進路維持でした。大型コンピュータを積載していたため、冷や汗ものでした。今となれば懐かしい思い出です。なお、この自動運転の研究成果は、その後、名古屋のバスシステム自動走行実験に応用されていました。

今日、自動運転への関心は以前にも増して高まり、国内外ともに本格的な取り組みへと動き始めています。自動運転のレベルは、米国のSAE(Society of Automotive Engineers)によって分類され、SAEレベル0~5が規定されています。レベル3は「条件付き自動運転車」でして、特定の走行環境のもとでは自動運転を行なうが、その範囲を超えるとドライバーが運転しなければならないのです。レベル4は、特定の走行委環境の満たす限定された領域では全て自動運転を行ないます。レベル5は、完全自動運転です。現在は、レベル3の段階にあり、これをレベル4に如何に進化させるかにありましょう。現時点では、走行地域を限定しての実証実験が各地で行な

われ、高齢化社会のモビリティに向けた新たなる進化が期待されています。    

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著者プロフィール

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小口 泰平

小口泰平
1937年長野県生まれ。工学博士。芝浦工業大学名誉学長、日本自動車殿堂名誉会長。1959年芝浦工…