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■デートカーからスポーティ路線に舵を切った4代目
1991年(平成3)年9月19日、ホンダが4代目「プレリュード」を発表(発売は翌日)。スペシャリティカーの2代目と3代目は、デートカーとして一世を風靡して絶好調だったが、4代目はスポーティなモデルへと路線変更。デビューのタイミングが悪く、バブル崩壊の煽りを受けて先代のような人気は獲得できなかった。
3代目までのプレリュードの足跡
・スペシャリティカーとしては地味だった初代(1978年~1982年)
1978年、初代プレリュードはホンダ初のスペシャリティカーとして誕生した。直線基調のワイド&ローのオーソドックスなクーペスタイルで、パワートレインは最高出力90ps/最大トルク13.5kgmを発揮する1.8L直4 SOHCのCVCCエンジンと5速MTおよびホンダマチックATの組み合わせ、駆動方式はホンダが得意とするFFだった。FFながら俊敏な走りと優れたハンドリング性能は評価されたが、スタイリングが地味であったためか、日本での販売は期待ほど伸びず、むしろ米国で評価された。
・人気のデートカーの元祖的な存在となった2代目(1982年~1987年)
2代目プレリュードは、初代よりスタイリッシュなスペシャリティカーとなり、多くの先進技術が組み込まれた。リトラクタブルヘッドライトの採用によってノーズを下げ、全高が1300mmを切る超ワイド&ローのスポーティなスタイリングを採用。パワートレインは、125ps/15.6kgの1.8L直4 SOHC CVCCエンジンと5速MTおよび4速ATの組み合わせ。スタイリッシュでエレガントなフォルムに、ホンダ自慢のハイテクを組み込んだ2代目プレリュード。TV-CMのBGMに、ラヴェル作曲の名曲「ボレロ」を使い、デートの際に女性にも好まれるデートカーの元祖として若者層を中心に人気を獲得し、大ヒットを記録した。
・先進技術満載でデートカーの象徴となった3代目(1987年~1991年)
3代目は、人気のワイド&ローのスタイリングとリトラクタブルを継承しながらも、さらに2代目にも増して最新技術を投入してブラッシュアップが図られた。なかでも最大のアピールポイントは、世界初を謳った4WS(4輪操舵)。ステリングの角度0~230度の状態で同位相、230度以上では逆位相に後輪が転舵し、安定性と最小回転の縮小を実現。また145ps/17.8kgmへと大幅にパワーアップした2.0L直4 DOHCエンジンは、電子制御燃料噴射、可変式デュアル・インテークマニホールドを採用するなど、エンジンも最新技術満載だった。大ヒットした2代目プレリュードをブラッシュアップした3代目は、バブルの後押しもあって2代目を凌ぐ人気を獲得。バブル時代に生まれたデートカーを象徴するクルマとなったのだ。
スポーティさをアピールするもバブル崩壊に直面した4代目(1991年~1996年)
1991年のこの日登場した4代目は、排気量を拡大しパワーアップしたエンジンを搭載し、ボディを大きく3ナンバー化してスポーティさをアピールした。
先代と同じワイド&ローのクーペスタイルだったが、2代目と3代目で採用されていたリトラクタブルヘッドライトを廃止。先代に引き続いて設定された4WSは、操舵角速度制御の「ハイパー4WS」に進化し、ABSやTCS、ビスカス式LSDも装備された。
パワートレインは、160ps/20.5kgmの2.2L DOHCと200ps/22.3kgmのVTEC仕様の2種類のエンジンと、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。車両価格は214.5万~267.3万円。当時の大卒の初任給は、17.5万円(現在は約23万円)程度だったので、単純計算では現在の価値で約282万~351万円に相当する。
コンセプトを一新してデートカーと呼ばれたスペシャリティカーからスポーティカーへと舵を切った4代目。しかし、バブル全盛期に開発して、売り出したらバブルが崩壊、それまで人気を博していたスペシャリティカー、ハイソカー、スポーツカー市場は急速に萎んで、人気は下降してしまった。
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デートカーの象徴となったプレリュードだが、バブル崩壊という憂き目にあった4代目プレリュード。同じようにバブルで花開いた数々の名車が、バブルが弾けて姿を消した。クルマの出来栄えに関わらず、市場の動向には手の施しようがなかったようだ。
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