WRC前夜”ラリーの日産”の名声を確かなものにしたS30型フェアレディZ! 貴重な二桁ナンバー車をレストア&ラリーレプリカに!!

2023年10月に新たなラリーファンイベントとして開催された『ラリーファnミーティング2023』。会場ではオーナーミーティングも行われ、ラリーに縁のあるオーナーカーが多数並んだ。1990年代から2000年代のグループA〜ワールドラリーかーが多数を占めるなか、ひときわ異彩を放っていたのがS30型フェアレディZだ。
REPORT:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi) PHOTO:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi)/日産自動車

新たなラリー好きの祭典『ラリーファンミーティング2023』初開催! 新井敏弘選手もその走りを披露! ミーティングエリアにはレプリカマシンが大集結!

2023年10月8日(日)、富士スピードウェイで『ラリーファンミーティング2023』が開催された。ミーティングイベントあり、“世界のToshi Arai”ことラリードライバー・新井敏弘選手のゲスト出演あり、プロドライバーのドライブによる同乗走行あり、ラリーと関係の深いパーツメーカーのブースありと、ラリー尽くしの内容で、来場したラリーファンも大満足! 今回が初開催ではあったが、早くも次回開催も期待されるイベントとなった。 PHOTO:橘 祐一(TACHIBANA Yuichi)/MotorFan.jp

“Z”の人気と名声の一端はサファリラリーにあり

近年、海外でも1970年代から1980年代の日本車が再評価されて人気を博している。なかでも日産フェアレディZは新車当時から北米を中心に多くの台数が輸出され、全世界で52万台以上が販売されていた。そのため多くの個体が現存し、今でもチューニングベース車両としても楽しまれている。

日産フェアレディZ=DATSUN Z(PHOTO:日産自動車)

フェアレディZの成功は北米での販売に尽力した、当時の北米日産社長である片山豊氏の功績が大きいのは周知の通りだが、フェアレディZが世界にその性能を知らしめたのはサファリラリーでの活躍も大きいだろう。

1971年の東アフリカ・サファリラリー。11号車は優勝したエドガー・ハーマン/ハンス・シュラー組のダットサン240Z。(PHOTO:日産自動車)

オープンスポーツからグランドツーリングカーへ

1969年10月、それまでオープンボディだったフェアレディをフルモデルチェンジする形でフェアレディZが誕生した。
軽量で軽快なオープンボディのスポーツカーから、快適で高速なグランドツアラーに変化した。ラダーフレームから高剛性のモノコックボディに進化し、エンジンもフェアレディ2000の4気筒SOHCから新開発の6気筒SOHCのL20型に変更し、先行して発売された日本国内仕様では2.0Lのみのラインナップとした。

フェアレディ2000(PHOTO:日産自動車)

また、スカイラインGT-Rに採用されているS20型エンジンを搭載する「Z432」もラインナップされた。翌1970年には海外への輸出が開始される。この輸出仕様には排気量を2393ccへと拡大したL24型が搭載され、ダットサン240Zの名が与えられた。この240Zがラリーフィールドで活躍することになる。

Z432(PHOTO:日産自動車)

サファリラリーを連覇して”ラリーの日産”として名声を高める

1958年、モービルガストライアル・オーストラリアラリーにダットサン210型で挑んだのが日産の海外ラリー活動の始まり。その後も310型、410型ブルーバードを経て、1968年からはフルーバード510型を投入。1969年のサファリラリーではクラス優勝(総合3位)、1970年には悲願の総合優勝を果たし、日産自動車の技術力の高さを世界へアピールすることに成功した。

1958年にモービルガストライアル・オーストラリアラリーでクラス優勝(完走43台中総合25位)したダットサン1000セダン(210型)富士号。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)
同じく1958年にモービルガストライアル・オーストラリアラリーでクラス4位入賞の桜号。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)
1966年の東アフリカ・サファリラリーでクラス優勝(総合5位)したダットサン・ブルーバード1300SS(P411型)。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)
1970年の東アフリカ・サファリラリーで総合優勝したダットサン・ブルーバード1600SSS(P510型)。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)

1971年、ブルーバード510に代わり、ラリーカーとして採用されたのが240Zだった。510型に比べるとボディは大きく重く、エンジンの気筒数も多くて排気量の大きな240Zは、当初は重戦車などと揶揄されることもあったが、1月に開催されたモンテカルロラリーでは5位に入賞。当時のモンテカルロはポルシェ911やアルピーヌA110などのRR車が有利と言われ、FR車での5位入賞は大健闘であった。

1971年東アフリカ・サファリラリーの優勝車。クルーはエドガー・ハーマン/ハンス・シュラー組。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)

3月に開催されたサファリラリーには4台の240Zを投入。フォード・エスコートやポルシェ911といったライバルたちを抑え、総合1位、2位を獲得し、鮮烈なデビューとなった。翌1972年はモンテカルロで3位を獲得するも、サファリラリーではタイヤトラブルに見舞われて最高5位に終わる。

1972年モンテカルロラリーの3位入賞車。クルーはラウノ・アルトーネン/ジャン・トッド組。ナビゲーターは後年プジョーワークスの監督としてグループBマシン・205ターボ16でWRCを制覇し、F1ではミハエル・シューマッハとフェラーリの黄金時代を築いた”あの”ジャン・トッド。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)

1973年からは世界ラリー選手権=WRCがスタート。初戦のモンテカルロでは最高9位だったが、サファリラリーでは総合優勝を獲得し、”WRC”日本車の初優勝という記録も獲得した。この年は240Zからダットサン1800SSS(610型ブルーバードU)へ切り替えられる予定であったが、パワーアップしたライバルのフォードに勝つために、1800SSSと240Zを併用する形をとった。ちなみに1800SSSも2位という結果を残している。

1973年東アフリカ・サファリラリー優勝車。クルーはシェカー・メッタ/ロフティ・ドリューズ組。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)
1973年東アフリカ・サファリラリーの総合2位入賞車。クルーはハリ・カールストロム/クレアス・ビルスタム組。(PHOTO:日産ヘリテージコレクション)

1974年もサファリラリーには出場し、260Zを投入しているが、オイルショックの影響からワークス体制ではなく、ディーラーチームをサポートするという形をとった。結果は4位、5位に入賞したものの、この年を最後に240Z(260Z)は最前線を退くこととなる。

貴重な二桁ナンバー車をレストア&レプリカ化

1971年から1973年まで、日産がワークスとしてWRCに参加していた当時のスタイルをモチーフにカスタムしている。

イベントで見かけた村井さんのフェアレディZは、当時のラリーカーをモチーフにしたドレスアップ。フェアレディZは当時のラリーシーンで偉大な記録を残しているのに対し、今ではその印象は薄くなってしまっている。若い世代の方々はラリーで活躍していたことすら知らない人もいるだろう。

現代のラリーカーに比べるとリヤ周りはシンプル。マッドフラップはリヤフェンダーから離れた位置に吊り下げられていた。

フェアレディZはドラッグレースや公道レースをモチーフにしたドレスアップやチューニングカーが多い中、ラリー仕様に仕上げているのは珍しくなった。

バンパーの中央が下げられ4つの補助ランプが並べられたスタイルは1972年のモンテカルロラリー仕様をイメージ?
ホイールは1970年代の定番ワタナベのエイトスポーク。ブレーキローターはBMWミニ用を加工して装着している。
フロントフェンダーにはカンクネンピロネンのネームが入るが、彼がデビューしたのが1979年なので実際にはドライブしていない。

村井さんがこのフェアレディZを手に入れたのは今から24年前。当初は510ブルーバードをベースにラリー仕様を作ろうと計画していたが、このZが自分の元にやってきたため、これを当時のラリー仕様にモデファイすることを決意。

実際に競技にも参加していたのでロールバーを装備している。細身のナルディステアリングがよく似合っている。
シートはブリッドのセミバケットを装着。これにサベルトの4点シートベルトを組み合わせている。

購入当初は錆だらけでまずはレストアに時間をかけた。エンジンはレース車両を手がけていたエンジニアに組んでもらったもので、260Zのブロックをベースに2.7Lにボアアップ。インジェクションはアメリカ製でヘリコプター用を改造して組み込んでいる。インジェクターはR32GTR用を使用し、点火系はフルトラを装着している。

エンジンは260Z用をベースに2.7Lにボアを拡大。レース用エンジンを手掛けているエンジニアに組んでもらったもの。
1972年モンテカルロラリー車と同じくドアミラーを装着。
室内にはロールケージを組む。

実際にこの車両で競技にも参加していたので、2度の大きなクラッシュを経験。純正ボンネットが手に入らないのが今の悩みだとか。

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著者プロフィール

橘祐一 近影

橘祐一

神奈川県川崎市出身。雑誌編集者からフリーランスカメラマンを経て、現在はライター業がメイン。360ccの軽…