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スーパーカーも参加した『足利モーターフェス2024』
2024年10月27日(日)、栃木県足利市駒場町にある栗田美術館大駐車場を会場にて『足利モーターフェス2024』が開催された。このイベントは昨年まで開催されていたイタリア車&フランス車を中心にした『足利ミーティング2023』が、生産国や年式を問わないオールジャンル参加可能なカーイベントにパワーアップしたものだ。
前身となる『足利ミーティング』が足利市内にある「アバルトカフェ」こと『Cafe-lien』の常連客を中心にしてはじまったこともあり、参加車両の中でもっとも台数が多いのがフィアット500&アバルト500/595/695シリーズで、ほかにはアルファロメオやBMWなどの比較的身近な輸入車が多い。
だが、なかにはフェラーリやランボルギーニ、ポルシェ、デ・トマソ・パンテーラなどいわゆるスーパーカーのエントリーも少なからずあった。今回はその中でもとくに会場で注目を浴びていた3台のマシンを中心に紹介して行く。
実質「フォードGT40」のロードゴーイングモデル!?
アメリカンV8をミッドシップに搭載する米伊合作のハイパフォーマンスカー
『足利モーターフェス2024』にエントリーしたスーパーカーの中でも来場者の注目をもっとも集めていたのが、写真のデ・トマソ・パンテーラだった。デ・トマソ社の創業者であったアレッサンドロ・デ・トマソが、イタリア語でヒョウを意味するパンテーラを発表したのは1971年のことだ。
デ・トマソ社にとってはヴァレルンガ、マングスタに続く3作目のミドシップスポーツカーで、前作マングスタと同様にアメリカのフォードとの協業によりパワフルなアメリカンV8の心臓が与えられた。
シャシーは当時主流だったバックボーンフレームやチューブラーフレームは用いられず、ランボルギーニから移籍したジャンパオロ・ダラーラが設計したモノコックボディを採用されている。サスペンションは前後ダブルウィッシュボーン/コイルスプリングとスタビライザーで構成されている。
パンテーラのスタイリングは、当時カロッツェリア・ギアに在籍していたトム・ジャーダが担当し、ウェッジシェイプの効いたロー&ワイドなフォルムに仕上げられた。「フォードGT40の市販版を作る」というコンセプトで開発されたこともあり、車幅を除けばけっしてサイズの大きなクルマではないのだが、その迫力はランボルギーニ・ムルシエラゴやシボレー・コルベットC8などの他のエントリー車と比べても迫力では決して負けていない。
このクルマには日本国内で初めて300km/hの壁を超えたゲーリー・アラン・光永の伝説をはじめ、さまざまな逸話が残されている。それを知る中高年はもちろん、現役のスーパースポーツだった時代を知らない若い世代も、このクルマが放つ独特のオーラに心を奪われた様子だった。
ランボルギーニが誇るフラッグシップモデルのオープンバージョン!
浮世離れした迫力あるスタイリングに来場者の目は釘付け
2001年のフランクフルトモーターショーで鮮烈なデビューを飾ったランボルギーニ・ムルシエラゴは、あれから20年以上が経過した現在でもその印象は些かも衰えてはおらず、まったく古びて見えない。このクルマはランボがアウディ傘下となって初のプロダクトであり、親会社がクライスラーからインドネシアの新興財閥傘下の会社に変わったあとも経営が安定せず、カウンタックの後釜として10年以上も生産が続いたディアブロの期待の後継車種だった。そんなランボのフラッグシップが伝統のV12を引き継ぎ登場したのだから、当時のクルマ好きからは喝采をもって迎えられた。
ムルシエラゴのスタイリングを担当したのは、当時ランボルギーニのデザイン部長を務めていたルク・ドンカーヴォルケだ。それまでのガンディーニデザインのような斬新さこそないが、シザーズドアを採用したエッジが効いた直線基調のカウンタックのデザインテーマを踏襲しつつ、より洗練させたスタイリングが外観上の特徴となっている。アウディの資本参加もあってボディやシャシーが大きく進化しており、パフォーマンスが向上する一方で、それまでのランボにあった荒削りなところがなくなり、スポーツカーとしての完成度が大幅に向上した。
そんなムルシエラゴにオープンモデルが追加されたのは、2004年3月のジュネーブショーのことだ。前年のデトロイトショーで発表された「バルケッタ」の市販モデルであり、ロードスターの名称はディアブロから継承された。オープン化に際してボディの補強が行われたほか、ウィンドシールドの傾斜がよりきつくなった。また、サスペンションは専用設計であり、ブレーキディスクも大径化されている。
ただでさえ、人目を引くランボルギーニのフラッグシップカーなのに、『足利モーターフェス2024』エントリーしていたのはそのオープンモデルのロードスターだ。しかも、ノーズには猛牛が踊り、ボディサイドにはランボのロゴが描かれている。これで目立たないわけはない。その迫力ある姿に若者や子どもたちを中心に人気を集めていた。
本物? リプロダクション? レプリカ?
そんなの関係ない! この迫力こそコブラはコブラだ!!
1960年代のモータースポーツでの活躍により、世界中に熱狂的なファンを持つシェルビー・コブラが登場したのは1962年のことだ。1959年のル・マン・ウィナーにして数々のレースで活躍してきたキャロル・シェルビーが、持病の心臓病が悪化したことによりレーサーを引退し、レース経験を生かしてレーシングコンストラクターになったことは、映画『フォードvsフェラーリ』でも描かれたことなので、みなさんご存知のことだろう。
そんな彼が率いたシェルビー・アメリカン社では、ブリストル社からエンジン供給を立たれて経営が立ち行かなくなっていたイギリスのACカーズに、フォードからエンジン調達することを条件に、同社が製造していたACエースにアメリカンV8を搭載することを求めた結果生まれたのが名車シェルビー・コブラである。
コブラは初期型のMK.Iと呼ばれるモデルにチャレンジャー260cu-in(4.2L)V8を搭載することから始まり、MK.Iの後期型で289cu-in(4.6L)V8へと換装され、サンダーバード用の390cu-in(6.4L)V8を搭載するMK.IIを経て、シリーズ最強の428cu-in(7.0L)V8を積むMK.IIIが登場することになる。搭載するエンジンの排気量拡大に合わせてMK.IIIではシャシーとボディに手が入り、エクステリアはフェンダーが大きく張り出したグラマラスなスタイルへと進化を遂げた。
さて、そんなコブラは世界的に人気が高く、高性能だが構造的には単純なことから昔から数多くのレプリカが作られてきた。本物は当時製造されていたオリジナルとシェルビーが正式にライセンスを与えたスーパーパフォーマンス社のものだけだが、それ以外にもコンテンポラリー社やERA社やLMC社、AKスポーツカーズ社など世界20社以上で製造されており、スーパーセブンと並んで史上もっとも多くのレプリカが製造されたスポーツカーと言える。
それら後年製造されたモデルの多くがシリーズ最強のMK.IIIをモチーフにしている。搭載されるエンジンはフォード製302(5.0L)cu-inが多く、他にはシボレーやクライスラー製V8、ジャガーのV12など多種多様だ。その多くはオリジナルに準じたチューブラフレームにFRP製のボディ(オリジナルはアルミ製)を載せており、よく見ればボディラインが微妙に違っていたり、細部の意匠が僅かに異なっていたりする。ボディを軽く叩いてみればわかることなのだが、まさかミーティングに参加している人様のクルマに触れることなど許されるはずもない(マナー違反だし、トラブルのもとになるので絶対にしないように!)。
今回、エントリーしていたコブラの出自については、オーナーに直接話を聞くことができなかったので正直なところわからない。時価数億円、国内に現存する1960年代に製造されたコブラは数台しかないということを考えると、おそらくスーパーパフォーマンス製のリプロダクションか、後年作られたレプリカなのだろう(万が一、1960年代に製造されたオリジナルだったときはお許しを)。残念ながら筆者は本物のコブラを見る機会は数えるほどしかなく、またコブラの熱心なエンスージアストでもないので、残念ながら本物を見抜く眼力は持ち合わせていない。
しかし、オリジナルだろうがレプリカだろうが、オーナーにとっては大切な愛車であることに変わりはないだろう。それにこの存在感。ここにコブラがあるということでそうした些末なことはどうでもよくなる。事実、会場での注目度は高く、来場者は羨望の眼差しでコブラを見つめていた。その事実は紛れもない本物なのであった。