好きだからエンジンオーバーホールも自分でやります! 34年間愛し続けたハコスカGT-R【100人でS20を語ろう!】

プリンス自動車由来のS20型エンジン搭載車ばかりが100台も集まった「100人でS20を語ろう」というイベント会場には、100人分のクルマとの付き合い方が見られた。実際にオーナーにお話を聞けたS20搭載車たちを紹介していきたい。まずは34年もの間、オーナー自ら愛車を管理してきた人のお話だ。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1969年式スカイライン2000GT-R。

初代スカイラインGT-Rは1969年に発売された。すでに3代目C10型スカイラインへモデルチェンジした後のことで、いわゆる追加モデルに当たるが開発自体はC10型発売前から進められていた。開発の意図はズバリ、ツーリングカーレースで勝てるマシンにすること。というのもスカイラインはプリンス自動車が日産自動車と合併する前の時代、日本グランプリで必勝を賭けて作り上げたスカイラインGTがポルシェ904カレラGTSに敗れたことと関係がある。

4気筒1.5リッターエンジンを搭載する2代目S50系スカイラインのノーズを延長して、グロリア用直列6気筒エンジンを無理やり載せたのがスカイラインGT。日本グランプリでは1周だけだがポルシェの前を走ったことで観客は熱狂。「スカG」神話が生まれるのと同時に、スカイラインは国産最速マシンとしてのポジションを得た。だからモデルチェンジして3代目となっても国産最速でなければならないという宿命を背負わされていたのだ。

スポイラーやオーバーフェンダーガ付かない4ドアGT-R。

スカイライン、特にGT-Rというと現在では2ドアクーペの印象が強い。けれど、そもそもスカイラインは4ドアセダンでスタートしているし、初代GT-RであるPGC10型も4ドアセダン。古いファンなら「セダンこそスカイライン」との思いが強いはず。「100人でS20を語ろう」というイベントを取材して、もちろん2ドアハードトップの数が多かったわけだが、「セダンこそスカイライン」と考えるオーナーが多いことを改めて感じた。

ズラリと4ドアGT-Rが並び、いまだに人気が衰えていないことを実感できたからだ。数多く並んでいた4ドアGT-Rの中で初期の「44」と呼ばれる昭和44年生産モデルが意外にも多いことが印象的。なかでも白い塗装が適度にヤレて、レストアされると失われてしまう新車時の佇まいを残した1台に目が向いた。それが今回紹介するGT-Rだ。

初期のGT-Rだとフロントが3分割されたスタイルだった。
リヤフェンダーをカットしてワイドタイヤを履けるようにしたことが特徴。

オーナーは62歳になる根本剛雄さん。お話を聞けば昭和63年というから1988年に購入して以来、34年間も所有し続けているという。1台のクルマに30年以上も乗り続ける人がどれだけいるかは不明だが、決して多いわけでないだろう。もちろんファーストカーではなく趣味の対象だから乗る機会も多くはないだろうが、それにしても34年である。一体何がそうさせたのだろうと思って質問を続けてみた。

購入したのは過去にあったGT-R専門店からで、部分補修はあるものの新車時からの塗装が残る状態だった。34年前ならまだまだこのような個体が残っていたもので、珍しく大きな改造もされていなかった。GT-Rというと、レースのイメージからどうしてもオーバーフェンダーを装着したりフェンダーの爪を折ってしまうなど、ボディに手を加えられることが多い。

ところがこの白い4ドアは何も改造されていなかった。そこで根本さんはノーマル風に見えるブリヂストン製の古いアルミホイールを選んでいる。黒い塗装なので純正スチールのように見えるのがポイントで、改造車とは一線を画す仕様を目指した。

スチールに見えるが古いブリヂストン製のアルミホイールを履いている。

けれどフルノーマルというわけではない。アルミホイールの間から見えるように、フロントブレーキは大型キャリパーに変更している。これは当時のレースオプションにも設定されていたMk63と呼ばれる4ポットキャリパーで、純正より制動性能に優れるもの。初代GT-Rでは定番アイテムでもある。ただ、外観からわかるのはそれくらいで、極めてノーマルな印象だ。

「44」と呼ばれる3分割グリルをやめて、以後のワンピースタイプやハードトップと同じグリルに変更してしまうことが以前は多かったが、そうしたこともせず新車時からの風情を大切にされてきたのだ。だから塗装の痛みや部分的にサビが浮き出ている個所があるものの、全塗装したりレストアすることなく維持されている。テールに貼られた「日産プリンス東京」のステッカーも新車からのものだし、ナンバープレートも古い二桁のまま。こうした部分はお金で買えるものではないからこそ、価値がある。

テールランプが横長スタイルなのがセダンの特徴。
直列6気筒DOHCのS20型エンジン。

20年30年とGT-Rに乗り続ける多くのオーナーが感じている魅力として、やはりエンジンの存在が大きいだろう。2リッター直列6気筒DOHCであるS20型エンジンは独特のフィーリングを持っていることで有名。低速トルクはほどほどだが、回せば回すだけパワーが出てくるような雰囲気を備え、事実調子の良い個体であれば大きく重い直列6気筒でありながら7000rpm以上回ってしまう。その時の迫力は相当なもので、カムチェーンによる独特の音とともにドライバーを刺激する。

純正のソレックスに代えてウエーバー48DCOEを3基使っている。

ところが昭和の時代には調子の良くないエンジンが多かったことも事実で、日産プリンス東京で開設されたスポーツコーナーによるオーバーホール歴がある車体には高値がつくほどだった。また専門店によるオーバーホールも広まり、S20本来の性能を取り戻すケースが増えた。

では根本さんのGT-Rはどうだったかといえば、なんとご自身でエンジンをオーバーホールされたという。しかもハイカムを組み込みピストンを変更するなどして、ポテンシャルアップまで図っている。そのため純正からウエーバーへキャブレターを変更、エキゾースト系も変更して吸排気効率を向上させた。それが30年近く前のことだそうだ。

日産ワークスGT-Rたちがつけていたのと同じマッハのステアリング。
1万rpmと240km/hまで刻まれたフルスケールメーター。
ダッシュボード下に水温・油温・燃圧計の追加メーターを装備した。
張り替えられた純正フロントシートはフルバケット形状だ。

エンジンには相当な手間隙をかけられたが、それ以外は至ってノーマル。室内を見れば変更されているのはステアリングホイールと追加メーターくらい。しかも変更したステアリングは日産ワークスによるハコスカGT-Rで定番だったマッハなのだから、こだわりが感じられる。

「昔から好きだった」と語られるように、若い頃に憧れた気持ちが強ければ強いほど、GT-Rがレースで活躍していた頃の姿を維持しようと思われるのだろう。ただ、実際にオーナーになっても面白くないクルマであれば34年間も所有し続けることはないだろう。見て乗って楽しめる存在。それが初代GT-Rなのだ。

キーワードで検索する

著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…