目次
世界の代表的なスポーツカーを購入して比較検討
世界に通用する本格的スポーツカーを開発するに当たって、河野二郎主査率いる開発チームは、1964年の半ばから新型スポーツカーに搭載するエンジンの設計計画と目標性能を定めることになった。
しかし、本格的なスポーツカーを造った経験のないトヨタにとって、どんなクルマにするか目標となるベンチマークを設定する必要があった。そこで、世界の代表的なスポーツカーを実際に購入してテストしたという。ジャガーEタイプ、ロータス・エリート、ロータス・エラン、ポルシェ911、MG-B、アバルト1000GTビアルベーロなどがそれだ。レース用エンジンの参考にするため、ポルシェ・カレラも買ったという。
「TOYOTA 2000GTのテストでは、トライアンフやVWタイプ3、シボレーなども比較車両として乗りました」と、実験を担当した製品企画室レースメカニックの平 博はそう証言していた。
当時のトヨタでは、メカニックがテストドライバーを兼ねていた。そのため、実験部隊にはレーシングドライバーに匹敵するドライビングテクニックを身につけたメカニックがいた。平もトヨタのドライバーとしてレースに出場する話が決まりかけていたが、労働組合の反対で実現しなかったという。ちなみに、班長だった平の下で働いていたメカニックのひとりが、後に「トップガン」と呼ばれ、レクサスLFAのマスターテストドライバーとして活躍した故・成瀬弘である。
様々なストや検討を重ね、ついにTOYOTA2000GTとなる車両の基本計画がまとめられた。
1.本格的なスポーツカーにする。 2.GTレース出場を主目的としたレーシングマシンではなく、日常の使用条件を満足する使い勝手の良さを持った高級なクルマにする。 3.大量生産のための設計配慮を必要とせず、仕上げの良さを旨とする。 4.将来GTレースに出場して、好成績を得る素地を持つものとする。
以上のような大枠に基づいて、エンジン設計の基本計画が作られた。それは次のような内容だった。
1.M型エンジンを基本として動弁系、燃焼室回りおよび吸・排気系を全面的に改良した高性能エンジンとする。 2.目標性能は最高出力150~160ps/6000rpm、最大トルク18kgm/4200~4500rpmとする。ただし、FIAスポーツコードに基づき、GTカーの改造を行って次の性能が得られるもの。最高出力180~200ps/7200rpm、最大トルク20kgm/5000~45500rpm。 3.動弁系:DOHC方式、2段掛けチェーン駆動とする。 4.シリンダーヘッド:半球形燃焼室を持ったアルミ合金製とする。 5.キャブレター:ウェーバーキャブレターを3連装備とする。 6.ラジエター:アルミ製クロスフロー方式とし、クーリングファンは電動とする。 7.潤滑系:オイルクーラーを設ける。 8.点火系:2接点式ディストリビューター、またはセミトランジスタ式とする。
基本計画に書かれた内容は、そのどれもが当時のトヨタではまだ実現したことがない、高度で高性能な内容だった。
DOHC化の設計・開発、製造をヤマハが担当
「最初はレース用エンジンから開発を始めたんです。レース用はリッター100ps、すなわち2ℓで200psが目標でした」と、TOYOTA 2000GTのエンジン関係と補器類を担当した製品企画室の高木英匡は語っていた。
「レース用が優先でした。耐久性、信頼性を徹底的に高めておけば、量産仕様はそれをグレードダウンすればいいわけですから」と、同じく製品企画室の松田栄三も証言している。
3M型エンジンのベースとなるM型エンジンは、1965年8月に発表されたクラウン用の直列6気筒エンジンとして既に開発が進んでいた。M型エンジンは、トヨタの主力エンジンとして改良が続けられ、排気量を拡大して25年に渡って使い続けられた傑作エンジンとして名高い。
その3M型エンジンをベースに、DOHC化する設計と開発、製造を担当したのがヤマハ発動機だ。トヨタ側は、技術部が技術的な面でバックアップしていた。
ヤマハ側でレース用エンジンの開発を担当していた開発部研究課長だった田中俊二はこう語っていた。
「作ったことがない部品が多くて、トヨタさんにいろいろご指導いただいたと思います。その中で非常に印象に残っていることがあります。材料の熱処理がうまくいかないと、ヤマハの場合は焼き入れ性のいい高価な合金鋼を使うんです。ところがトヨタさんではそれが通用しない。じっくりと問題を見極めて熱処理の方法を考える。なるべく普通の炭素鋼を使う。普遍的な材料を使って高品質な部品を作ろうとすると、技術が必要なんですね」
トヨタとヤマハは、お互いに最適なパートナーに巡り合った。その幸運が、TOYOTA 2000GTの開発をより高いレベルへと導いていったのだ。(文中敬称略)