ついに”ルパン三世”誕生!『LUPIN ZERO』最終話はトラック&ピックアップが気になる! あれは、サンバー? ダットサン?マツダ?

『LUPIN ZERO』もついに最終回が公開された。第6話は第5話の続きとなるストーリーで、革命家ガウチョが東京に原子砲(アトミックキャノン)を発射するために船を出港させるシーンから始まる。ガウチョに寄り添う洋子。果たしてルパンは洋子を"盗む"ことができるのか? そして、核の脅威に晒される東京の運命は!?

DMM TVで現在好評配信中の『LUPIN ZERO』も最終回・第6話「少年ルパン、三世を名乗る」が 1月13日から配信が開始された。その内容と共に、登場するクルマを始めとしたリアルなメカニックを見ていこう!

ルパン三世vsガウチョ……洋子をめぐるふたりの戦いの結末は?

■STORY
原子砲(アトミックキャノン)発射まで、残りわずか。革命家ガウチョのもとに届けられたのは、「ルパン三世」としての初めての予告状だった。少年ルパンは、如何にして三世を名乗ったか? 父・二世との因縁は? 洋子を盗み出すことはできるのか? 進むべき道を決めたルパンは、相棒・次元と共にガウチョに立ち向かう。はじまりの砲声が東京の夜空に響き、少年はいま、大泥棒への一歩を踏み出す。

同じ生き方を選んだふたりの大人との戦い

全6回シリーズの『LUPIN ZERO』もついに最終回だ。第6話は第5話「その男、密かに躍る」の後編に当たるエピソードで、革命軍のガウチョが原子砲を載せた貨物船を出港させようと準備を進めていたところにルパン三世から「明朝五時(原子砲の発射時刻でもある)、歌姫(洋子)をいただきに参上します」との予告状が届いたところから物語が始まる。

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シリーズも終盤に入り、物語も佳境を迎えた『LUPIN ZERO』。第5話と第6話(最終回)は前・後編でストーリーとなっており、これまでにないスケールで展開される。少年ルパンの甘く切ない恋の行方と次元との熱い友情。そして、少年は祖父や父の言いなりになるのではなく、自分の意思で泥棒になることを宣言。誰もが知る"ルパン三世"の物語はこうして始まるのだった。

今回、少年ルパンが対決するのは父・ルパン二世と革命家ガウチョだ。
そして、このふたりは少年ルパンが決意した「ワクワクの言いなりになる」生き方を選んだ大人たちでもある。すなわち、将来なり得るルパン”三世”の姿でもあるのだ。

追いかけっこの末に父が息子へ贈った言葉の重さ

ガウチョが港を発とうとする6時間前、ルパン邸ではしのぶに化けたルパン二世が息子を東京から逃がそうとひと芝居打つが、正体を見破った少年ルパンは洋子と原子砲のありかを迫る。
対する父は「愛用のワルサーを盗めたら教えてやる」と言い、少年ルパンが罠を張り巡らせた屋敷の中で父と子の壮絶な追いかけっこが始まった。

「泥棒って生き方はな、手に入れるだけじゃない。たくさん失うってことでもある」と優しく息子に諭すルパン二世。彼は泥棒という生き方を通じてたくさんのものを手に入れ、それと同じくらい多くのものを失ってきたが、彼の人生で得たいちばんの宝物は息子である少年ルパンだったのかもしれない。

このシーンは『Part1』中盤以降の宮崎 駿さん&高畑 勲さんの演出を彷彿とさせるテンポの良いコミカルなアクションが見どころとなっており、後半パートで予見されるシリアスな展開を前に一服の清涼剤となっている。
そして、追跡劇の果てに少年ルパンがルパン二世の懐から拳銃を奪い去ったことで父子の追いかけっこは終止符が打たれる。その後、ふたりは屋敷の縁側で対面し、ルパン二世は約束通り原子砲の在り処を伝えるとともに、息子の門出に「泥棒って生き方はな、手に入れるだけじゃない。たくさん失うってことでもある」との言葉を贈り、餞別として愛銃「ワルサーP-38」を譲る。
父は少年ルパンの成長を認めつつも「ワクワクの言いなりになる」という息子の生き方には「祝福」だけでなく「呪い」があることを諭したのだ。

革命家・ガウチョもまた少年ルパンと同じ生き方を選んでいた

そして、少年ルパンが対決するもうひとりの男・ガウチョ。その過去が劇中で語られている。
ガウチョの出自や革命を志した経緯は定かではないが、雪の降る戦場で洋子が兵士に乱暴されかけていたのを助けたことがふたりの出会いだった。時系列や戦場の様子、倒された兵士の装備(おそらく北朝鮮軍か中国義勇軍の兵士)から判断して朝鮮戦争で間違いないだろう。少女が友軍兵士に襲われている現場に出会わせた彼は、彼女を助けるためにとっさに味方兵士を倒してしまったのだ。軍にいられなくなった彼は、おそらく洋子とともに日本に渡り、そこで彼女と別れて単身インドシナ(ベトナム)やマラヤ(マレー)、フィリピンに渡り、民族解放運動に身を投じたようだ。

革命軍の首魁・ガウチョ(右)と副官。その容姿は同時代の革命家チェ・ゲバラを彷彿とさせるものがあるが、革命に対して手段と目的を取り違えたのが彼とゲバラの違いでもある。

15年前の戦場で彼は洋子にこう語った。「革命だよ。世界が変わるんだ。ワクワクしないか? オレの手が世界に触っている。オレが世界を変えるんだ」と。
すなわち、彼もまた少年ルパンと同じく「ワクワクの言いなりになる」生き方を選んだ男だったのだ。

第二次世界大戦を挟んだ前後それぞれ20年……1920~60年代はまだ共産主義運動に夢や希望を信じられた時代であった(同時に裏切りが明らかになった時代でもあったわけだが)。
おそらく、ガウチョも新しい世界への理想から革命運動に参加したのだろう。そして、各地で勝利を重ねていくことで革命への手応えを感じていたに違いない。だが、彼はいつしか革命の道を歩む自分に陶酔し、連戦連勝を重ねるうちに己を見失って目的と手段を取り違えてしまったようなのだ。
これこそが「ワクワクの言いなりになる」生き方の「呪い」であはないだろうか?

東京を攻撃目標に選んだガウチョの致命的な戦略ミス

今回の作戦でガウチョは大きなミスをふたつ犯した。ひとつは原子砲の照準を東京に定めたことだ。
冷静に考えれば、彼が狙うべきはフィリピンのスービック海軍基地(当時。現在はフィリピン政府に返還済み)と並ぶアメリカ軍の一大拠点のある横須賀であったことがわかったはずだ。横須賀の在日米軍を人質に日本政府と交渉すれば、政権の明け渡しは無理でも何かしらの政治的な譲歩は引き出せたかもしれない。仮に交渉が決裂しても横須賀が核で消滅すればアメリカ海軍第7艦隊は母港を喪失することになり、手痛い損失を蒙ってインド太平洋方面におけるアメリカのプレゼンスは大幅に低下する。そうなればフランスに代わってインドシナへ軍事介入を進めようとしていたアメリカの出鼻をくじくことに成功し、盟友ザップ将軍の大きな助力となったことだろう。

また、横須賀は周囲を山に囲まれた地形で、核砲弾が打ち込まれた場合でも民間人の犠牲も最小限に抑えられたはずだ。そうなれば当時の世相を考えると「核攻撃を受けた責任は政府とアメリカ軍の駐留にある」として日本の世論を味方につけることができたかもしれない。

革命軍の核による恫喝に対し、日本政府は玄関体制を敷き、警備のため御殿場の駐屯地から陸上自衛隊の機甲部隊を出動させる。首相官邸に陣取るのはアメリカから陸上自衛隊に供与されたM24軽戦車。

しかし、ガウチョは東京を標的に選んでしまった。首都を人質に取られては日本政府は交渉の余地がなくなって身動きが取れなくなるし、東京が核で消滅すれば交渉チャンネルはなくなるわけで、砲撃後は政治的要求を突きつける相手がいなくなってしまう。しかも、核はあくまでも政治的兵器であり、実際に使ってしまえば交渉の切り札としての効力を失ってしまう。

M24は第二次世界大戦末期の欧州戦線で初陣を飾り、朝鮮戦争やインドシナ戦争でも使用された。製造は自動車メーカーのGM(ゼネラルモータース)で、エンジンはキャデラック製V8を2基備える。戦車と自動車メーカーは実は密接な関係にある。

あるいは東京への核攻撃とともに日本各地で仲間が決起する計画だったのかもしれないが、罪のない900万人の都民(当時)の生命を奪った末の革命が果たして成功するだろうか?
しかも、核戦争一歩手前で辛くも第三次世界大戦を回避したキューバ危機の直後であることを考えれば、ソ連や中国といった共産圏の国々も核による民間人虐殺を行った革命軍を表立って支援することはないだろう。誰からの支持も受けない革命は革命たり得ず、犯罪として厳しく処断されるのみ、ということを革命の果実を手に入れることに急き、熱に浮かされていたガウチョはすっかり見落としているのだ。

少年アルベールとともに首相官邸に乗り込んだルパン1世。孫にすべてを託し、命を張ったギャンブルとして東京に残留を決めた。

劇中でのガウチョは自分たちの行為によって核の炎で焼かれる無辜の人々を省みる様子は一切なく、そこにはひとりの少女を救うために味方の兵士を思わず手に掛けてしまった優しい男の姿はなかった。

捨てられた愛車・ノートン500をルパンが奪った意味とは……

そして、ガウチョはもうひとつ見誤ったことがある。それが「ルパン三世」を名乗る少年の存在だ。
時刻は5時。核砲弾が原子砲へと装填され、あわや発射されるというタイミングで予告通りに現れたルパン三世。彼は東京の運命も、ガウチョの革命もお構いなしに自身の内なる欲求に従って洋子を盗みにやってきたのだ。
焦るガウチョはルパンを尻目に核の発射を強行しようとするが、原子砲はすでに相棒の次元が占拠しており、その砲身は東京ではなく船のブリッジに向けられていた。その刹那、核弾頭を抜いた砲弾が発射され、またたく間に船に火柱が上がる。

相棒としてルパンとともにガウチョとの戦いに挑む次元。だが、経験不足からか敵の副官に背後を取られピンチに陥ったところを応援に来たしのぶに救われる。

炎の中で船体を傾かせ、沈みつつある貨物船の甲板で、ルパン三世は放置されていたガウチョのバイクにまたがり最後の戦いに挑む。
このバイクの名はノートン500(16H)。映画『モーターサイクル・ダイアリー』をご覧になった方ならピンとくるだろう。そう、若き日のチェ・ゲバラが友人のアルベルト・グラナードとともに南米大陸横断旅行に用いたあのイギリス製バイクだ。

ノートン500(16H)

1911年に誕生し、改良を重ねながら1954年まで製造された。エンジンは500cc単気筒SV(サイドバルブ)を搭載し、サスペンションはフロントにガーターフォーク、リアはリジットフレームというシンプルな構造。民生用だけではなく軍用としてもイギリス連邦を中心に活躍され、第二次世界大戦の連合軍勝利に貢献した。

キューバのゲリラ指導者で革命家のチェ・ゲバラ。1928年にアルゼンチンで生を受けたゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部在学中に友人とともにバイクで南米大陸横断旅行を経験する。旅の過程で貧困に苦しむ人々と出会い、それがきっかけでマルクス主義に傾倒。グアテマラの革命政権が米国に倒されたのを契機に武力によるラテンアメリカ革命を志す。その容姿はガウチョによく似ている(というよりもキャラクターデザインの元となったのだろう)。

設定によればガウチョも若い頃からこのバイクを愛用していたらしい。その髪型や格好からも彼は同時代の革命家であるチェ・ゲバラを意識していたことは間違いなく(年齢はガウチョのほうがおそらく上になるが)、同じバイクを愛用していることは彼にとっては密かな誇りでもあったはずだ。
そんな掛け替えのない愛車は混乱の中で甲板上に放置され、あまつさえルパン三世に奪われてしまった。言うまでもなく、映像作品においてバイクは自由と孤高の魂のメタファーだ。
ゲバラは愛車との別れを経て革命への道を歩むことになったが、ガウチョは愛車を奪われたことで革命の夢に破れることになる。

若き日のゲバラの交遊録には意外な人物が登場する。のちにパンテーラで有名になるデ・トマソ社を起こしたアレハンドロ・デ・トマソだ。アレハンドロはアルゼンチンの豪農の息子であったが、父が大統領選に立候補した直後に急死(暗殺とされる)。政敵であったペロンが軍事政権を樹立すると私有財産を没収され、報復のためペロン暗殺を企てるも失敗して国外に逃亡。その後、イタリアでレーサーとして活躍し、富豪の娘を射止めてデ・トマソ社を起業した。
デ・トマソを代表するスーパーカー「パンテーラ」。フォード社で辣腕を奮った(後に社長就任)リー・アイアコッカの肝入りで、フォードGT40を継ぐブランドイメージリーダーとして企画された。ギア社によってデザインされたボディのリヤミッドに、フォード351C(クリーブランド)-4V(4ベンチュリ)5.8L V型8気筒OHVを搭載。11.0:1の高圧縮比から335psのハイパワーを絞り出す(ヨーロッパ仕様)。1971年にデビューしてから1992年まで長きにわたって生産されたが、プロジェクトは1960年代後半からスタートしており、アレハンドロ・デ・トマソ、リー・アイアコッカ、チェ・ゲバラの活躍は、まさに『LUPIN ZERO』とほぼ同時代なのだ。

映画のようなクオリティ! 神作画のふたりの戦いに刮目せよ!

ここからのバイクアクションを交えたふたりの戦いは、長く続いたルパンシリーズでも屈指の名シーンとして後々まで語り継がれることになるだろう。
キャラクターを乗せた状態でバイクを描くのはバランスを取るのが難しく、1枚絵でも手間がかかるというのに、精緻に描かれたノートン500が縦横無尽に甲板の上を走り、ワルサーP-38が火を吹き、トンプソン・サブマシンガンが銃弾の雨を降らせる。
作画のクオリティは極めて高く、動きはスムーズでタイミングも完璧。まるで劇場作品を見ているかのような神作画である。

とくにルパンの乗るバイクが奥から手前に右旋回しながら後輪を滑らせて次元のもとへ駆けつけ、再び左旋回しながら走り去るカットや、奥からバイクが突進しながらグレネードランチャーの爆発の瞬間にジャンプでかわして手前に向かってくるカットは、今日主流となった3DCGならともかく、『LUPIN ZERO』のような手描きアニメでは描くのが難しいアニメーター泣かせのカットだ。こうしたシーンの連続からも制作スタッフの実力の高さや並々ならぬ気合が伝わってくる。

泥棒の生き方につきまとう「呪い」の洗礼を早くも受ける

そして、戦いの結末は……。これは見る人によってさまざまな解釈があるはずで、あれこれと講釈を垂れるのも無粋というものだろう。ぜひその目で見て自分自身の答えをみつけてほしい。ただひと言述べるとすれば、戦いの中でルパン三世が気づいたように、ガウチョもまたルパン三世が自分と同じ種類の人間であることに気づいた故の結果だったのかもしれない。
いずれにしても『ルパン三世Part1』の大隅正秋さんの演出を思わせる、男の生きざまと死にざま、そして戦いの果てに残された女の悲哀を描いたハードボイルドな幕引きであった。

こうして父であるルパン二世が息子へ手向として贈った言葉、すなわち泥棒という生き方に常に付きまとう「呪い」の洗礼をルパン三世は早くも受けるかたちとなった。そして、これは『LUPIN ZERO』だけに留まらず、『ルパン三世』シリーズに流れるテーマのひとつなのではないだろうか。

最愛の男を目の前で失った洋子。ルパンに向けて悲しい眼差しで笑みを浮かべる。絶妙な作画と早見沙織さんの演技により彼女の心情がひしひしと画面から伝わってくる。

過去作品では見落とされることもあったこのテーマにスポットを当て、これまでのシリーズから逆算して『ルパン三世Part1』へとつながる物語を見事に描いた本作は、まごうことなく『ルパン三世』シリーズでも指折りの傑作に入るだろう。
『ルパン三世』シリーズというだけでなく、ひとつのアニメ作品、昭和をテーマにした青春譚としても見どころの多い作品である。まだ見ていないのであれば、とくに『ルパン三世』ファンには強く視聴をお勧めしたい。
そして、筆者もひとりのファンとしては続編を心待ちにしていることをつけ加えておく。

『LUPIN ZERO』で巧みに描かれた
1960年代前半=昭和30年代後半のモータリゼーション

クルマ好きなら劇中のそこかしこに描かれているクルマの車種が気になって仕方ないのではないか? ここからはそんな”劇中車”の謎解きをしてみよう。今一度『LUPIN ZERO』最終話を見直して、見比べてみてはいかが?

平和が戻った東京の日常風景、渋滞した車群の中にそれらしき姿を見つけた57年型シボレー(150か210かベルエアかグレードまでは判別不能)。まだ国産車の性能が未熟だったこともあり、石油危機(オイルシショック・1973/1979)まではアメ車の人気が日本でも高かった。
同じく渋滞した車群の中にそれらしき姿を見つけた2代目トヨタ・コロナ(T20系)。同車は1960~1964年にかけて生産され、ダットサン・ブルーバード(310系)のライバルであり、高度成長期の代表的なマイカーとして人気を博した。
同じシーンでその姿を発見した初代スバル・サンバー(写真は1961年式)。スバル360のコンポーネンツを利用した軽バン/トラック。RRレイアウト、トーションバースプリング&トレーリングアームによる4輪独立懸架サスペンションなどの高度なメカニズムはそのまま受け継がれた。
やはり同じシーンでその姿が認められる4代目ダットサン・トラックは、1957年に誕生した日産のピックアップトラック。エンジンはオースチン製を参考にした1.0L直列4気筒OHVを搭載し、頑丈なラダーフレームは過積載にもよく耐えた。劇中では荷台に幌をかけている。
渋滞のシーンで特徴的なキャビンをあらわにしたマツダD1500セミキャブオーバートラック。1958年に誕生し、同社のT1500/T2000オート三輪とともに高度経済成長期を支えた。現在では残存数10台ほどの希少車となっている。
いすゞBXシリーズのボンネットバスも渋滞のシーンに姿を見せている。1947年デビューと古く、1960年代に入ってからは徐々にフルキャブオーバータイプのバスにその座を取って代わられ、東京では次第に見かける機会が減って行く。
1952年に誕生した日本初のセンターアンダーフロアエンジン式バスの日野BD型バス(ブルーリボン号)は渋滞のシーンに2台登場。エンジンを水平にして床下に収め、乗車定員を増やした画期的なバスだった。
渋滞をよそ目に走る都電800型は1947~68年にかけて活躍。「日本信託銀行前」との電停名表記が見られることから、渋滞のシーンが中央区日本橋3丁目付近であることがわかる。

ほかに第6話に登場した乗り物としては、ガウチョが乗っていた船がある。
この船は3代目・日章丸(出光興産のタンカー/1962年竣工)がモデルのようで、第5話に登場している米国籍の船に偽装しているとの設定のようだ。

『ルパン三世』のエンディングはやはりバイクが走るシーンが欠かせない

最後にエンディングでルパンと次元が乗るオートバイにも触れておこう。
これは1959年に登場した日本初の高性能スポーツバイク・ヤマハYDS-1だ。当初は250Sの名称で販売されていたが、3000台出荷を機に改名された。

タンデムでヤマハ・YDS-1を乗り回す少年ルパンと次元。タンクには「YAMAHA」のロゴが見える。『LUPIN ZERO』のエンディングが夕方のバイク疾走シーンというのは、やはり『ルパン三世 part1』で峰不二子がハーレーを走らせているエンディングのオマージュだろうか?

YDS-1は、第2回浅間火山レース(1957年)に向けて作られ、見事表彰台を独占した(※)ワークスマシン・YDレーサーを原型とし、当時としては珍しい鋼管ダブルクレードルフレームに最高出力20psを発揮する2スト250cc2気筒エンジンを搭載。さらに国産車初の5速トランスミッションを組み合わせたほか、タコメーター内蔵のコンビネーションメーターを備えるなど先進的なモデルだった。
レース用のキットパーツもリリースされ、市販レーサーとしてクラブマンレースなどで幅広く活躍。RZ250やTZR250へとつづく、まさにヤマハ2ストロークレーサーレプリカの始祖と言える1台だ。

ほぼ正面からのカットではダブルクレードルフレームと2ストローク空冷並列2気筒エンジンがよく見える。また、ヘッドライトスクリーンでカスタムされている。

※1957年の第2回浅間火山レースで優勝した益子治氏はのちに四輪レースに転向し、三菱のフォーミュラやコルト1000などで活躍。後に三菱車のチューニングやレースカーのメンテナンスを行うテスト&サービスを設立する。2位は砂子義一氏で、1963年に四輪に転向し、プリンス/日産のワークスドライバーとしての活躍は広く知られるところである。
『LUPIN ZERO』の舞台となった時代のレース事情に思いを馳せるのもまた一興。

ヤマハ・YDS-1
LUPIN ZERO
原作:モンキー・パンチ
監督:酒向⼤輔
シリーズ構成:⼤河内⼀楼
設定考証:⽩⼟晴⼀
キャラクターデザイン:⽥⼝⿇美
美術監督:清⽔哲弘/⼩崎弘貴
⾊彩設計:岡亮⼦
撮影監督:千葉洋之
編集:柳⽥美和
⾳響監督:丹下雄⼆
⾳響効果:倉橋裕宗
⾳楽:⼤友良英

メインテーマ「AFRO"LUPIN'68"」
作曲:⼭下毅雄
編曲:⼤友良英
エンディングテーマ「ルパン三世主題歌Ⅱ」
歌:七尾旅⼈
作曲:⼭下毅雄
編曲:⼤友良英
劇中歌「かわいい男の⼦」
歌:SARM
作詞・作曲:荒波健三 

アニメーション制作:テレコム・アニメーションフィルム
製作:トムス・エンタテインメント

声の出演
ルパン:畠中祐
しのぶ:⾏成とあ
次元:武内駿輔
洋⼦:早⾒沙織
ルパン⼀世:安原義⼈
ルパン⼆世:古川登志夫

原作:モンキー・パンチ ©TMS

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…