4月9日に埼玉県にある「道の駅かぞわたらせ」で開催された「昭和平成なつかしオールドカー展示会」は主催こそ道の駅だが、車両展示には日本旧軽車会が全面的に協力している。埼玉県在住の趣味人である吉崎 勝さんが中心となって結成されたクラブで、関東近県のオーナーたちで構成されている。
その名の通り古い軽自動車に乗る人が多く、吉崎さん同様に埼玉県在住であることも多い。日本旧軽車会のメンバーは会場で揃いのジャンパーを着ているからひと目で判別できる。その中の一人である戸枝靖博さんを紹介したい。
というのも戸枝さん、若い頃は4WDばかり乗り継ぐオフロード好きだった。武骨なスタイルもお気に入りで、適度にカスタムも楽しまれていた。ところが結婚を機にクルマを手放さなければならなくなる。かと言ってクルマがない生活をクルマ好きが長く続けらるわけもない。結婚後しばらくして奥様にクルマが欲しいと相談すると、「4人乗れる4ドア車で50万円以内」なら良いとお許しをもらえた。
そこで戸枝さんは考えた。ドアが4枚あって4人乗れる趣味車はないものかと。色々考えるうち、たまたま中古車雑誌に掲載されていたバモスホンダに目が釘付けとなる。バモスホンダは1970年に発売された多用途に使える商用車。軽トラックであるTNⅢ360をベースに屋根を取り払い、乗降性を良くするためドアではなく保護用ガードパイプを採用した奇抜なスタイルが特徴だった。
バモスホンダには2人乗りのバモスホンダ-2、4人乗りのバモスホンダ-4、さらに荷台後ろ端までホロでカバーした4人乗りのフルホロと3タイプが用意された。名目は警備用や建設現場用、工場内運搬用、電気工事用、農山林管理用、牧場用などと謳われていたが、どう考えてもレジャーモデルとしか受け取れない可愛らしいスタイル。
それゆえ月産目標は2000台だったが販売は振るわず、3年後には生産を終了してしまう。ところが皮肉なことに中古車となってからバモスホンダは人気が高まる。これはライフをベースにしたステップバンやピックアップと同じ現象で、遊び向けの手頃なクルマとして若い層から支持されたのだ。
戸枝さんがバモスホンダを見つけて手に入れたのは今から30年ほど前のこと。その当時は今と違って格安な物件が数多く見つかり、程度も新車のままで残されていたケースさえ多くあった。とはいえ、このスタイルを見て「4人乗り・4ドア」という条件を満たしているとは誰しも考えないところだが、意外なことに奥様も了承してくれた。いかに戸枝さんがクルマが好きでクルマに飢えていたかを良くご存じだったのだろう。
バモスホンダを見に行った戸枝さんはその場で手付金を払い見積書を持って帰宅。すると意外なことに奥様から反対されることもなく、スムーズに新たな相棒を手に入れた。それからはボロボロになっていたホロを直して前後シートを張り替えるなど、一通りの化粧直しを済ませている。ところが保管場所は青空駐車場。オープンカーを所有した経験があればご存じだろう、ホロは寒い時期に縮んでくる。まして荷台後ろ端まで長い距離のあるフルホロだと顕著に縮み、数年で使えなくなってしまう。そこで戸枝さん、ホロをすることを諦めた。というよりやめてフルオープン状態で楽しむことにされた。
一つ吹っ切れると楽になるもので、駐車場ではボディカバーをする前に荷台へモノを積んで雨降りの後で水が溜まらないようにしているとか。とはいえ順風満帆だったわけではなく、一時は5年ほど車検を切らして置くだけの日々も続いた。
お子さんの誕生によりまともなクルマが必要になったことで、一般的なモデルを乗ることにしたのだ。子育てと趣味車をどちらも同時進行させる余裕はなかったが、戸枝さんはバモスホンダを手放すことなど考えなかった。保管中もエンジンをかけて駐車スペースの中でクルマを前後させるなど、調子を維持する努力を続けられたのだ。
そして今から8年ほど前、ホンダ製360cc時代の軽自動車を専門に扱うネオライフというショップに頼んで復活させることにした。現在61歳の戸枝さんだから復活当時は50代。ちょうど子育てがひと段落して余裕ができたタイミングでのこと。
それからは堰を切ったようにバモスホンダを楽しむことにされた。日本旧軽車会に入ったことで旧車趣味が加速しているようで、春や秋は毎週のように各地のイベントへメンバーとともに参加されている。この日も事務方としてイベントを支えつつ、仲間たちと談笑を楽しまれていた。動かせないクルマのために何年も駐車場代を払い続けたことが、今になって報われていることだろう。