超レア!! ウォルター ウルフ レーシングのベクターW8を見た! アメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』で見つけたすごいクルマ vol.1

2023年10月22日(日)、ダイバーシティ前にあるお台場ウルトラパークにて『Super American Festival at お台場』が開催された。今回で記念すべき30回目を迎えたこのイベントに、1970年代後半のF1シーンで活躍した伝説のエンブレムを掲げた一団が参加していた。カナダの石油王が唯一公認した『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』の展示スペースには、デイトナ ・コブラ 、デ・トマソ・パンテーラ Gr.4、フォード・モデルA・ロードスターなどの綺羅星のような名車が並ぶ。今回はその中から幻のアメリカ製スーパーカー・ベクターW8を紹介する。
REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

ウォルター・ウルフ氏公認! 『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』
そのブースに展示されていたのは驚愕のマシンだった!?

『Super American Festival at お台場』(以下、アメフェス)の会場で一際異彩を放っていたのが『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』の展示スペースであった。

一気に見せます! お台場で開催されたアメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』!! 250台以上の展示車両の中には激レアモデルも!?

アメリカ車ファンの祭典『Super American Festival at お台場』がダイバーシティ前にあるお台場ウルトラパークで開催された。記念すべき30回目を数えた今回のイベントには、1920年代~最新モデルまで、さまざまな年代・車種・仕様のアメリカ車が集まった。カーショーだけでなく、ライブステージ、スワップミートと楽しみ方はさまざま。今回はエントリー車の中から注目すべきマシンを数台ピックアップしつつ、イベントリポートをお送りする。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

早朝、『アメ車ワールド』の田中編集長がドライブするシボレー・トレイルブレイザーで現地入りすると、会場の一角に磨き上げられた深いブルーの車体に、金縁真紅で書かれたWの文字が踊る大型トラックを見つけた。アルファベットの中には狼のイラストが描かれている。間違いない。アレは、あのエンブレムは『ウォルター ウルフ レーシング』だ!

『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』のトランスポーター・三菱スーパーグレート。ネービーブルーの車体にウォルター ウルフ レーシングのエンブレムが光り輝く。

その瞬間、血が滾り、このエンブレムを纏った名車の数々が脳内をハイスピードで駆け回った。忘れるはずもない。カナダの石油王にして熱狂的なエンスージアストであり、豊富な資金を生かして1970年代後半のF1サーカスに参戦し、ライバルの強豪チームを相手に活躍を見せたウォルター・ウルフ氏が自身のマシンに与えた紋章である。

入場してシボレーの助手席を降りると、脇目も降らずに狼のエンブレムの元に駆け寄り、そして腰を抜かさんばかりに驚くのであった。展示スペースにはデイトナ ・コブラ 、デ・トマソ・パンテーラGr.4、フォード・モデルA・ロードスターピック、同ロードスター、そして、ベクターW8と、綺羅星の如きマシンが、さも当然とでも言うように置かれていたのだ。佇まいや醸し出すオーラからレプリカではないことはすぐにわかった。つまりはどのクルマもホンモノということである。

デイトナ ・コブラ 、デ・トマソ・パンテーラ Gr.4、ベクターW8、フォード・モデルAなどが並ぶ『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』の展示スペース。W8以外の車両については次回以降に紹介しよう。

スタッフを捕まえて問い詰めると、出展者は『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』と名乗った。不勉強な筆者は知らなかったが、同社はウォルター・ウルフ氏が世界で唯一公認している企業であると同時に、日本国内における商標登録6030264号の認証取得『ウォルター ウルフ レーシング』として、レストア、板金・塗装、事故車修理、カスタム、チューニング、自動車販売、各種カーサービス、イベント運営などを行っているという。2023年7月22日・23日に開催された『アジア自動車ラリー茨城・千葉』も同社が主催したものだという。

発表から誕生まで10年!
世界最速を目指したアメリカ製スーパースポーツ ・ベクターW8

今回『ウォルター ウルフ レーシング』が会場に持ち込んだ車両は、どれも希少なものであることに変わりはない。その中でも筆者が注目せざるを得なかったのが、1990年型ベクターW8であった。じつを言うと、このマシンをこの目で見たのは初めてのことだった。

ベクター初の市販スーパースポーツのW8。アルファロメオ・カラボやランボルギーニ・カウンタックなどを手掛けたマルチェロ・ガンディーニの影響が感じられるウェッジシェイプを生かした直線基調のスタイリングだ。

W8の産みの親であるジェラルド・ヴィーゲルが、ベクターの前身となる空力デザインを主業務とするバイシクル・デザイン・フォースをカリフォルニア州ロサンゼルス市に起こしたのは1971年のことだった。
彼は欧州のスーパースポーツにも負けない市販マシンの製作を夢見ていたが、資金難からなかなか実現には至らず、念願かなってようやくマシンが形となったのは、社名をベクター・エアロ・モーティブに改称した後の1978年のことであった。

ベクターの創業者にしてチーフエンジニアのジェラルド・ヴィーゲル。

コンセプトカーのW2を発表し、市販化に向けて動き出したものの、慢性的な予算不足からベクターの市販スーパースポーツ開発計画は遅々として進まずにいた。結局のところW2は増加試作とでも言うべき17台を製造したに留まり、資金確保のためそれらはすべて売却されてしまう。

プロトタイプとなるベクターW2。市販化を前提に1978年に発表されたが、慢性的な資金難のため開発作業は遅々として進まず、量産バージョンのW8が誕生したのは10年後の1988年のことだった。

一時はベクターの開発計画は中止も危惧されたが、幸運なことに公募増資による資金調達が上手く行き、ブランドを廻る訴訟に勝訴したことで1980年代に資金繰りが大幅に改善される。これを受けて開発作業は急ピッチで進められることになり、工場施設・従業員数を大きく拡充し、量産体制が整ったことも後押しして、W2をベースに改良した同社初の市販量産スーパースポーツ ・W8が誕生した。

航空機技術を応用した斬新な設計のミッドシップレイアウト
エンジンはシボレーのレースユニットをベースにツインターボ化

W8の設計はベクター創業者にしてチーフエンジニアのヴィーゲルと、技術者のデビット・コストカによるもので、当時最先端であった航空技術を大胆にもフィードバック。シャシーはアルミモノコックを採用し、シャシー構造材の接合にはエポキシ樹脂を用いて接着。カーボンケプラー製のボディとアルミ製ハニカム構造のフロアパンとは航空機用リベットを使って接合された。

ベクターW8のサイドビュー。

横置きミドシップに搭載され心臓部は、シボレー設計のレース用6.0L V型8気筒OHVを搭載しており、オールアルミ製のエンジンブロックはロデック製、TRW製鍛造ピストン、キャリロ製ステンレス鋼コンロッド・バルブ、鍛造クランク、ドライサンプシステムなどのレース由来のパーツやテクノロジーを惜しみなく注ぎ込んだ。その上、ダメ押しとばかりにギャレット製ツインターボで過給。その結果、650hpの最高出力を叩き出し、0-60mph(約96.6km/h)加速は4.1秒、推定最高速度は351km/h (米Road & Track誌による試算)にも達した。トップスピードは当時最新鋭だったフェラーリF40やポルシェ959、ランボルギーニ・ディアブロを上回る数値であり、世界最速の量産車であることが証明された瞬間であった。

カウルフードの隙間からはシボレー由来の6.0L V8OHVツインターボユニットがわずかに見える。高性能パーツが惜しみなく使用されたレースユニットだ。組み合わされるギアボックスはGM製3速ATのターボハイドラマチック(THM)425となる。もともとは1966年型オールズモビル・トロネード用に開発された前輪駆動用の変速機だ。

生産は手作業で勧められたことから量産車が顧客の手元に渡るまでには長い時間が必要とされた。だが、顧客のひとりであり納車を待ちきれなかったトップテニスプレイヤーのアンドレ・アガシは、ラインオフしたばかりのW8を強引に引き取り、同社の「車両の最終テストが終わるまでけっして運転をしないように」との警告を無視して乗り回した末に、案の定故障を頻発させてしまう。これに怒ったアガシは自身の不明を恥じることなく返金訴訟を起こした。ベクターに瑕疵がなかったとは言え、このことがベクターのビジネスに暗い影を落としたことは否めない。

ベクターW8のリアビュー。

そして、1992年にベクターはインドネシア企業傘下のメガテックに敵対的買収を仕掛けられ、ヴィーゲルは自身が起業した会社を追われることになった。新経営陣はランボルギーニ製エンジンを搭載したM12を生産するために、W8の製造は中止された。

ベクターを買収したメガテックが主導して開発したW8後継車のM12。メガテックの親会社はインドネシアのセトコグループで、同時にランボルギーニも傘下に収めていたことから同社製のV12が搭載されることになった。

1993年の生産終了までにラインオフしたW8は、試作車2台を含めてわずか19台しかなく、紆余曲折を経て2021年に製造会社は廃業している。そんな幻のスーパーカーを『ウォルター ウルフ レーシング ジャパン』が入手し、徹底的なレストア作業を経てアメフェスの会場にて公開したのだ。この希少なスーパースポーツをイベント当日に間近で見られた人は誠に幸いであった。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…