昔から欲しかったホンダ・エス! クーペという選択肢もある! 【第19回まつどクラシックカーフェスティバル2023】

子供の頃に憧れたクルマへの想いはいつまで経っても色褪せない。10代の頃、目にして以来長く欲しいクルマの筆頭だったホンダ・エスを50代半ばにして手に入れた人もいる。40年以上も思い続けるほどの魅力は一体どこにあるのだろう。オーナーの話から想像してみたい。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1966年式ホンダS800クーペ。

近年だと生産中止が発表された途端に中古車価格が高騰したS660や、海外からの需要が高まり国内でも国産スポーツカーが見直されると中古車価格がやはり高騰したS2000など、ホンダのスポーツカーは絶版になってから人気が高まることが多いようだ。新車が販売されているうちは、いつでも買えるという安心感があるから、ついつい買いそびれてしまうのだろうか。ところが話を1960年代まで遡ると事情が変わってくる。2輪メーカーだったホンダが4輪に進出する1963年8月、初めての4輪市販車となったのが軽トラックのT360。360ccの排気量ながら圧巻の4気筒DOHCを採用するトンデモない軽トラックだった。そして同年10月にホンダ初の乗用車として発売されたのがホンダS500。当初はT360と同じエンジンを搭載する軽スポーツカーとして企画されたが、排気量の小ささからスポーツカーとしての動力性能が得られないと断念。排気量を500ccにまで拡大したS500が誕生したのだ。

ファストバックスタイルが特徴的なクーペ。

360ccから500ccに排気量を拡大したものの、やはりスポーツカーらしい走行性能を得ようとすると役不足であることは否めない。そこで発売から半年も経たない1964年1月に排気量を拡大したS600へモデルチェンジすることとなる。そのためS500を購入したユーザーは無償で600ccエンジンに換装してもらえたというエピソードも残っている。ホンダ・エスは国内販売だけでなく海外へも輸出された。速度域が日本より高い欧州では600ccでも不満の声が上がる。そこでホンダは1966年1月に再度排気量を拡大したS800を発売することになる。

フロントフェンダーのエンブレム。

S800へと発展したことで最高速度が160km/hに達し、ようやく100マイルカーの仲間入りを果たしたホンダ・エス。4気筒DOHCエンジンは791ccにまで拡大されていたが、足回りにも凝った作りが採用されていた。S500からS800の前期まではフロントがダブルウイッシュボーン、リヤにトレーリングアーム式サスペンションが採用された。フロントのダブルウイッシュボーンにはコイルスプリングを入れるスペースがないためトーションバーが採用されたが、面白いのはリヤで大きなトレーリングアームの内部にチェーンが仕込まれている。これも2輪メーカーらしい発想で、最終減速をトレーリングアーム内に配置したチェーンで行っていた。

RSCタイプのアルミホイールにミシュランXASタイヤを履く。

特徴的なチェーンドライブ方式は発進時になどに独特の挙動を示すため、好き嫌いが分かれたようだ。そこで1966年4月にはトレーリングアーム方式を廃止して一般的なリジッドアクスルに変更されている。そのためS800のチェーンタイプは非常に数が少ない。ホンダ・エスの最終モデルになるS800は1968年にも進化を遂げ、フロントにディスクブレーキを採用したほか安全基準に適合させるため前後に大きなサイドマーカーを装備するS800Mへ発展する。

ウッドステアリングはS800より前のものとしてメーターパネルをウッドに変更した。

S500の発売当初からボディ形状はオープン2シーターだったエスだが、S600へ発展した後の1964年10月には2ドアクーペに改装したS600クーペが追加されている。オープンカーは非常に楽しい乗り物だが気候に左右される。耐候性を備えるクーペの需要は、特に海外で根強かったことに対応したものだろう。クーペ化にあたりフロントウインドーが40mm上へ拡大したほか(逆に全高はオープンより低くされた)、サッシュ式ドアに変更されルームミラーが固定式にされている。ファストバックスタイルを採用しつつテールゲートを備えたため、発売時には「レジャーのみならずビジネスにも」というキャッチコピーまで生まれている。

タコメーターはスミスの機械式に変更している。
センターコンソールに電動ファンのスイッチなどを追加している。

ホンダ・エスは国内においてモータースポーツの入門機種としても人気が高かった。とはいえ自家用車がまだまだ高嶺の花だった60年代、贅沢なオープン2シーターや二人しか乗れないクーペを買うことができたのは限られた層だった。庶民には夢のまた夢といった存在で、一般的には360ccの軽自動車に手が届くかどうかという時代。だから憧れることはあっても新車で買えなかった人は大勢いたことだろう。

非常に珍しいヘッドレスト付きのシート。

2023年10月7〜8日にかけて開催された「まつどクラシックカーフェスティバル」の会場に、数台のホンダ・エスが並んでいた。開催地である千葉県には「エスで走ろう会」というホンダ・エスのオーナーズクラブがあるためだろう、8日の日曜日には4台のエスが並ぶことになった。そのうちの1台が珍しいクーペだったため、近くにいたオーナーにお話を聞いてみることにした。

4連キャブがバイクのような791cc水冷直列4気筒DOHCのAS800E型エンジン。

クーペのオーナーは69歳になる鈴木豊さん。ホンダ・エスがまだ新車で買える頃に幼少期を過ごした鈴木さんだから、物心ついた頃からエスに憧れてきた。しかもS800クーペがどうしても欲しかったという。ファストバックの独特なスタイルが好みだったこともあるようだ。だから運転免許を取得してすぐにクーペを購入されたのかと思いきや、このクーペを手に入れたのは2009年のこと。実に鈴木さんが55歳の時であり、それまで長い間憧れ続けてこられた。欲しい気持ちに変化はなく、いつか手に入れようと考えていたのだ。

スギタラジエターで製作してもらったラジエターに電動ファンを装着。

購入したのはホンダ・エスの専門店であるガレージイワサから。このショップは昭和62年だから1987年に創業して翌年から現在の場所で営業を続ける老舗中の老舗。ボディを分解して傷んだ箇所を修復し、エンジンやミッション、サスペンションをオーバーホールするレストアをメインに中古車販売やメンテナンスを行っている。何度も取材したことがある名店で、その技術は確かなもの。だから鈴木さんも安心して買うことができた。とはいえ古いクルマであるため、これまでエンジンを3回、ミッションを2回ほど修理されている。

ナンバープレートはもちろん800!

長く憧れた存在だから、鈴木さんは自分なりにクーペをモディファイして楽しんでいる。ヘッドライトは内部の反射板がダブルになるシビエ製に変更したり、ラジエターを容量の大きなものへ交換。室内でもメーターパネルにウッドを貼ったりタコメーターを変更するなど、こだわりのカスタムが施されていた。またエスはS600までウッドステアリングが標準だったがS800になってから樹脂製に変更されている。これを嫌ってS600までの純正ウッドステアリングに変更した。すでに入手してから14年が経ったものの、このように手を加えるなど少しずつ自分好みにしていくことで、飽きることなく乗り続けている。古いクルマとの付き合い方として、ある意味お手本のようなスタイルを続けいる鈴木さんなのだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…