ド派手なテールフィンにチョップドルーフ! これこそ”アメ車”だ!! アメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』で見たスゴいクルマ vol.4

前回に引き続き、2023年10月22日(日)、ダイバーシティ前にあるお台場ウルトラパークにて開催された『Super American Festival at お台場』(以下、アメフェス)のエントリー車両の中から中から今回は1936年型シボレー・マスターと1949年型フォード・2ドアクラブクーペ、1959年型キャデラック・シリーズ62セダン6ウィンドウ、1961年型コメットを紹介する!
REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

一気に見せます! お台場で開催されたアメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』!! 250台以上の展示車両の中には激レアモデルも!?

アメリカ車ファンの祭典『Super American Festival at お台場』がダイバーシティ前にあるお台場ウルトラパークで開催された。記念すべき30回目を数えた今回のイベントには、1920年代~最新モデルまで、さまざまな年代・車種・仕様のアメリカ車が集まった。カーショーだけでなく、ライブステージ、スワップミートと楽しみ方はさまざま。今回はエントリー車の中から注目すべきマシンを数台ピックアップしつつ、イベントリポートをお送りする。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

1930年代を代表するシボレーの傑作車をベースにした初期のローライダー

シボレー・マスターは、GMがシボレーブランドで販売した大衆車で1933年から生産を開始した。1930年代のシボレーのラインナップは少々複雑で、1930年のシリーズADユニバーサルから始まる大衆車シリーズは、1931年のAEインディペンデンス、1932年のBAコンフェデレートを経て、1933~36年まではスタンダードシックスの名称で販売されていた。これとは別に上級モデルのイーグルが1933年に追加されたのだが、このクルマはモデル途中でマスターに改名されている。そして、1937年にスタンダードシックスがマスターに名称が変更され、上級モデルはマスターデラックスとなったのだ。

1936年シボレー・マスターのフロントビュー。特徴的なフロントグリルはストックのものではないようだ。

スタンダードシックスとマスターの違いは、トリムレベルと装備の違いのみであったが、1937年にマスターとマスターデラックスが登場すると、後者にのみ独立懸架のフロントサスペンションが与えられた(マスターはビームフロントアクスルを引き続き使用した)。なお、1940年にボディデザインを大きく変えた際にスペシャルデラックスを追加して3グレードとなったが、第二次世界大戦の勃発により1942年に生産を終了している。

1936年シボレー ・マスターのリアビュー。ローライダーらしくローダウンした足廻りにはホイールは定番の小径デイトンをセレクト。

マスターのボディバリエーションは豊富で、1936年型を例に挙げると、スタンダードシックスが4ドアセダン、4ドアスポーツセダン、2ドアコーチ、2ドアタウンセダン、5ウィンドウの2ドアクーペ(フロントスクリーンを除いたウィンドウの枚数を数えて区別する)が設定され、マスターにはそれに加えて3ウィンドウのスポーツクーペが設定された。

フロントグリルには車輪を両手に持った女神をモチーフにした女神のオーナメントが備わる。

なお、GMが「アール・デコ」と名付けた流麗なスタイリングを担当したのは、戦前から戦後にかけて数々のGM車のスタイリングを担当し、のちにテールフィンの世界的なブームを生み出したハリー・アールだった。

インテリアはストックの雰囲気をほぼ維持している。90年近く前のクルマとは思えないほど良好なコンディション。

さて、アメフェスにエントリーしていた車両は、グリルは変更を受けているもののボディの形状から判断して、1936年型シボレー・マスター4ドアセダンのようだ。
1930年代までのアメ車をベースにしたBOMB(ボム:爆弾)スタイルで、いわゆる元祖LOW RIDER(ローライダー)だ。ローダウンした足廻りにデイトンホイールを組み合わせており、バランス良く、美しくカスタムされている。 

この車両のドアは観音開き。同じ4ドアモデルでも前後通常の前開きドアの車両もあった。

計算し尽くされたラットな雰囲気でワイルドなカッコ良さを!

こちらもボムスタイルにカスタムされた1949年型フォード・カスタムクーペ。戦前型の乗用車がフェンダーの独立したデザインを採っていたのに対し、近代的なフラッシュサーフェイス化されたデザインの元祖で、その特徴的なルックスから「シューボックス」の愛称で呼ばれるモデルだ。

1949年型フォードカスタムクーペのフロントビュー。フェンダーを一体化したフラッシュサーフェイスデザインを世界に先駆けて導入したクルマだ。

フロントグリル中央にあるのは「バレットノーズ」と呼ばれる装飾で、同時代のスチュードベイカー・チャンピオンなどにも見られる。当時、スピードの象徴であった戦闘機のノーズからインスピレーションを受けた意匠であった。

1950年型スチュードベイカー・チャンピオン。1949~51年型フォードとともにバレットノーズを採用した代表的なクルマだ。

搭載されるエンジンは3.7L直列6気筒サイドバルブと3.9L V型8気筒サイドバルブの2種。いわゆる「フラッドヘッド」エンジンである。
組み合わされる変速機はスライディングメッシュ(非同期変速機)の3速MTとなるが、1951年には3速ATのフォードOマチックも選べるようになる。

1949年型フォードカスタムクーペのリアビュー。マットブラックのペイントにサビの浮かんだクロームメッキのバンパーなどを使い古錆びた雰囲気でカスタムされたラットな雰囲気がCOOL!

フォードはこのモデルから命名方法を変更し、装備やトリムレベルに応じてグレードは「スタンダード」と「カスタム」に整理されたが、1950年から内容はそのままに「カスタム」と「カスタムデラックス」に名称を改めた。

チョップされたルーフ。空力性能を改善するためのカスタムとされているが、実際のところはルーフの低い独特のスタイルにすることが主目的となるようだ。

フォードの基幹モデルということでボディバリエーションは豊富で、2ドアと4ドアのセダン、ファストバックのクラブクーペ、クラブクーペから後席を廃したビジネスクーペ 、2ドアコンバーチブル、そしてオーク材のフレームとウッドペイントが美しい2ドアステーションワゴン(のちにカントリー・スクワイヤに名称を変更を受ける)が設定された。

1949年型フォードカスタムクーペのインテリア。チョップドルーフはスタイリングはカッコ良くなるものの、当然のように居住性は悪くなる。

このクルマは手頃な価格の中古車が出回わるようるとCar Guy(カーガイ≒カーマニア)たちの手に渡り、ドラッグレーサーやHOTROD(ホットロッド)、ローライダー などにカスタマイズされた。この車両もそんな1台で、いつ頃製作されたかは定かではないが、ルーフはチョップされ、左右のAピラーにスポットランプを追加、車高は限界までローダウンされている。車体はマット塗装仕上げにされており、メッキ部分に浮かんだサビがアクセントとなって、ラットな雰囲気を醸し出す。なかなかカッコイイ仕上がりのマシンだ。

4ドアセダンボディの人気が急上昇! キャデラックの王様「1959年型」

1959年型キャデラック・シリーズ62セダン6ウィンドウのフロントビュー。全長6m近い巨体に、テールフィンを備えた絢爛豪華なスタイリングが魅力。まさしく1950~60年代のアメ車を代表する高級車だ。

このクルマについては今さら多くを語る必要はないかもしれない。”キャデラック史上最高傑作”と評され、今でも多くのファンから愛され続けている1959年型キャデラックだ。人気のボディはコンバーチブルと2ドアHT(ハードトップ)で、かつてはセダンモデルは「ドアが多すぎる」とされ、低い評価に甘んじてきた。だが、近年になって再評価され、中古車相場を大きく引き上げている。

1959年型キャデラック・シリーズ62セダン6ウィンドウのリアビュー。世界的に流行したテールフィンは、このクルマでサイズ的な頂点に達した。

リムジンを除くと、この時代のキャデラック4ドア車は「4ウィンドウHT」と「6ウィンドウ」、そしてラップラウンドウィンドウを採用せずテールフィンを小型化した「エルドラド・ブロアム」の3種類が存在した。そのうち、エルドラド・ブロアムは99台がリリースされたのみに留まり(100台生産されたが輸送途中の事故で1台を海に落としたため)、現在ではコレクターズアイテムとなっていることもあって国内のイベントではまず見かけることはない。

動く応接間といった雰囲気の1959年型キャデラック・シリーズ62セダン6ウィンドウのインテリア。パワステやパワーウインドウ 、エアコン、オートハイビームなどの快適装備はこの頃のキャデラックではすでに選ぶことができた。

1959年型キャデラックセダンのグレードは、4ウィンドウHTが「セダン・デビル4ウィンドウ」と「シリーズ62 4ウィンドウ」の2種類、6ウィンドウHTには「シリーズ60スペシャル・フリートウッド」「セダン・デビル6ウィンドウ」「シリーズ62セダン6ウィンドウ」の3種類が用意されていた。

1959年型キャデラック・シリーズ60スペシャル・フリートウッド。アメフェスにエントリーしていた車両と比べると、リアドアから後方にかけての特徴的なキャラクターラインが違いだ。
わずか99台のみがリリースされたキャデラック・エルドラド・ブロアム。同時代のキャデラックシリーズ屈指の高級車だ。外装の意匠は他グレードと大きく異なる。

取材車両は
・シリーズ60スペシャル・フリートウッド固有のリアドアから後方にかけての特徴的なキャラクターラインが無い。
・テールフィンの下に「Sedan DeVille」のバッジが無い。
・インテリアのトリムの意匠
以上の点からスタンダードグレードのシリーズ62セダン6ウィンドウと思われた。
なお、上級グレードのセダン・デビル6ウィンドウとシリーズ62セダン6ウィンドウの違いは、装備とトリムレベル、バッジの違いとなる。

幻の「エドセル」ブランドのサブコンパクトカー「コメット」を知っているか?

これまた国内ではなかなかお目にかける機会が少ない希少車なので紹介しよう。
1960年にフォードがリリースした初代コメットだ。このクルマがユニークなところは、1962年までフォードやマーキュリーと言ったディビジョン名が付かなかったことにある。同様のケースはクライスラーが1960年に発表したヴァリアント(のちにプリマスのデヴィジョン名が付く)にわずかに見られる程度だ。

コメットのフロントビュー。1960年のデビュー時にはディビジョン名が付けられなかったが、1962年型からマーキュリー・コメットとして販売された。

もともとコメットは1958年にフォードとマーキュリーの間を埋める新ディビジョンとして立ち上げられたエドセルのエントリーモデルとして市場に投入される予定で開発が進められていた。ところが、ロバート・マクナマラ率いる”神童※”たちがマーケットを読み違えたことでエドセルブランドは大爆死。わずか3年あまりでブランド廃止となった。
※フォードの経営で強い発言力をもったマーケティング部門のエリート社員

コメットのリアビュー。同時代のサンダーバードによく似た傾斜したテールフィンにつり目のコンビランプを組み合わせたが外観上の特徴。

その結果、販売チャンネルをなくしたコメットは、発売当初はブランド名を掲げない独立車種としてデビュー。高級コンパクトカーとして開発された同車の販売は、当初の予定通り、フォードの高級車チャンネルであったリンカーン・マーキュリー販売店が担当した。

1958年型エドセル・ペーサー。マーケティングの歴史に残る大失敗作として今でも語り継がれるフォードの中級車ディビジョン・エドセル。コメットはそのエントリーモデルとして販売される予定だった。’

エドセルブランドはフォードの社運を賭けたプロジェクトとして生まれただけあってコメットも大いに期待されていたようで、その車名は米ソの宇宙開発競争華やかなりし時代の世相あやかったものだ。その命名にあたっては他社からわざわざ商標を購入したほどであった。

ターコイズブルーでコーディネートされた美しいコメットのインテリア。メーターまわりはリアのコンビランプをイメージさせるデザインでなかなか個性的だ。

ベースとなったのは初代フォード・ファルコンだが、全長は130mm延長され、当時のサブコンパクトカーとしては比較的長めのホイールベースが与えられている。スタイリングは上級モデルのモントレーやメテオールによく似た4灯ヘッドライトに横長の格子グリルが与えられている。リアエンドは二代目サンダーバードによく似た傾斜したテールフィンにつり目のコンビランプを組み合わせた個性的なものとなった。

1962年型マーキュリー・コメット・4ドアステーションワゴン。コメットにはさまざまなボディバリエーションが設定されていた。

ボディバリエーションは2ドアセダンと4ドアセダンのほか、2ドアと4ドアのステーションワゴン、2ドアHTの設定であったが、後にコンバーチブルも追加されている。それぞれのボディには「スタンダード」と「カスタム」の2種類のグレードが用意された。1961年には2ドアセダンを対象に、バケットシートとセンターコンソールを備えたスポーツパッケージの「S-22」が追加された。

『スーパーアメリカンフェスティバル』で見たスゴいクルマ
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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…