目次
傾斜装甲や電気溶接などの新機軸を投入し
走・攻・守のバランスの取れたクリスティー式戦車
米陸軍の諮問機関である歩兵戦車委員会の審査で一度は退けられたM1928であったが、喧々諤々の議論の末、クリスティーは陸軍から改良型の試作を許されることになった。彼は車輌の試作費用として得られた5万5000ドルを元手に1930年から改良型戦車の開発に着手した。こうして誕生したのが、彼が手掛けた戦車の中でももっとも高い完成度を誇るM1931である。
歩兵戦車委員会から指摘された火力の不足は、主砲に37mmM1916戦車砲の搭載が可能な旋回砲塔を新設し、副兵装として主砲と同軸に7.62mmM1919ブローニング機銃を備えることで対応したが、同じく不足を指摘された防御力の低さは正面装甲が12.7mm、側面装甲が6mmとM1928の装甲厚のまま変更を受けていない。ただし、前モデルが装甲板の接合をリベット止めしていたのに対し、今回の戦車は車体強度を高める電気溶接に改めている。
歩兵戦車委員会のオフィスでM1931の仕様書を一瞥した同委員会の審査担当官は
「これでは防御力がまったく改善されていないではないかっ!? どういうことか説明したまえ!」
と同委員会に訪れたクリスティーに激しく詰め寄った。
これに対してクリスティーは
「M1928の正面装甲にあったボールマウント銃座を廃することで設計を洗練し、傾斜装甲を最大限機能するようにしています。これにより見かけ上の装甲厚は同じ厚みの垂直装甲に対して3倍(クリスティーの弁。実際のところは2倍程度)の防弾性能が期待でき、砲弾の入射角が浅くなるので、被弾時には敵弾の運動エネルギーを分散し、跳弾させることで必要充分な防御性能を発揮します。また、装甲板の接合をリベットを減らし、電気溶接を増やしたことで、モノコック構造の車体強度が増すばかりでなく、被弾時の衝撃でリベットの頭がちぎれ飛び、車内を跳ね回ることが少なくなるので、乗員の死傷率や車載機器の破損率はより低くなるでしょう」
と涼しげな顔で答えたという。
クリスティーが設計したM1931は、世界に先駆けて本格的な傾斜装甲を取り入れた戦車であったが、まだ「避弾経始」の言葉が軍関係者の間でも広く知られる前の時代のことだ。担当官は説明を聞いても完全に理解しきれなかった様子で、狐につままれたような顔をしていたという。
性能試験場で良好な性能を発揮したM1931は増加試作車の製造が決定
M1931の試作1号車は1931年年頭に完成し、クリスティーは早速完成車の社内テストを実施した。その結果、重量の増加により最高速度は装軌走行時で45km/h、舗装路の装輪走行時に70km/hとM1928の60%程度まで低下したが、それでも当時の平均的な戦車の倍以上のスピードであり、当時の技術水準を考えれば、充分すぎるほどの性能であった。
社内試験が終わった試作1号車は非武装の状態で、1931年3月に陸軍兵器局の性能試験場があるメリーランド州アバディーンに送られた。この地で2ヶ月間におよぶテストを受け、陸軍からいくつかの改良点が指摘されると、試作1号車はいったん工場に差し戻されて再設計されることになった。
軍の試験結果に基づいて改良を受けた2号車以降の増車試作車は、砲塔の形状変更や車長用のキューポラと後部ハッチの追加、マフラーの形状変更(箱型から円筒形に形状を改め、耐熱塗装の銀色で塗装された)などの仕様変更を受けている。なお、これにて役目を終えた試作1号車は、のちに生産された改良型の1輌とともにクリスティーの所有物になり、社内試験や新戦車のテストベッドに用いられることになる。
M1931は現場部隊で試験実施が決定
歩兵向けのT3と騎兵向けのT1の制式番号が与えられる
試作1号車が概ね仕様書通りの性能を発揮したことを受けて、同年3月25日にクリスティーは陸軍との間であらたに5輌の試作車を製造する契約を締結し、6月にはさらに2輌の追加契約を結んだ。契約書によると兵装や砲塔、エンジン、マフラー、無線機を除いた戦車の価格は1輌当たり3万4500ドルとされ、非武装かつ自走可能な状態で車輌を納品することで合意している。全装備を備えた完成車の状態での契約とならなかったのは、必要に応じて装備品をダウングレードできるように陸軍が経費削減の余地を残した結果とされているが、クリスティーの戦車開発を快く思わない歩兵戦車委員会の妨害工作とも言われている。
試作車の生産は順調に進み試作2号車は9月に納入され、1932年3月までには7輌すべてが陸軍に引き渡された。陸軍はM1931を歩兵局と騎兵局でそれぞれ個別にテストすることにした。前者の車輌には「コンバーチブル中戦車T3」の名称が与えられ、後者の車輌には「戦闘車T1」の名称が与えられた。
テスト車輌は歩兵局に3輌、騎兵局に4輌が割り当てられた。歩兵局でのテストはアラバマ州とジョージア州の州境のコロンバス市にあるフォート・ベニング(現・フォート・ムーア)駐屯地を拠点とする第67歩兵連隊(現・第67機甲連隊)で実施され、騎兵局でのテストはケンタッキー州のフォート・ノックス駐屯地に駐留する第1騎兵連隊が担当することになった。
第67歩兵連隊で実施されたコンバーチブル中戦車T3の部隊運用テスト
第67歩兵連隊に送られた3輌のT3は、試作2号車に「トルネード」、試作6号車に「ハリケーン」、試作7号車に「サイクロン」の愛称が与えられた。
テスト車輌はコンバーチブル中戦車T3の名前の通り、全車コンバーチブルドライブ(装輪装軌併用式)が採用されており、舗装路を履帯を外した状態で走行を可能にしていた。このうちトルネードとハリケーンは車体後部の駆動輪と第4転輪をチェーンで繋ぐことによって動力を転輪に伝えるが、サイクロンのみチェーンの代わりに5つのギアを組み合わせることで転輪に動力を伝えるという駆動系の違いがある。なお、このギアドライブを備えた車輌にはT3E1の形式番号が与えられた。テストは双方の機構の違いを比較検証する目的もあったのだ。
計画では引き渡しと同時に直ちに装備を整えて、ただちにT3を戦闘装備とする手筈になっていたのだが、実際には車輌の納車時には武装や装備品が届いておらず、五月雨式に届いた武装や機器を都度取り付けることとなった。T3全車が完全なカタチになったのは、採用の可否が決定したあとの1933年に入ってからのことであった。
T3全車が揃っての最初の長距離移動テストは1932年6月17日に実施された。テストはフォート・ベニングから同じ州内にあるフォート・マクファーソン駐屯地までを往復するというものだ。総移動距離は377km。試験に参加した3輌のT3のうち、サイクロンがエンジンからオイル漏れを起こし、駆動システムに些細なトラブルを生じたもののテストは概ね順調に進み、平均時速34.8~38.9km/hの速度で走り切った。当時の戦車が自走で移動する距離としてはかなりの長距離であったが、クリスティー式サスペンションによる乗り心地は極めて良好で、参加した乗員は疲労の色をまったく見せなかったという。
その後も3輌のT3は様々な試験プログラムや演習参加をこなして、同連隊が他に保有するT1軽戦車やT1E1中戦車、T2中戦車と比べても性能面で優秀さを示した。
その間にもT3は適時改良を受け、砲塔に無線機用のポールアンテナが追加されたほか、ハリケーンにはドライバー用に防弾ガラスが装備され、サイクロンはマフラーを取り外し、リアパネルをハッチ化したことでギヤドライブへのアクセスを容易にしている。
歩兵連隊によるテストは概ね良好との評価を受けた。テストを受けた3輌のT3は試験終了までに合計で2258kmを走破し、優れた機動性と強力な火力によって申し分ない性能を発揮した。数少ない問題点は防御力の不安と信頼性であった。防御力に関してはこの頃のほかの戦車も大同小異であり、取り立てて問題視されるほどのことではなく、信頼性についても量産時には改善される見込みであった。F中隊の報告書によれば「コンバーチブル中戦車T3は、これまでに生産されたあらゆる戦車よりも性能的に優秀であり、歩兵との共同作戦において、もっとも適切な戦車と言える」と結んでいる。
第1騎兵連隊で実施された戦闘車T1の部隊運用テスト
第1騎兵連隊によるT1戦闘車のテストは、 第67歩兵連隊の試験とほぼ同時期に始まった。騎兵連隊に送られた車輌は、歩兵連隊でテストされたコンバーチブル戦車T3と基本的には同一の構造をしており、クリスティーが製造した9輌のM1931のうち、試作3号車、試作4号車、試作5号車、試作8号車の4輌が割り当てられた。ただし、歩兵連隊とは異なり、これらの車輌には固有の愛称はつけられていない。
予定では武装や車載装備、無線機などは車輌とともに配備される手筈になっていたのだが、結局装備品は試験終了まで納品されることはなく、試験部隊では自主的に連隊保有の12.7mmブローニングM1918オートマチックライフル(BAR)を主武装として装備し、無線機を追加している。なお、M1918を当時開発中だった同口径のブローニングM2重機関銃に換装することも検討されたが、結局実現することなく終わっている。
歩兵のT3と同様に騎兵のT1でも部隊試験や演習参加と並行して適時改良が施された。その中でも大掛かりな改修が、
・T3E1と同じくギヤドライブ式のコンバーチブルドライブに改造された車輌(マイナーコードT1E1)
・心臓部をリバティL-12エンジンに代えてカミンズ製直列6気筒ディーゼルエンジンに換装された車輌(本来はT1E2のマイナーコードが与えられるはずであったが、実際にはそうはならずにこの形式番号は欠番とされた)
・最高出力210hpのアメリカン・ラ・フランス製V12エンジンに換装された車輌(T1E3のマイナーコードが与えられたが、試験結果が芳しくなく再びL-12に再換装されている)
この計3輌に対して行われた。
第二次世界大戦で連合軍の英雄となるパットンがデモンストレーションを視察
騎兵によるT1の試験はフォート・ノックス駐屯地を中心に、全米各地の陸軍施設に車輌を移送して実施された。T1やT3の高性能はすでに陸軍関係者以外にも知られるところとなり、軍人や軍属だけでなく、民間の技術者、政治家、新聞記者などが連日のように見学に訪れたという。
そんな1932年4月のある日のこと。バージニア州フォート・マイヤー駐屯地で開催されたT1のデモンストレーションにひとりの騎兵将校が視察に訪れた。
オリーブドラブ色に塗られたスタッフカーのシボレーから降り立った壮年の将校は身長187cmの立派な体躯の持ち主で、眼光は鋭く、攻撃精神の表れのように顎は突き出しており、他人を寄せ付けないかのような厳しい面構えをしていた。軍人らしく姿勢は正しく、糊のよく効いた軍服を隙なく完璧に着こなしており、よく磨かれた彼の履く騎兵用ブーツはまるで鏡のように周囲の景色を曇りなく写し出している。右腰のホルスターには唐草模様の見事なエングレービング(彫刻)が施され、象牙製のグリップをあしらったシルバーフィニッシュのコルト・シングル・アクションアーミー(SAA)が吊るされていた。1916年5月14日、作戦の総指揮官であるジョン・パーシングの副官としてパンチョ・ビリャ懲罰遠征に参戦した彼は、コルト社に特注したこの拳銃でビリャの護衛隊指揮官であったユリオ・カルデナス将軍ら3人を射殺したのだ。
ジョン・パーシング(1860年9月13日生~1948年7月15日没)
アメリカ合衆国の軍人。1886年に陸軍士官学校を卒業し、アメリカ先住民との戦役で活躍した。1898年の米西戦争、1899年の米比戦争で輝かしい軍功を挙げ、陸軍内でパーシングの名を知らぬ者はいなくなる。1914年にメキシコ国境の第8旅団長に就任。翌々年のパンチョ・ビリャ懲罰遠征で遠征軍の総指揮官を務めた(このときに新任少尉のパットンが幕僚に加わる)。1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、欧州派遣軍の総司令官に任じられ、「アルゴンヌの攻勢」や「サン・ミエル突出部の戦い」を指揮し、連合国の勝利に大きく貢献した。1921年に陸軍総参謀長に就任し、退役までの3年間この色にとどまった。その後は悠悠自適の老後を送り、1931年には回顧録『世界大戦での経験』を執筆している。彼の名はM26重戦車(『ガールズ&パンツァー 劇場版』に登場する)と中距離弾道ミサイルMGM-31にその名が冠されている。
その男の名はジョージ・スミス・パットンJr。のちの第二次世界大戦で北アフリカ、シチリア、フランスと欧州戦線を転戦し、米機甲部隊を率いてドイツ軍と戦い、華々しい活躍によって連合軍に勝利をもたらした立役者のひとりだ。このときは陸軍大学で戦車の機甲戦術と運用を研究する一介の少佐に過ぎなかったが、歴戦の将軍を思わせる尊大な態度からは大器の片鱗を予感させていた。
ジョージ・スミス・パットンJr(1885年11月11日生~1945年12月21日没)
アメリカ建国以来の軍人家系に生まれ、幼い頃から英雄願望が強く、軍人になることを宿命づけられて育つ。陸軍士官学校に在籍中、ストックホルムオリンピックの近代五種選手として参加した。五輪後はフェンシングの経験からM1913騎兵刀をデザインする。初の実戦はジョン・パーシングの副官として参戦した1916年のパンチョ・ビリャ懲罰遠征で、第6歩兵連隊の兵士10人と共に自動車を用いてビリャ個人の護衛隊指揮官フリオ・カルデナス将軍を殺害するという功績を挙げる(米軍初の自動車を用いた作戦)。第一次世界大戦にアメリカが参戦すると、新編された戦車部隊の隊長として活躍。戦時昇進で大佐に進級するが戦争終結に伴い少佐に戻された。以降は陸軍内の戦車通として知られるようになり、陸軍省に出仕して戦車の戦略・戦術・運用研究を行う(のちに連合軍総司令官となるドワイト・D・アイゼンハワーとこの頃親友になる)。「戦争好き」を公言するパットンに平和な時代は耐え難かったようで、欧州から取り寄せたスポーツカーやヨット、ポロなどの趣味に浸ったり、極端な甘党になったり、酒に溺れたり、癇癪を起こして家族と不仲になったり、娘の親友であったジーン・ゴードンと不倫関係になったりと、旺盛な戦意を持て余して私生活は乱れた。しかし、1930年代後半に戦争の機運が再び高まると野戦指揮官として本来の自分を取り戻して行く。戦間期のパットンは少佐から中佐に進級するのに14年も掛かるなど能力に比して昇進が遅れていたが、これは指揮下の部隊を精強にするため部下を必要以上に厳しく指導したこと、裕福な実家を背景に営内で貴族然とした贅沢な生活を送っていたのが嫉妬の対象になったこと、さらに結果さえ出せば上官の非難や叱責も気に留めないという傲慢な態度が陸軍内で不興を買ったことが原因とされる。写真は1919年に撮影された戦時昇進で大佐になったパットン(終戦後、元の階級に戻される)。
彼はさも当然のように来賓席の最前列、デモ走行がよく見える場所に陣取ると、一瞬も見逃すまいと目を見開いて走行するT1を注視した。そのスピードと機動性は彼の知る戦車のそれではなかった。
パットンは第一次世界大戦に米欧州派遣軍の一員として派遣され、新兵器への興味から戦車大隊の指揮官に志願し、これが上司であるパーシングに受け入れられて陣頭指揮を執っている。
1918年8月の「サン・ミエル突出部の戦い」では、自らルノーFT-17軽戦車に乗り、歩兵大隊との共同作戦を砲弾飛び交う最前線で指揮して戦闘に勝利したのだ。パットンは戦車の戦術・戦略的な重要性をこのときの実体験によって見出したのである。さらに、この功績によってパットンは「米陸軍きっての戦車通」としてその名が世間に知られるきっかけにもなった。そんな彼をしてT1が見せつけた画期的な性能は、当時の戦車の性能を大きく超えた規格外なシロモノに見えたのだろう。
「まったく想像以上だな。37mm砲を載せられる旋回砲塔を備えた本格的な戦車に改修されてなおM1928並に動けるというのか? それに車体正面の傾斜装甲……あれは被弾傾始の概念を設計に取り入れたのか。そうか。火力と防御力を高めながら重量増を招くことなくM1928を再設計したのだな。これはすごい。この戦車の存在は間違いなく戦争のあり方を根底から覆すぞ。ワシは確信した。これこそ将来の合衆国陸軍に必要な装備だ!」
T1が演習場を疾走する姿を見たパットンは、その革新性をひと目で見抜き、誰が聞くともなしにそう呟く。
彼が陸軍省に出仕してワシントンD.C.で勤務していたときに、デモンストレーションのため国会議事堂を訪れたM1928を見学する機会があり、その後、アバディーン試験場で不整地を縦横無尽に走る姿を見てクリスティー戦車の熱烈な支持者になったパットンであったが、M1931の姿を見るのはこの日が初めてだった。デモンストレーションの時間はおおよそ30分ほどだったが、その衝撃の大きさからパットンにとっては短くとも永遠に感じられた時間であっただろう。だが、それもついに終わりのときを迎える。
ひとしきりフィールドを走り終えたT1は、エンジンから野太い唸り声を上げ、キャラピラからキュラキュラと音を鳴らしながら来賓席のほど近くまでやってきて停車した。目の前にある試作戦車をその目で認めたパットンは「よし、試してみるか」と独り言ち、広報担当士官が来賓に向けて説明会の準備をし始めたことなどおかまいなしに、堂々とした足取りで戦車に近づいて行く……。
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