篠塚氏は1948年、東京都大田区生まれ。東海大学でラリー競技を開始、1971年に三菱自動車に入社し社員ドライバーとしてラリー競技に参戦するや、同年から全日本ラリー選手権で2連覇を飾り1974年には海外ラリーに進出。海外ではそのアグレッシブな走りのスタイルから“ライトニング(稲妻)”ケンジローの異名を奉られた。
1986年にはパリ・ダカールラリーに初出場し、パジェロで参戦を続ける一方、1991年にはギャランVR-4を駆って参戦したWRCのアイボリーコースト・ラリーにおいて日本人ドライバー初のWRC総合優勝。翌年の同ラリーも勝利して大会2連覇を達成した。パリ・ダカールラリーにおいては初参戦から12年目の1997年に念願の総合優勝を果たし、こちらでも日本人ドライバー初となる快挙を成し遂げた。
2002年を最後に三菱を離れ、2003~05年は日産ワークス・チームの一員としてパリ・ダカールラリーに参戦、プライベーターとなってからも2007年まで日産車で同ラリーに挑み続けた。同ラリーが情勢不安の影響でアフリカを離れてからはAXCRアジアクロスカントリーラリーに参戦してクラス優勝を飾るなどしたが、2018年にモナコからセネガルの首都ダカールを目指すアフリカ・エコレースに参戦、11年ぶりにアフリカの大地へ帰還。70歳にしてクラス2位/総合34位で完走を果たした。
篠塚氏は2025年のアフリカ・エコレース参戦に向けて準備を進めていたが、残念ながらその夢を果たせぬまま帰らぬ人となってしまった。篠塚建次郎氏のご冥福をお祈りいたします。