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語り継がれる2台の2000GTとS800の1、2、3フィニッシュ
1967(昭和42)年4月8日~9日、ル・マン24時間をそのまま日本で再現させることを目的に開催された、日本最長の富士24時間レースが開催された。レースは、トヨタ勢の独壇場となり、4月9日午後4時に2台の「トヨタ2000GT」は1台の「トヨタスポーツ800」をサンドイッチにした編隊走行で余裕の1、2、3フィニッシュを飾った。
ヤマハとの共同開発で誕生した2000GTが衝撃デビュー
トヨタ2000GTが初めて姿を現したのは、1965年の第12回東京モーターショー。多くの観客の注目を集めた流麗なスポーツカー、それがトヨタとヤマハが共同開発した2000GTのプロトタイプだった。ロングノーズにリトラクタブルヘッドライトを組み込んだ流線型ボディに、インテリアにはローズウッド材のインパネやレザーのバケットシートなどを装備し、スポーティかつ高級感をアピールしたのだ。
ヤマハ主導で開発した最高出力150psを誇ったエンジンは、2.0L直6 DOHCにソレックス3連キャブを装備、組み合わせたトランスミッションは5速MT。ステアリングはラック&ピニオン、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン、ブレーキは4輪サーボ付きディスクと先進技術が満載。流麗なフォルムと先進メカニズム、トヨタのすべての技術を結集したスーパーカーだった。
2000GTの発売は、モーターショーの2年後、1967年5月だったが、トヨタは発売前にその卓越した性能を実証するため、プロトタイプをハイチューニングしたマシンでレースやスピードトライアルに挑戦したのだ。
発売前にスピードトライアルで世界記録を達成
東京モーターショーの翌年、また発売の前年となる1966年10月1日~4日、トヨタは2000GTの性能をアピールするため、谷田部の日本自動車研究所高速試験場で日本初のスピードトライアルに挑戦。スピードトライアルとは、FIA(世界自動車連盟)の公認のもとで、文字通りスピードを競うチャレンジだ。速度記録は、絶対的な世界記録とクラス分けされたクラス最速記録に分けられる。
10月1日、ゴールを目指してスタート、最終的に3日後の10月4日に48時間/72時間/1万5000kmの世界記録と、13のEクラス国際記録を樹立。このチャレンジによって、2000GTの性能が世界トップであることを実証したのだ。
富士24時間レースでも圧巻の走りで1、2フィニッシュ
レースは、2000GTに(細谷/大坪)組と(津々見/鮒子田)組、加えて3台のトヨタスポーツ800がエントリー。ライバルは、外国勢に加えて「プリンス2000GT」、「ブルーバードSS」、「ホンダS600」、「フェアレディ」、「ベレットGT」だった。
レースが始まると、最初から2台の2000GTが先行、周回を増すごとに2台が他を引き離す展開に。そして翌4月9日午後4時に2台の2000GTが1台のS800をサンドイッチにした編隊走行で余裕のフィニッシュを飾ったのだ。
ちなみに優勝マシン(細谷/大坪)組の平均速度は134.7km/h、走行距離は3224kmだった。
数々のレースでその性能の高さを実証した2000GTが市場に放たれたのは、1967年5月16日。車両価格も破格で、当時のクラウンの約2倍の238万円、大卒初任給が2.8万円程度(現在は、約23万円)の時代だったので、今なら2000万円程度に相当するであろう、まさしく庶民には手の届かないスーパーカーだ。
トヨタ2000GTは、スピードトライアルと富士24時間レースでの栄冠によって、その性能が世界レベルであることを実証した。これは同時に、日本車が欧米車の尻尾を掴んだ証でもあり、歴史に残る名車中の名車と言われる由縁なのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。