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初代誕生から30年の時を経て全面改良した2代目センチュリー
1997年(平成9)年4月18日、日本を代表するトヨタの最高級車「センチュリー」がモデルチェンジし2代目に移行。初代センチュリーは、1967年に豊田佐吉氏の生誕100周年と明治100年を記念して誕生、30年の時を経て登場したのが、2代目センチュリーだ。
トヨタが誇る最高級車ショーファーカーの誕生
初代センチュリーは、1967年に豊田佐吉氏の生誕100周年と明治100年を記念して誕生。100年(1世紀)記念のモデルだから、センチュリーと命名された。
1965年に販売された日産自動車の最高級車「プレジデント」に対抗する形で登場し、主として官公庁要人のための公用車や会社幹部用社用車のショーファーカーとして誕生した。
初代センチュリーは、宇治平等院の鳳凰をモチーフにしたエンブレムや、独特のボディカラーを採用し高級感を演出。エンジンは、新開発のアルミ製3.0L V8 OHVで最高出力150ps/最大トルク24.0kgmを発生、密閉式空気バネを組み込んだフロントサスペンションなど、最高の技術と贅を尽くしたクルマだった。
その後、1973年にエンジン排気量を3.4Lに、1982年には4.0Lに拡大、そして1990年にはホイールベースを150mmほど延長したロングボディが追加され、日産プレジデントとともに日本が誇るショーファーカーとして君臨し続けたのだ。
V12エンジンを搭載しさらに大きくゴージャスになった2代目
そして初代誕生から30年目の1997年に登場したのが2代目センチュリーである。長くモデルチェンジしなかったセンチュリーだが、1980年代後半にバブル好景気の勢いで、高性能な高級車が売れるようになった日本市場を背景に、センチュリーにも最新化が求められた。
最大の特徴は、最高出力280ps/最大トルク46.9kgmを発揮する新開発の5.0L V型12気筒エンジン、日本の乗用車としては初めて、かつ最後のV12エンジンであり、滑らかで力強い走りを実現したことは言うまでもない。
ボディサイズは、5270/1890/1475mm(全長/全幅/全高)と、現行(16代目)のクラウン5030/1890/1475mmよりひと回り以上大きく、後席の広さや快適性などを追求した内装もゴージャスに仕上げられた。
さらに、安全衝突ボディを採用し、6基のエアバッグを装備するなど、安全性能についても当時の先進技術を投入。車両価格は925万円、ちなみに当時の大卒初任給は19.5万円程度(現在は23万円)なので、単純計算では現在の価値で約1100万円に相当する。
その後2018年には、さらにひと回り大きく、ゴージャスになった3代目へバトンタッチ。エンジンは、環境対応に考慮して5.0L V8エンジン+ハイブリッドシステム、安全運転技術“Toyota Safety Sense”も採用され、最新化が図られた。
センチュリーとともに消えた国産V12エンジン
前述のように2代目センチュリーは、乗用車としては国内唯一のV型12気筒エンジンを搭載していたが、海外ではランボルギーニ、フェラーリ、アストンマーチン、ロールス・ロイス、メルセデス・ベンツ、BMWといった名立たる高級車メーカーの高性能高級車やスーパーカーに搭載されている。
高出力を得ようとすると大排気量化が有効だが、1気筒あたりの排気量(ボア径)は燃焼効率面から上限値があるので、必然的に気筒数を増やす必要があり、また1気筒あたりの排気量が小さいと、ピストンや動弁系が軽量化できるので高回転化に向いている。
さらにV12エンジンは、低振動の直6エンジンをV並列に配置した完全バランスのエンジンというメリットがある。
そんな高回転高出力化のために理想的なV12エンジンだが、高価で燃費が悪いエンジンなので、環境性能を強いられている昨今は、電動化されたスーパーカーが増えている。
世界的にカーボンニュートラルが叫ばれる中、3代目センチュリーはハイブリッドになった。次の4代目センチュリーが登場するとしたら、政府要人や大企業のリーダーが乗るショーファーカーだからこそ、電気自動車にならないわけにいかないだろう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。