未だ人気モノ、スズキ「ジムニー」唯一無二の軽本格オフロード4WDはどのようにして生まれたのか【歴史に残るクルマと技術038】

スズキ ジムニー
ラダーフレーム、前後リジットアクスル、高低2速を備えたトランスファー、大径タイヤを装備したパートタイム4WDが特徴のジムニー
誕生から50年以上経った現在も高い人気を誇る、スズキの軽自動車本格オフロード4WD「ジムニー」は、1970(昭和45)年4月に誕生。頑強なラダーフレームにリジットアクスル、高低2速を備えたトランスファー、大径タイヤを装備した4WDジムニーは、軽の本格オフローダーという新しいジャンルを開拓した。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)

ジムニーの原型は「ホープスターON型」

ジムニーの原型は、ホープ自動車が1967年に発売した4WDの軽自動車「ホープON型」だ。ホープ自動車は、戦後1950年代から軽3輪および軽4輪の製造販売を行ない、主として林業の作業車や山岳地域、積雪地の足となる4WD車を製造していた。

ホープスターON型
1967年に発売されたホープ自動車のホープスターON型

ホープスターON型の最大の特徴は、切り替えレバーの操作だけで2WD(一般路)/4WD(ダート道)を使い分けて走行できる、パートタイム4WDを搭載していること。エンジンは、自社生産ができなかったので「三菱ミニカ」用の空冷2気筒2ストロークエンジンを搭載していた。
軽自動車初の本格的な4WD車だったが、販売が振るわず経営難になったため、ホープ自動車は自社生産を断念し、大手メーカーに製造権を譲渡するという苦渋の決断をし、譲渡先を模索した。

ホープスターON型に改良を加えたジムニー(LJ10型)誕生

鈴木修
スズキ・ジムニー誕生の立役者、第4代/第7代 代表取締役・鈴木修氏

ホープスターON型の製造権の取得を積極的に進めたのが、スズキ(当時は鈴木自動車)の若き日の鈴木修氏だった。当時常務だった鈴木氏は、ホープスターON型が急坂路を走破する映像を見て、軽4WD車の将来性に注目したのだ。
1968年、スズキが正式に製造譲渡権を取得。ただし、ホープスターON型は小規模の手作り生産だったため量産化するには未熟な部分が多く、また三菱自動車の部品を多用していたので、すぐに量産化できるレベルではなかった。

スズキ ジムニー
ラダーフレーム、前後リジットアクスル、高低2速を備えたトランスファー、大径タイヤを装備したパートタイム4WDが特徴のジムニー

スズキは、エンジンを自社製に換装し大幅な改良を加えた上で、スポーティなスタイリングに変更、1970年4月待望のジムニーがデビューを果たした。車両価格は48.2万円。ちなみに当時の大卒初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約300万円に相当する。

当時の4WD車は、オフロードを走破する特別な使い方をするクルマだったので、スズキはそれほど販売台数が出るとは予想していなかったようだ。ところが予想に反して、普通のセダンよりも多少乗り心地が悪くても、どこでも走れて個性を発揮できる、普通とは違う軽自動車を好むアウトドア派から圧倒的な支持を受けたのだ。
また、排気量を拡大したジムニーは、海外でも高く評価され、スズキ初のグローバルカーとなった。

オフローダーを特徴づけたジムニーの技術

ジムニーは、軽自動車規格の排気量とボディサイズながら、ラダーフレームや頑丈な前後リジットアクスル、高低2速を備えたトランスファー、大径タイヤ、切り替えレバーによるパートタイム4WDを採用。この構成は、その後のジムニーの進化の過程でも引き継がれている。

1970年 スズキ ジムニー
1970年にデビューした軽の本格4WDオフローダー「ジムニー」

パワートレインは、最高出力25ps/最大トルク3.4kgmを発揮する排気量359ccの空冷2気筒2ストロークエンジンと4速MTの組み合わせだったが、車重が600kgという軽量ボディなので最高速度75km/h、登坂能力27.5度と、比較的非力なエンジンながら悪路や砂地でも十分な走破性を発揮した。
また、作業用やアドベンチャー用としてトランスファーにPTO(動力取り出し装置)を装備し、動力を取り出すウィンチ機能をオプション設定し、プロの作業現場でも活躍した。

2年後のマイナーチェンジでは、エンジンを空冷から水冷に変更し。出力を28psにパワーアップ。価格も48.2万円から52.9万円と上昇し、当時の軽自動車の中では高い設定だったが、それでも人気は衰えることなく販売台数は月産2000台超と好調だった。

進化と人気は留まることを知らないジムニー

2代目ジムニー
1981年発売の2代目ジムニー(SJ30)

1981年に登場した2代目(SJ30型)は、初代の小型ジープのイメージからRV風のスタイリングに変貌し、ジムニーの人気は不動となり、1998年にモデルチェンジした3代目(JB23)は当時流行っていたライトなオフローダーとして丸みを帯びたフォルムに変貌した。

3代目ジムニー
1998年発売の3代目ジムニー(JB23)

そして、20年ぶりにモデルチェンジした2018年登場の現行4代目(JB64型)は、初代や2代目のようにジープ風の四角張ったフォルムに原点回帰。パワートレインは、660cc直3 DOHCターボエンジンと、5速MTおよび4速ATの組み合わせ、駆動方式は副変速機付きパートタイム4WDが踏襲された。

4代目現行ジムニー
2018年発売の4代目現行ジムニー(JB64型)

その他、最新の安全技術も搭載され、相変わらずの大人気で、発売当初から納期待ちが続き、2022年以降は半導体不足の影響もあり、納期は1年以上かかっているようだ。
ジムニーは、2020年に50周年を迎え、これまでに全世界190以上の国・地域で販売し、同年7月には世界累計販売台数300万台を達成し、世界中で相変わらずの人気を獲得している。

スズキのジムニーが誕生した1970年は、どんな年

1970年には、ジムニーの他に日産自動車の「チェリー」も登場した。チェリーは、日産初のエンジン横置きのFFモデルで、個性的なスタイリングと一般的なFFレイアウトでなく、イシゴニス式FFレイアウトを採用した革新的な大衆車である。

1970年にデビューしたチェリー(4ドアセダン)

その他、日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げに成功、日本初の国際博覧会の大阪万博(Expo’70)が開催、よど号ハイジャック事件が発生、日本の呼称が“ニッポン”に統一された。ちょうどこの頃、都市部で光化学スモッグが頻発するようになり、自動車による排ガス公害が社会問題化し排ガス規制強化の動きが高まった。ビートルズが解散し、トミーの「トミカ」が発売、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が名古屋にオープンした。

また、ガソリン54.5円/L、ビール大瓶142円、コーヒー一杯95円、ラーメン100円、カレー150円、アンパン25円の時代だった。

ジムニーの主要諸元
ジムニーの主要諸元

軽自動車でありながら悪路走破性に優れた本格的なオフロード4WDという、新たなジャンルを切り開いた「ジムニー」。50年以上経った今も世界中で愛され続けている、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

キーワードで検索する

著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…