クルマ未来予測〇と×……1954年から見た25年後の姿をいまさら検証してみた ~モーターファン 1955(昭和30)年1月号より~

今年2024年のゴールデンウィーク、過ごし方のアンケートでは「自宅で過ごす」が1位なのだそうで(毎年1位と聞いている気がするが)、この記事、自宅でのひまつぶしの読みものとしてごらんいただければ。
テーマは「昔から見た未来」。

TEXT:山口尚志(YAMAGUCHI Hisashi) PHOTO:モーターファン・アーカイブ/トヨタ自動車/日産自動車/ダイハツ工業/山口尚志)

■イタリア・トリノで行われた「25年後の自動車」がテーマの講演会

●あなたの描く21世紀像は?

21世紀に突入してから早くも20年以上が過ぎたわけだが、筆者にとって21世紀とは「未来」だった。
みなさんよくご存知のドラえもんは2112年9月3日生まれ。22世紀から1970年の時代にやってきたネコ型ロボットで、のび太の将来をタイムマシンで見に行く話のときなどには21世紀の舞台も登場する。

「ドラえもん」の影響を思いっきり受けたのだろう、筆者は小学生の頃、21世紀になるとひとびとは銀色のぴたぴたスーツをぴったりまとい、自動車からはタイヤが消えて路面を浮いて滑走、「東京」は「トーキョー」に変わり、街での徒歩は透明のチューブの中の移動に変わるものだと信じ込んでいた。

同時に「21世紀が近づくにつれ、そして21世紀になって以降も、自分たちの生活は良くなる方向にしか向かわない」と、これまた信じて疑わずにいた。
そういえば小学生の頃、何かの本に「21世紀初頭には、人類は宇宙に住むようになる」と書いてあったっけ・・・どこの出版社の本だったのか、いまさら知りようがないが、いまとなっては「そこの出版社の方、ちょっとこっちにおいでなさいな」と手招きし、いったいどういうつもりであんなことを書いたのか、じっくりお話をうかがってみたいものだ。

翻ってわれらが2024年の現実はどうか。
流行の違いはあれど、ひとびとの姿はそう大きく変わらず、自動車はいまだにタイヤ4本で走り、「東京」は「東京」のままだ。
筆者は2004年に東京に出てきたが、いまに至るも周囲に透明のチューブは見当たらず、建設の噂も聞こえてこない。
それどころか、日本人の暮らしぶりは決定的に下がった。いや、生活は便利になったが、それと同時に不便な部分も増えて暮らしにくくなって久しい。そればかりか、政治、経済、所得の減少、増税に次ぐ増税、労働環境etc・・・国家の劣化は著しい。

あの頃、21世紀の日本がこんな惨憺たることになるとは思ってもいなかった。

●1955年から見た1978年のクルマの姿

モーターファン 1955(昭和30)年1月号。本の発売は1954年11月だ。

今日にとっての過去だって、昔にとっては明るい未来。
日本の現状はともかくとして、本記事では、自動車の未来像についての予測記事が載っている昔のモーターファンをご紹介しよう。
登場するのは昔も昔、「モーターファン1955(昭和30)年1月号」。
本の発売は1954年11月なので、製作期間は10月から11月にかけての1か月間ということになる。

この中に、「25年後の自動車」をタイトルとする記事が2ページに渡って掲載されている。

タイトル「25年後の自動車」。

2024年のいまも存在しているかどうか定かではないが、記事の冒頭ではスペイン自動車協会(STA)の会長・リカート氏がイタリアの自動車協会の招きにより、イタリアはトリノで「25年間の自動車」と題した講演を行ったと述べている。講演時期は、本の製作期間からして1954年秋と思われる。

その講演内容は、1903年を起点に1978年までを 25年ごと3節に区切り、講演時から25年後、すなわち1954年から78年までの第3節を、当時としての現在から見た自動車の未来予測に着目したというものだ。

その予測項目数、10点。
今年は2024年で、講演会が行われたのは約70年前。その25年後の1978年さえ、いまから46年前のこととなる。
ひとつひとつの予測を当時の表現そのままに抜粋し、2024年の目で見て当たっているかどうかを勝手に「◎」「○」「△」「×」の4段階に分け、えらそうに独断と偏見で評価してみたい。

それも世界的な視野でではなく、「日本の自動車史に於いて」という、島国根性まる出しによる判断での評価だ(われながらひどい)。
なお、現在の目で見るとヘンな表記が散見されるが、それもこれも1954(昭和29)年時点の製作ゆえ。あえてそのまままる写ししたのでご了承願います。

【今後25か年の発達予想】

1.コンプレッサー(予圧器)の採用

1.コンプレッサー(予圧器)の採用

“コンプレッサを一般常用化すべきや否や”は今日はまだその予備判定の時期で、採否の決定は丁度“競い合い”の状態にあるようである。しかし、将来は恐らくこれは採用されるものと予想され、この採否の決定は今後の自動車技術に重大な影響と意義をもつであろう。

【評定】

マツダのユーノス800に搭載されたミラーサイクルエンジンのリショルムコンプレッサー。

「コンプレッサー」が何を指すのか。

マツダがミラーサイクルエンジンに起用した「リショルムコンプレッサー」も含めた、ターボやスーパーチャージャー技術なら、25年以内に実現できていないので×にしよう・・・かと思ったが、初のターボ車、日産セドリック(とグロリア)の発売が1979年であることから、ちょっと惜しいので○にしておこう。

ただし空調のコンプレッサーなら、1978年よりも前から自動車用クーラーが生まれているので◎。

日本で初めてターボが備えられたL20ETエンジン。
L20ET用ターボチャージャーの透視図。
初のターボエンジン搭載車・日産セドリック(1979(昭和54年))

2.燃料の改良進歩

2.燃料の改良進歩

自動車用燃料は更に改良進歩し、エンジン馬力の向上は当然予想される。

【評定】

ガソリンは1970年代のアメリカに端を発した排気ガス規制(マスキー法)を背景に無鉛化されているので◎。
また、1978年以降から現在までを長期的に見ると、いまの軽油は硫黄分がだいぶ取り去られているが、惜しくも1978年以降の話なので1段階落として〇。

3.燃料の供給方法の趨勢

3.燃料の供給方法の趨勢

ガソリンエンジンでは燃料を気化器で気化して供給しているが、現在のこのやり方を離れて、恐らく広い範囲に亘って“燃料噴射ポンプ”の採用に移行し、気化器はすたれるであろう。

【評定】

気化器とはキャブレターのこと。

燃料供給装置の変遷はいろいろあり、燃料噴射ポンプ式は、世界的にはまず機械式燃料噴射で始まり、次に電子制御燃料噴射が続いた。
日本車の場合、電子制御燃料噴射装置がたまたまいすゞ117クーペの「ECGI」が初(1970年)で先行し、その少しあとにホンダが145クーペに機械式燃料噴射「FI」を用いた経緯がある。

以降、各社少しずつ電子制御燃料噴射装置を採り入れたが、1978年の時点では上級寄りの一部のクルマに限られており、まだまだ気化器(キャブレター)が主流だったので△。
また、キャブレターは、日本では1990年代まで続いており、時期についてはまるっきり外れているので×。

量産車としては世界初の筒内噴射リーンバーン、4G93型GDIエンジン(1996年)。

ついでに直噴技術について触れると、三菱自動車が、エンジン技術者長年の夢だった筒内直接噴射をギャランの「GDI」エンジンで一番手を決めたのは、電子制御燃料噴射がおおかた一巡した1996年のこと。同年末にトヨタがコロナプレミオの「D-4」で後を追っている。

三菱のGDIは量産車としては世界初、そしてリーンバーン(希薄燃焼)としても世界初のものだが、実は直噴そのものはギャランよりはるか前の1950年代にベンツがすでに実現している。

4.高出力、静粛なエンジンと冷却方式

4.高出力、静粛なエンジンと冷却方式

6気筒や8気筒のエンジンでは、更に高出力になり、静粛なものになるであろう。従つてその冷却方式には、やはり今日と同様な“液冷式”が主流をなすと思われる。しかし、小馬力のエンジン(註 気筒容積の小さいエンジン)では“空冷式”が相当の範囲にまで利用されることは確かであろう。このことは、空冷式が今日の段階で既に安全確実の点や冷却能力の点で認められていることから予想できる。

【評定】

このあと、日本では6気筒エンジンは2代目クラウンに、8気筒はクラウンエイト、そしてその発展版・センチュリーに搭載され、代が進むにつれてより高出力化しているので◎。

いまはまるで変わったが、少し前まで、直列であれV型であれ、クラウンといえば6気筒だった。意外にも初搭載は2代目になってから。実は初代クラウンがベースのパトカー仕様・トヨタパトロールにはランクル用の3.8L6気筒が搭載されている。
2代目クラウン(1962(昭和37)年)。
クラウンエイトに搭載されたV型8気筒エンジン。これは後にセンチュリーに置き換わる。
クラウンエイト。

空冷エンジンの広まりについては、排気浄化のキーになる温度管理に難があるために空冷は消えているが、1954年時点で大気汚染が問題になるとは思っていなかっただろうから、ここでは評定なしとしたい。

5.ガスタービンは実用の域に

5.ガスタービンは実用の域に

ガスタービンで一番問題になるのはタービン翼用の材料であるが、この点に関しては、今日既に実力のあるメーカーが研究を進め、安価で加工の容易なものを得ている。タービンの他の部分の製造はタービンと同じクラスのエンジンを製造する費用に比べたら、タービンの方が遥かに低い賃金で製造することが出来る。従つて、今後25カ年以内に恐らく、250馬力乃至500馬力級のトラックやバスやパッセンジャーカーには、ガスタービン機関が採用されるであろう・・・。

【評定】

ガスタービンを動力とする自動車は、1970年代にトヨタがセンチュリーで研究車を公開した例はあるものの、実用化には至っていないので容赦なく×だ。

6.自動変速装置の発達

6.自動変速装置の発達

中馬力の標準車は“トルクコンバータと自動切り替え装置”を備えるに至るであろう。更に、流体による完全な力の伝達装置が完成されるであろう。その場合エンジンは1個のポンプに連結し、このポンプは4個の流体駆動装置に作用を及ぼし、各駆動装置はそれぞれ担当する車輪を直接駆動するに至るであろう。それがため、今日の効率の低い静水力学的トルクコンバータは更に改良されなくてはならない。

【評定】

トルクコンバーターを使ったATの予測。

「自動切り替え装置」はつまりATのことだが、いまのトルクコンバーターは、ポンプインペラー、タービンランナー、その間に存在するステーターの3つから成る「3要素1段2相式」と呼ばれるものが主流で、確かにその後に初代クラウンがATを持つようになるので〇は〇だ。

当時のカタログより。
国産車にATが初搭載されたのは初代クラウンの1900車で、商品名「トヨグライド」と呼ばれる2速のATだった。
国産初のAT搭載車、初代クラウン(当時の1960年版カタログより)。
トルクコンバーター透視図。
当時のカタログより。
4輪個々を独立して制御する完全電気自動車のひとつ、日産ARIYA e-4ORCE。

ところでリカートさんはこの中で、4輪それぞれを担当するトルコンを備え、その先に車輪を制御する駆動装置を予想している。
リカートさん自身は気づいていないと思うが、これは機能としては4輪を完全に個別制御する4WDということになる。だとすれば、これはいまのEVによる4WDそのものではないか!

構造の予測はまるで×だが、2024年現在、各社から少しずつ出ているEVの4WDの機能を、なんと1954年の時点で予測しているので、特別に(えらそうだ)◎を差し上げたい。

7.根本的に変るか? 制動装置

7.根本的に変るか? 制動装置

今日の制動機構は制動摩擦板式であるが、これは根本的に変更されるであろう。その新しい機構は“表面摩擦”を伴わないもので、制動による発熱は完全に消されなければならない。

【評定】

摩擦を伴わないブレーキ・・・これはプリウスなどのハイブリッド車で使われている電子制御ブレーキとして実現している。

プリウスのブレーキは、各世代によって少しずつ違いはあるものの、ペダル踏力の強弱は、走行中は回生ブレーキの強弱に現れ、停止直前で従来の摩擦式ブレーキに切り替わる(駆動輪のみ)。

2代目プリウス(NHW20)の電子制御ブレーキのシステム図。

結局は摩擦式から逃れられないのだが、多くを回生ブレーキに頼る分、パッドの減りが在来型のブレーキよりも格段に少ないという利点がある。

リカードさんの予測、さすがに25年・・・1978年までというわけにはいかなかったし、ハイブリッドによってとまでは考えていなかったに違いないが、ある程度予測が当たっているので○だ。

2代目プリウス(NHW20)。

8.空気装置を用いた懸架装置

8.空気装置を用いた懸架装置

懸架装置は当然一段と進歩するであろう。今日一般に使用されているショックアブソーバは不充分であるから、これは改良されるであろうし、更に弾力性のある圧搾空気装置を用いるようになるであろう。

【評価】

サスペンションの予測だ。

ショックアブソーバーはその後、可変式や複筒式の倒立型、微振動を吸収する仕掛けが採り入れられたりなどいろいろと進化しているが、1978年までとなるとどうか、判然としないのでひとまず保留。

世界初の電子制御式エアサスペンションは、2代目ソアラに起用された。

「圧搾空気装置」とはエアサスペンションのことだ。これはごく一部の高級車への採用にとどまっている。ただし25年以内でとはいえないので、トータルで見て○だろうか・・・

2代目ソアラ(1986(昭和61)年。

9.ボデイとその材質

ボデイを構成する材料の範囲が一層広くなるであろう。人造樹脂系や軽材質のものが次第に取り上げられる。又そのスタイルにおいても、無用で美的でないような装飾類のものが逐次省かれて行くことを希望する。

【評定】

クルマは随時低燃費と軽量化を図りながらここまできた。ただし材料の置換や使用量を抑えながらも現実には昔のクルマよりも大きくなっている分、重くなっている。主に対衝突要件を満たすための安全対策によるもの。
正しくは、材料を変えることで、安全のために大きくした割には燃費も重量も従来並み、あるいは大きく重くしたほどには燃費は悪くなっていないというべきだ。

25年で大きく変わったというわけにはいかなかったが、樹脂やアルミが多用されてきてはいたので○。安全対策のために結果的に軽くなっていないのはリカードさんの予測外れとはいえないだろう。

あと、「人造樹脂」という訳し方がいい。いまさらながら、約70年後のMotorFan.jp編集部員として、大谷製作所社長の大谷修さん(後述)に急遽〇をお送りさせていただく。

フロントフェンダーに「人造樹脂」を使ったバラードCR-X(1983(昭和58)年)。
ボディ全体が、アルミという「軽材質」のもので構成されたホンダNSX(1989(平成元)年)。世界初の快挙だった。

10.前照灯には偏光灯を

前照灯には偏光灯の使用が期待される。この光はこれに適応する前鏡と共に、幻惑(げんわく)を消すのである。

【評定】

先述のクラウンエイトおよびセンチュリーには、1960年代にしていまのクルマ並みに、対向車のライト光の有無でロー/ハイを切り替える自動ハイビームがあったものの、あくまでも採用車が限られており、×ではないが、普遍的だったわけでもないので○にとどめたい。

予想した25年後の1978年はまだまだ白熱灯が主流で、上級のクルマ向けにようやくハロゲンライトが出てきたかという頃だ。その意味では×。

1963年にしてオートハイビームが! クラウンエイトに搭載されたオートハイビームのセンサー。

ただし「幻惑を消す・・・」という機能はまさにいまの配光制御付きLEDライトであり、1955年時点でこの機能を予測したのは立派なので◎。

いまやアダプティブドライビングビームは、軽トラックにさえ装備されるようになった。写真は現行ハイゼットトラックのアダプティブランプ。

(11).執筆者・大谷さんが予想する「標準車」

これら10項目の予測はリカードさんのものだが、当時の編集部のページ担当者がどんな伝手で頼んだのか、記事の執筆者は、さきでちょっと触れた大谷製作所社長の大谷修さんという方である。

大谷製作所社長・大谷修さんの予測。

大谷さんは大谷さんで、25年後すなわち1978年の自動車の姿を「標準的な乗用車は“中量級”のものとなるであろう」として、

・空車時の重量 800kg
・最高出力 100~120馬力
・乗車定員 6名
・平坦路での最高時速 180km/h
・標準の燃料消費量 7~9L/100km(筆者追記:約11.1~14.3km/L)

と予測し、「25年後の1978年ニューモデルは、今日の自動車と比べてそれほど革命的な進化を示さないであろう。しかし、その進歩は極めて顕著なものがあろうと信ずる。」でむすんでいる。

・・・・・・・・。

排気量には触れていないものの、何だか大谷さんの予測がいちばん正解に近いような気がする・・・というわけで、ここは大谷さんにこそ◎を差し上げたい。
これら予想の当たり外れはさておき、これらを見て思うのは、さすがに電気・電子関連の発想はなかったのだなということだ。もし予想していたなら、当時風の表現で、

「エンジンに代わり、電気モーターが駆動源となり、あらゆる諸装置がいづれ発明される電子頭脳によって制御され、果ては電子頭脳による自動運転があたり前になるであろう・・・」

となるに違いない。

いかがだったろうか、 1955年から見た25年後の自動車予測。
25年どころか、時間的予測は外れながらも、50年も60年もかけて実現した技術もあり、先見性の鋭さをも併せ持った予想だったと思う。

さあ、これから世界は二酸化炭素排出ゼロを目指し、オール電気自動車に向かおうとしているが、果たしていまから25年後の2049年には本当に実現しているのだろうか?
そして私たちの生活はドラえもんの世界にいくらかでも追いついているのだろうか?
みなさんも25年後の自動車がどうなっているか、未来予測を楽しんでみてほしい。連休のひまつぶしになったかな。

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いまやアダプティブドライビングビームは、軽トラックにさえ装備されるようになった。写真は現行ハイゼットトラックのアダプティブランプ。

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1963年にしてオートハイビームが! クラウンエイトに搭載されたオートハイビームのセンサー。

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ボディ全体が、アルミという「軽材質」のもので構成されたホンダNSX(1989(平成元)年)。世界初の快挙だった。

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フロントフェンダーに「人造樹脂」を使ったバラードCR-X(1983(昭和58)年)。

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2代目ソアラ(1986(昭和61)年。

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世界初の電子制御式エアサスペンションは、2代目ソアラに起用された。

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2代目プリウス(NHW20)。

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2代目プリウス(NHW20)の電子制御ブレーキのシステム図。

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4輪個々を独立して制御する完全電気自動車のひとつ、日産ARIYA e-4ORCE。

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トルクコンバーター透視図。

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当時のカタログより。

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国産車にATが初搭載されたのは初代クラウンの1900車で、商品名「トヨグライド」と呼ばれる2速のATだった。

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当時のカタログより。

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国産初のAT搭載車、初代クラウン(当時の1960年版カタログより)。

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クラウンエイトに搭載されたV型8気筒エンジン。これは後にセンチュリーに置き換わる。

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クラウンエイト。

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2代目クラウン(1962(昭和37)年)。

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いまはまるで変わったが、少し前まで、直列であれV型であれ、クラウンといえば6気筒だった。意外にも初搭載は2代目になってから。実は初代クラウンがベースのパトカー仕様・トヨタパトロールにはランクル用の3.8L6気筒が搭載されている。

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量産車としては世界初の筒内噴射リーンバーン、4G93型GDIエンジン(1996年)。

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初のターボエンジン搭載車・日産セドリック(1979(昭和54年))

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L20ET用ターボチャージャーの透視図。

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日本で初めてターボが備えられたL20ETエンジン。

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マツダのユーノス800に搭載されたミラーサイクルエンジンのリショルムコンプレッサー。

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モーターファン 1955(昭和30)年1月号。本の発売は1954年11月だ。

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タイトル「25年後の自動車」。

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1.コンプレッサー(予圧器)の採用

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2.燃料の改良進歩

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3.燃料の供給方法の趨勢

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4.高出力、静粛なエンジンと冷却方式

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5.ガスタービンは実用の域に

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6.自動変速装置の発達

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7.根本的に変るか? 制動装置

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8.空気装置を用いた懸架装置

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9.ボデイとその材質

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10.前照灯には偏光灯を

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大谷製作所社長・大谷修さんの予測。

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