RX-8の祖先「RXエボルブ」はスポーツとセダンの二刀流!ロータリー復権の軌跡に迫る【懐かしのデザイン探訪】

先日開催されたAutomobile Council のマツダ・ブースで、RXエボルブが25年ぶりにファンの前に現れた。後のRX-8につながったコンセプトカーだが、そもそもはスポーツ「セダン」として企画されたもの。90年代にタイムスリップして、この魅力的なデザインの真相を探ってみよう。

TEXT:千葉 匠(CHIBA Takumi) PHOTO:​千葉 匠/MAZDA/MotorFan.jp

前史:RX-01からロードスター改造車へ

1995年の第31回東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「マツダMX-01」

マツダは1995年の東京モーターショーに、コンセプトカーのRX-01を出品した。MSP-REと呼ぶ新世代の自然吸気ロータリーを搭載した2+2シートのクーペ。エンジン位置を大胆に後退させて旋回時のヨー慣性を最小化し、さらにドライサンプの採用でエンジンを低く積んで低重心化した。

1995年のRX-01。ロータリーのコンパクトさと搭載位置を活かした低いボンネットが外観の特徴のひとつ。ノーズ上面/フェンダーとボンネットに大きな段差があるのは、ノーズ縦面のインテークからボンネットへ気流を導くためだ。

MSPはマルチサイドポートの略。13Bをベースに、ローターハウジングにあった排気ポートをサイドハウジングに移し、サイド吸気+サイド排気にすることで吸排気ポートのオーバーラップを解消。これで排ガスをクリーンにしながら、吸気ポートの拡大でパワーアップしたのが特徴だ。RX-01では220ps/8500rpmを謳った。

ロータリーエンジンをできるだけ車体の中央寄りに搭載。ストラットタワーバー真下にオルタネーターが見えるので、エンジン本体はフロントガラス下端より後方に位置している。

しかしバブル崩壊でマツダの経営環境は厳しい。94年に提携先のフォードとの協力関係を強化。続く96年には増資によりフォードの出資比率を25%から33.4%に引き上げ、フォード出身のヘンリー・ウォレス氏が社長に就任した。当時のフォード本社はロータリーエンジンに否定的。96年には新たなロータリースポーツ(おそらくはRX-01の発展版)の開発凍結が決定され、MSP-REは行き場を失ってしまう。

マツダ・RX-01

しかし、開発凍結と言われても諦めない一部のエンジニアが水面下で、使い古しのロードスターを改造し、RX-01の技術内容を盛り込んだ試作車を製作した。もともとRX-01はロードスターのフロアをベースにしていたから、それが可能だったのだろう。97年秋に完成した。

ここでマーチン・リーチ氏が登場する。96年にフォードから派遣されて商品開発担当の常務になっていた人物だ。マツダの誰もが生粋のクルマ好きで走り屋と評したリーチ氏は、テストコースでその試作車に乗り、すっかり惚れ込んだという。ロータリーを巡る風向きが変わった瞬間だった。リーチ氏はフォード本社を説得する側にまわった。

4ドア/4シーターのスポーツセダン

今回のAutomobile Council 2024に展示されたRXエボルブ。

RXエボルブのデビューに合わせて「RENESIS」という新呼称が与えられることになるMSP-REエンジンは、RX-01当時から粛々と開発が続いていた。それを搭載するロータリースポーツの開発が正式に決まったのは、98年6月のことだ。

それに先だって先行開発を実施。広島本社、横浜研究所、カリフォルニアのMNAO(マツダ・ノースアメリカン・オペレーションズ=略称エムネオ)の3拠点が、それぞれ構想を立案し、スケッチを描いた。それを本社でプレゼンテーションしたところ、リーチ氏が選んだのはMNAOが提案した観音開きドアを持つ4シーターのスポーツセダンだった。

そこから翌年の東京モーターショーに向けてRXエボルブのプロジェクトが広島本社で始動。RX-01を下敷きにしていたMNAO案のパッケージングを再検討すると共に、デザイン開発も仕切り直して、FD型RX-7を手掛けた佐藤洋一氏(すでに退職)がチーフデザイナーとなって進めた。
 
佐藤チーフの下でデザインを担当したのは田畑孝司氏や岩尾典史氏ら。田畑氏はその後、3代目プレマシーや最終型アクセラのチーフデザイナーを歴任し、現在は関連企業マツダE&Tの執行役員。岩尾氏は以後も先行開発やコンセプトカーを歴任し、2021年からアドバンスデザインスタジオ部長を務めている。

今回のAutomobile Councilでは、岩尾氏が描いたエクステリア・スケッチも展示されていた。25年もの間、「褪色しないように大事に保管していた」とい現物だ。

「リーチさんはとにかくセダンにこだわっていた」と岩尾氏は当時を振り返る。FD型RX-7はロータリースポーツの到達点と言えるモデル。しかし2+2では需要が限られる。4ドア/4シーターの実用性を備えればファミリー層にも需要が広がる、とリーチ氏は考えたのだ。

パッケージングの鍵は観音開きドア

RXエボルブは「RENESIS」をフロントミッドに搭載する。その後ろに4シーターのキャビンをレイアウトするとなると、ホイールベースが長くなりがち。長すぎると運動性能が下がるし、キャビンも長くなってスポーツカーらしく見えない。リーチ氏が求めるスポーツセダンの実現は、容易なことではなかった。

全長4285mm×全幅1760mm×全高1350mmと、4座セダンとしては短くて低全高なRXエボルブ。99年デビュー当時は淡いブルーメタリックのボディカラーだった。
2720mmのホイールベースのなかにロータリーエンジンと4人分のルーミーな室内空間を収めたパッケージング。これを成立させた鍵が、センターピラーレスの観音開きドアだった。

そこでデザイナーたちはAピラーを後ろに引きつつ、リヤは思い切り短くして、FRスポーツらしいロングノーズ&ショートデッキのプロポーションを採用。ホイールベースを2720mmにとどめながら(それでもFD型RX-7より295mm長い)、大人4人分の室内空間を確保した。後席空間は身長173cmの筆者には充分な広さだ。

ただしリヤドアは小さい。普通のスイングドアではドアに足がつかえて乗降しにくいので、センターピラーレスの観音開きドアは必然の選択。後にRX-8で「フリースタイルドア」と命名されるこの観音開きが、RXエボルブのパッケージングを成立させる鍵だった。

中央を凹ませた、いわゆる「パコダルーフ」はスポーティな低全高感、空力、居住性、乗降性をすべて満たすアイデア。FD型RX-7も同様のルーフを持つが、それは佐藤陽一チーフデザイナーがFD型での経験をRXエボルブに活かしたから。ただしFD型では空力のファインチューニングがその主目的だった。

居住性と乗降性を改善するもうひとつの要素が、中央部分を凹ませた通称「パゴダルーフ」である。RXエボルブの全高は1350mm。ピュアスポーツのFD型より120mm高いとはいえ、セダンとしては低い。そのなかでヘッドクリアランスをしっかり確保したいし、乗降性のためにはドア開口部の「鴨居」を上げたい。一方、スポーティさのために低全高に見えることが大事だし、前面投影面積を小さくして空気抵抗を低減したい。それらをすべて満たすのが、ルーフのサイド側は高く、中央を凹ませた「パゴダルーフ」というわけだ。

スポーティさもありつつ落ち着いたデザインのインテリア。後席にビルトインされたチャイルドシートが、「ファミリー狙い」の商品企画を象徴する。

インテリアはT字型のインパネと後席まで延びるセンターコンソールが特徴。インパネのセンタークラスターに並ぶ円形ダイヤルがスポーティ感を誘うが、グレー/ライトブラウンの内装色や後席のチャイルドシートも含めて、どちらかと言うと「セダンらしさ」に軸足を置いたデザインだった。

RXエボルブが遺したもの

RXエボルブに続いて、RX-8の開発がスタート。この写真は01年デトロイトショーで発表されたRX-8コンセプトで、ここまでは平田滋男氏(現フィアロ・コーポレーション)がチーフデザイナーを務め、バトンを受けた前田育男氏が「ちゃぶ台返し」の大変更で完成させたのが量産RX-8のデザインである。

03年1月に発売されたRX-8はもちろん、RXエボルブ直系の量産車だ。商品戦略企画部でRXエボルブの企画をまとめていた片淵昇氏が、東京モーターショーと相前後する99年秋に第3プラットフォーム・プログラム開発推進部に異動して新規車種の主査を拝命。やがてRX-8の開発計画が正式に承認された。しかし、RXエボルブが遺したものはRX-8だけではない。

Automobile Councilに展示するにあたって、デザイン本部のモデラーが傷んだところを補修すると共にボディカラーも塗り直した。RX-8のベロシティレッドの配合をベースに光輝材を増やし、00年デトロイトショー当時の「バーミリオンジャポネスク」の色味を再現したものだ。

99年東京モーターショーで淡いブルーメタリックだったボディカラーは、2ヶ月後のデトロイトショーでは赤に塗り替えられていた。その名も「バーミリオンジャポネスク」。日本の情緒を持つ朱色という主旨のネーミングだ。

マツダは70年代のファミリアから赤にこだわってきたが、この「バーミリオンジャポネスク」から、よりマツダらしい究極の赤を探求し始める。「バーミリオンジャポネスク」に量産要件を織り込んだベロシティレッドをRX-8に採用する一方、コンセプトカーでさまざまな赤にトライしながら新しい顔料や塗装技術を開発。それがソウルレッドにつながった。お馴染みのソウルレッドの原点は00年デトロイトのRXエボルブにあった、といっても過言ではない。

内装色も00年デトロイト仕様。赤黒ツートンがスポーティさをストレートに訴求する。シートのネット素材にもご注目。

もうひとつはシートである。ND型ロードスターのシートはフレームにネット素材を張り、その上に薄い発泡ウレタンを重ねている。低いヒップポイント実現するためにウレタンの厚さを通常の1/3に抑え、ネット素材が姿勢保持や振動減衰の機能を担う設計だ。このネット素材も、歴史を遡るとRXエボルブに行き着く。

RXエボルブのシートは、座面とバックレストの外周をウレタンで囲み、中央部分はネット素材だけ。広島の某シートメーカーが発案し、こだわって開発していた素材だ。強い力で張られているので座り心地は少しゴツゴツするが、ウレタンの厚み分だけ空間が広がる。おかげでRXエボルブは充分な後席レッグルームを確保できたし、低い全高でも前後席共にヘッドクリアランスを稼ぐことができた。RXエボルブにネット素材を提供したシートメーカーがND型のシートを生産しているのは、言うまでもない。

コンセプトカーは、その後の量産車にいろいろなものを遺すものだ。何が遺るのかをリアルタイムで見抜くのは難しいが、こうして懐かしいコンセプトカーに再会するのは、そこに秘められていた意義を掘り出す機会になる。コンセプトカーの奥深さを、あらためて再認識させてくれたRXエボルブだった。

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著者プロフィール

千葉 匠 近影

千葉 匠

1954年東京生まれ。千葉大学工業意匠学科を卒業し、78〜83年は日産ディーゼル工業でトラック/バスのデザ…