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前史:RX-01からロードスター改造車へ
マツダは1995年の東京モーターショーに、コンセプトカーのRX-01を出品した。MSP-REと呼ぶ新世代の自然吸気ロータリーを搭載した2+2シートのクーペ。エンジン位置を大胆に後退させて旋回時のヨー慣性を最小化し、さらにドライサンプの採用でエンジンを低く積んで低重心化した。
MSPはマルチサイドポートの略。13Bをベースに、ローターハウジングにあった排気ポートをサイドハウジングに移し、サイド吸気+サイド排気にすることで吸排気ポートのオーバーラップを解消。これで排ガスをクリーンにしながら、吸気ポートの拡大でパワーアップしたのが特徴だ。RX-01では220ps/8500rpmを謳った。
しかしバブル崩壊でマツダの経営環境は厳しい。94年に提携先のフォードとの協力関係を強化。続く96年には増資によりフォードの出資比率を25%から33.4%に引き上げ、フォード出身のヘンリー・ウォレス氏が社長に就任した。当時のフォード本社はロータリーエンジンに否定的。96年には新たなロータリースポーツ(おそらくはRX-01の発展版)の開発凍結が決定され、MSP-REは行き場を失ってしまう。
しかし、開発凍結と言われても諦めない一部のエンジニアが水面下で、使い古しのロードスターを改造し、RX-01の技術内容を盛り込んだ試作車を製作した。もともとRX-01はロードスターのフロアをベースにしていたから、それが可能だったのだろう。97年秋に完成した。
ここでマーチン・リーチ氏が登場する。96年にフォードから派遣されて商品開発担当の常務になっていた人物だ。マツダの誰もが生粋のクルマ好きで走り屋と評したリーチ氏は、テストコースでその試作車に乗り、すっかり惚れ込んだという。ロータリーを巡る風向きが変わった瞬間だった。リーチ氏はフォード本社を説得する側にまわった。
4ドア/4シーターのスポーツセダン
RXエボルブのデビューに合わせて「RENESIS」という新呼称が与えられることになるMSP-REエンジンは、RX-01当時から粛々と開発が続いていた。それを搭載するロータリースポーツの開発が正式に決まったのは、98年6月のことだ。
それに先だって先行開発を実施。広島本社、横浜研究所、カリフォルニアのMNAO(マツダ・ノースアメリカン・オペレーションズ=略称エムネオ)の3拠点が、それぞれ構想を立案し、スケッチを描いた。それを本社でプレゼンテーションしたところ、リーチ氏が選んだのはMNAOが提案した観音開きドアを持つ4シーターのスポーツセダンだった。
そこから翌年の東京モーターショーに向けてRXエボルブのプロジェクトが広島本社で始動。RX-01を下敷きにしていたMNAO案のパッケージングを再検討すると共に、デザイン開発も仕切り直して、FD型RX-7を手掛けた佐藤洋一氏(すでに退職)がチーフデザイナーとなって進めた。
佐藤チーフの下でデザインを担当したのは田畑孝司氏や岩尾典史氏ら。田畑氏はその後、3代目プレマシーや最終型アクセラのチーフデザイナーを歴任し、現在は関連企業マツダE&Tの執行役員。岩尾氏は以後も先行開発やコンセプトカーを歴任し、2021年からアドバンスデザインスタジオ部長を務めている。
「リーチさんはとにかくセダンにこだわっていた」と岩尾氏は当時を振り返る。FD型RX-7はロータリースポーツの到達点と言えるモデル。しかし2+2では需要が限られる。4ドア/4シーターの実用性を備えればファミリー層にも需要が広がる、とリーチ氏は考えたのだ。
パッケージングの鍵は観音開きドア
RXエボルブは「RENESIS」をフロントミッドに搭載する。その後ろに4シーターのキャビンをレイアウトするとなると、ホイールベースが長くなりがち。長すぎると運動性能が下がるし、キャビンも長くなってスポーツカーらしく見えない。リーチ氏が求めるスポーツセダンの実現は、容易なことではなかった。
そこでデザイナーたちはAピラーを後ろに引きつつ、リヤは思い切り短くして、FRスポーツらしいロングノーズ&ショートデッキのプロポーションを採用。ホイールベースを2720mmにとどめながら(それでもFD型RX-7より295mm長い)、大人4人分の室内空間を確保した。後席空間は身長173cmの筆者には充分な広さだ。
ただしリヤドアは小さい。普通のスイングドアではドアに足がつかえて乗降しにくいので、センターピラーレスの観音開きドアは必然の選択。後にRX-8で「フリースタイルドア」と命名されるこの観音開きが、RXエボルブのパッケージングを成立させる鍵だった。
居住性と乗降性を改善するもうひとつの要素が、中央部分を凹ませた通称「パゴダルーフ」である。RXエボルブの全高は1350mm。ピュアスポーツのFD型より120mm高いとはいえ、セダンとしては低い。そのなかでヘッドクリアランスをしっかり確保したいし、乗降性のためにはドア開口部の「鴨居」を上げたい。一方、スポーティさのために低全高に見えることが大事だし、前面投影面積を小さくして空気抵抗を低減したい。それらをすべて満たすのが、ルーフのサイド側は高く、中央を凹ませた「パゴダルーフ」というわけだ。
インテリアはT字型のインパネと後席まで延びるセンターコンソールが特徴。インパネのセンタークラスターに並ぶ円形ダイヤルがスポーティ感を誘うが、グレー/ライトブラウンの内装色や後席のチャイルドシートも含めて、どちらかと言うと「セダンらしさ」に軸足を置いたデザインだった。
RXエボルブが遺したもの
03年1月に発売されたRX-8はもちろん、RXエボルブ直系の量産車だ。商品戦略企画部でRXエボルブの企画をまとめていた片淵昇氏が、東京モーターショーと相前後する99年秋に第3プラットフォーム・プログラム開発推進部に異動して新規車種の主査を拝命。やがてRX-8の開発計画が正式に承認された。しかし、RXエボルブが遺したものはRX-8だけではない。
99年東京モーターショーで淡いブルーメタリックだったボディカラーは、2ヶ月後のデトロイトショーでは赤に塗り替えられていた。その名も「バーミリオンジャポネスク」。日本の情緒を持つ朱色という主旨のネーミングだ。
マツダは70年代のファミリアから赤にこだわってきたが、この「バーミリオンジャポネスク」から、よりマツダらしい究極の赤を探求し始める。「バーミリオンジャポネスク」に量産要件を織り込んだベロシティレッドをRX-8に採用する一方、コンセプトカーでさまざまな赤にトライしながら新しい顔料や塗装技術を開発。それがソウルレッドにつながった。お馴染みのソウルレッドの原点は00年デトロイトのRXエボルブにあった、といっても過言ではない。
もうひとつはシートである。ND型ロードスターのシートはフレームにネット素材を張り、その上に薄い発泡ウレタンを重ねている。低いヒップポイント実現するためにウレタンの厚さを通常の1/3に抑え、ネット素材が姿勢保持や振動減衰の機能を担う設計だ。このネット素材も、歴史を遡るとRXエボルブに行き着く。
RXエボルブのシートは、座面とバックレストの外周をウレタンで囲み、中央部分はネット素材だけ。広島の某シートメーカーが発案し、こだわって開発していた素材だ。強い力で張られているので座り心地は少しゴツゴツするが、ウレタンの厚み分だけ空間が広がる。おかげでRXエボルブは充分な後席レッグルームを確保できたし、低い全高でも前後席共にヘッドクリアランスを稼ぐことができた。RXエボルブにネット素材を提供したシートメーカーがND型のシートを生産しているのは、言うまでもない。
コンセプトカーは、その後の量産車にいろいろなものを遺すものだ。何が遺るのかをリアルタイムで見抜くのは難しいが、こうして懐かしいコンセプトカーに再会するのは、そこに秘められていた意義を掘り出す機会になる。コンセプトカーの奥深さを、あらためて再認識させてくれたRXエボルブだった。