一世を風靡した「サバンナRX-7」は、どのようにしてロータリーの逆境を乗り越えたのか【歴史に残るクルマと技術042】

マツダ サバンナRX-7(SA22C型)
マツダ サバンナRX-7(SA22C型)
マツダが誇るロータリー搭載モデルの中でも、コンパクト・軽量で高性能なロータリーエンジンの特徴を最大限生かした秀逸のスポーツモデル「サバンナRX-7(SA22C型)」は、1978年にデビューした。リトラクタブルヘッドライトを採用した流麗なスタイリングと他を圧倒するパワフルな走りで、多くの走り屋を魅了したのだ。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:オートスポーツ誌

●マツダが進めたロータリーモデルのラインナップ攻勢

マツダ サバンナRX-7(SA22C型)
1978年にデビューし多くの若者から愛された「サバンナRX」

1967年、マツダは世界初の量産ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発売し、世界中に大きな衝撃を与えた。最高出力110ps/最大トルク13.3kgmを発生する10A型(491cc×2ローター)ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツは、圧倒的な動力性能でロータリーの優れたポテンシャルをアピールした。

1967年に誕生した「コスモスポーツ」。世界初の量産ロータリー搭載車
1967年に誕生した「コスモスポーツ」。世界初の量産ロータリー搭載車

その後、「ファミリア(1968年~)」を大衆車市場、「ルーチェ(1969年~)」を高級車市場、「カペラ(1970年~)」を中級車市場、「サバンナ(1971年~)をスポーツ車市場、ラグジュアリースポーツの「コスモAP(1975年~)」と、ロータリーモデルのラインナップ攻勢をかけた。
ロータリーモデルは国内で順調に台数を伸ばし、一時はロータリーエンジンの生産が間に合わないほどの人気を獲得。マツダはロータリーエンジン量産化に成功した唯一のメーカーとして歴史にその名を刻んだ。

ルーチェ・ロータリークーペ
1969年にデビューした「ルーチェ・ロータリークーペ」、丸形ヘッドライトにイタリア風フォルムが特徴

●ロータリーへの逆風によって大きく失速したロータリーモデル

しかし、1973年に起こったオイルショックとマスキー法を起点とした排ガス規制の強化により、メーカーはその対応に追われ、特にレシプロエンジンよりも燃費や排ガス性能に苦しんだロータリーエンジンにとっては厳しい状況が続いた。
当時のロータリーエンジンの排ガス性能は、レシプロエンジンと比べるとNOxは半分程度だったが、HCとCOは5~10倍と多く、さらに燃費性能も大きく劣っていた。このような状況下でロータリーエンジンの燃費の悪さが市場でクローズアップされ、好調だった米国ではロータリーモデルの在庫が増え続け、国内の販売は3割近く落ち込む結果を招いた。

マツダ サバンナRX-7(SA22C型)
「サバンナRX-7」のロータリーエンジン

マツダは、巻き返しを図るため排気系に改良版サーマルリアクター(熱反応器)を装備し排ガスを低減。サーマルリアクターは、排気ポートの下流に装着した断熱性の高い熱反応器にエアポンプからの新鮮な空気(酸素)を投入することで、未燃のHCとCOを燃焼させるシステムである。
また燃費についても、ガスシール性の改良などロータリーエンジンの改良により、同クラスのレシプロエンジン車と同等レベルまで改善し、ロータリー存亡の危機を乗り越えることに成功したのだ。

●ロータリー復活の象徴となったサバンナRX-7(SA22C型)

上記のようなロータリーエンジンの改良により、最も厳しかった昭和53年排ガス規制に適合したピュアスポーツのRX-7の登場は、大きな注目を集めた。

「サバンナRX-7」のリアビュー
「サバンナRX-7」のリアビュー。個性的なリフトバックウインドウ

まず注目されたのは、エアロダイナミックスに優れたCd値0.36を達成した流麗なスタイリングだった。リトラクタブルヘッドライトを採用したラジエターグリルレスのスラントノーズに、リアは個性的なリフトバックウインドウとリアデッキとし、それまでの国産車にはない斬新なデザインに多くのユーザーは魅了された。
搭載された12A(573cc×2)型ロータリーエンジンは、最高出力130ps/最大トルク16.5kgmを発生し、1000kgを切る軽量ボディにより、最高速度は180km/h、0→400m加速15.8秒と、「ポルシェ924」や「フェアレディZ」に匹敵する抜群の動力性能を発揮した。

さらに、軽量コンパクトなロータリーの特徴を生かし、エンジンをフロントミッドシップして、前後重量配分を50.7:49.3と最適化することで、スポーツカーらしい軽快なハンドリング性能も実現されたのだ。
車両価格は、5速MTが169万円、リミテッドREマチック(3速AT)が173万円。ちなみに当時大卒初任給は10.3万円程度(現在は約23万円)なので、現在の価値では約377万円(5速MT)に相当するが、その実力から見ると割安感があり、ロータリー復活を象徴する大ヒットモデルとなった。

●世界三大耐久レースやWRCでも活躍

パワフルな走りのRX-7は、モータースポーツでも活躍し国内外の販売促進に一役買った。

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1979年デイトナ24時間レースでクラス優勝したRX-7

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1979年デイトナ24時間レースでクラス優勝したRX-7

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「一世を風靡した「サバンナRX-7」は、どのようにしてロータリーの逆境を乗り越えたのか【歴史に残るクルマと技術042】」の3枚めの画像
ベルギー・スパフランコルシャン24時間レースでクラス優勝したトム・ウォーキンショーRX-7

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ベルギー・スパフランコルシャン24時間レースでクラス優勝したトム・ウォーキンショーRX-7

RX-7は、その優れた高速耐久性をアピールするために、世界三大耐久レースに果敢に挑んだ。デビューの翌1979年のデイトナ24時間レースで2.5L以下のGTUクラスで初参戦初優勝、1980年以降は無敵で1987年までGTUマニュファクチャラーズタイトル8連覇などの輝かしい戦績を残した。
また同1979年には、ル・マン24時間レースにも参戦し、1981年にはスパ・フランコルシャン24時間レースで総合優勝を飾った。

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1985年アクロポリスラリー総合3位、2WD1位となったL.カールソン/B.メランドルのマツダRX-7

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1985年アクロポリスラリー総合3位、2WD1位となったL.カールソン/B.メランドルのマツダRX-7

さらにサーキットだけでなくWRCにも参戦。1979年にWRCモンテカルロラリーの“グループ2”でクラス優勝、1983年のアクロポリスラリーでクラス2位/3位、1985年にはトップカテゴリーの“グループB“で参戦し、アクロポリスラリーで総合3位という偉業を成し遂げたのだ。

●サバンナRX-7が誕生した1978年は、どんな年

ターセル(ハッチバック
1978年にデビューしたトヨタ初のFF「ターセル(ハッチバック)」

1978年には、サバンナRX-7の他にも、トヨタのコンパクトカー「ターセル/コルサ」や、三菱自動車のコンパクトカー「ミラージュ」、ホンダの初代「プレリュード」も誕生した。
ターセル/コルサは、トヨタ初のFF車でTV-CMに当時のスーパーアイドル山口百恵さんを起用し話題に。ミラージュはスーパーシフト付4速MTなど先進技術満載の欧州風ハッチバック。プレリュードは、ホンダ初のスペシャリティカーで人気は限定的だったが、続いた2代目と3代目プレリュードは大ヒットした。

1978年にデビューした三菱「ミラージュ」
1978年にデビューした三菱「ミラージュ」

その他、この年から自動車輸入関税が0%となり、1972年に返還された沖縄は米国施政下で右側通行を続けていたが、この年から本土と同様、左側通行に切り替えられた。新東京国際空港(成田国際空港)が開港し、英国で世界初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生、人気女性グループのキャンディーズが解散、サザンオールスターズが“勝手にシンドバッド”でデビューした年だった。
また、ガソリン109.1円/L、ビール大瓶216円、コーヒー一杯220円、ラーメン270円、カレー352円、アンパン72円の時代だった。

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流麗なスタイリングとロータリーらしいパワフルな走りで、ロータリーを代表するスポーツモデルとなった「サバンナRX-7」。世界中の若者を夢中にさせた“ロータリーロケット”、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…