100台のクルマを乗り継いでたどり着いた境地! マツダR360クーペが最高! 【クラシックカーフェスティバル2024 in 関東工大】

人生のうち、一体何台のクルマを乗り継ぐことができるのだろう。埼玉県鴻巣市で開催されたクラシックカーフェスティバルin関東工大の会場で出会ったR360クーペのオーナーは、なんと100台も乗り継いだという。一体どのような人なのだろう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
マツダR360クーペのフロントスタイル。

2024年4月27日に開催された「クラシックカーフェスティバル2024 in 関東工大」の模様は前回の記事でお伝えしたように、朝に小雨が降ったにも関わらず数多くの旧車たちが展示され大盛況だった。展示されるのは国産・輸入問わずで年式も幅広く募集されたため、多種多様な古いクルマの姿を楽しむことができた。さらに展示だけでなく選ばれたクルマの助手席に乗って試乗できるとあって、来場者にも大変好評。この同乗試乗に供された1台に水色のマツダR360クーペがあった。マツダ初の乗用車であり、クーペを名乗る最初の国産車にもなった名車だ。

エンジンをリヤに積むRR方式を採用している。

マツダR360クーペが発売されたのは1960年のこと。すでにスズライトやスバル360などのライバル車が存在するなか、R360クーペは安価かつ4ストロークエンジンを搭載することで他車との差別化に成功。またサブロク時代の軽自動車としては異例なAT車を設定していたことも特徴で、トルクコンバーターを用いる2段変速としていた。これは下肢障害者でも運転できるように2ペダルとしたもので、1962年に後継車のキャロルへバトンを渡した後も継続してAT車だけは生産販売された。

おむすび型のテールランプはストップとウインカーを兼用している。

2ストロークに比べて不利な4ストロークエンジンにこだわったことで、徹底した軽量化が施されている。リヤクオーターとリヤウインドーにはアクリルが採用され、ボディ自体を小型化するため2ドアクーペスタイルとされた。そのためリヤシートは実用性が低く子供向けだが、この時代にこれだけ愛らしいスタイルが完成したのだから驚くほかない。

エンジンは356cc空冷V型2気筒OHVでアルミを多用したことから「白いエンジン」と呼ばれる。
空冷エンジンのためオーナー自ら油温計とセンサーを装着した。

エンジンも軽量化のためアルミ製とされている。後継車のキャロルにも継承されたもので「白いエンジン」と当時は呼ばれた。だが、廃車されるとアルミが高値で売れることから、多くのR360クーペやキャロルはエンジンを剥ぎ取られて姿を消すことになる。そのため6万台以上が生産されたものの残存数が少ない車種でもある。だからこの日に同乗試乗された方は貴重な体験ができたことになる。このR360クーペのオーナーは73歳になる大森さんで、出会いは2年前に長野県で開催されたイベント会場でのことだった。

ダッシュボードの装着義務がない時代なため鉄板剥き出しの室内。

イベント会場に2台展示されていたR360クーペに目が釘付けとなった大森さんは、オーナーに掛け合って乗せてもらうことに成功。すると健気な走りに感銘を受け本気で欲しくなった。ところが希少なクルマのため満足いくような売り物に巡り会えない。すると長野県で乗せてもらったオーナーから半年後に連絡があり、手放すので譲ってもらえることになったのだ。

スピードメーターのみのため3連メーターなどを追加した。

こうして念願を叶えた大森さんだが、当初は走っては壊れ、直すと別の個所が壊れるといった具合に安心できる状態ではなかった。そこで自ら大整備に乗り出す。これまで100台ものクルマを乗り継ぎ、その度に自ら修理を繰り返してきた経歴の持ち主なので構造がシンプルなR360クーペは格好の素材。エンジンを分解するとピストンのトップリングが折れていることが発覚。油温が上がり性能が安定しない理由を突き止め、不安材料を解消。またサスペンションに特徴的なトーションラバーを採用しているが、すでにゴム自体が寿命を迎えていた。そこで他車流用のショックアブソーバーを用いてしっかり走れるように改良。今ではどこへでも自走できるようにコンディションを整えられた。

2+2と言っていいシートだがリヤに大人が座ることは事実上無理。

実際、大森さんは千葉県君津市にお住まいなので、この日の会場までは相当な時間がかかるはず。それでも無事に辿り着き同乗試乗までされたのだから、実力のほどがわかる。これまで100台ものクルマを乗り継いだのは直しては乗り換えることを繰り返してきたからだが、R360クーペだけは手放す気にならないという。無二のスタイルと非力ながら健気なV型2気筒エンジン、そしてRR方式などの要素が重なり大変な気に入りようなのだ。

メッキのホイールキャップ。中央にはmマークが入る。

自分で修理を繰り返してきたオーナーらしく、現在もR360クーペのほかにKB10サニークーペとホンダN360を修理中。いずれも自分の手で復活させることを楽しまれているが、修理が終わったとしてもR360クーペには乗り続けるそう。実にもう1台部品取り車も用意されているということだから、R360クーペへの愛情はとても深いのだろう。大森さんが年齢より若く見えるのは、好きなことを楽しまれているからなのだろう。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…