1970年代のオイルショック時、日産5代目「セドリック」はどのようにしてターボエンジンを国に認めさせたのか【歴史に残るクルマと技術044】

日産・セドリックターボ
日産・セドリックターボ
日産自動車のフラッグシップ5代目「セドリック」に、1979(昭和54)年10月、国内乗用車としては初のターボチャージャーエンジン搭載「セドリックターボ」が追加された。1973年のオイルショックや排ガス規制強化の影響で省エネ化が叫ばれているなか、日産は燃費が悪化しやすいターボを国に認可させたのだ。これが起爆剤となり、1980年代にターボによる高性能時代が到来した。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)

●クラウンに対抗、日産から高級車セドリック誕生

初代セドリックは、1955年に誕生したトヨタ「トヨペットクラウン」の対抗馬として1960年にデビューした。日産が初めて独自に開発した6人乗りの高級セダンで、縦目4灯のフロントマスクとAピラーを前傾させたパノラミックウインドウなどアメ車風のスタイリングが特徴である。

日産初代セドリック
1960年にデビューした日産初代セドリック

モノコックボディで車重を1195kgに抑えながら剛性を高め、さらに足まわりはフロントがダブルウイッシュボーン/コイル、リアは3枚リーフ/リジッドサスペンションを装備し、高級車らしい乗り心地を実現。パワートレインは、71psを発揮する1.5L直4 OHVエンジンと4速MTの組み合わせ。
ハイグレードのデラックスには、ヒーター、ラジオ、時計などが標準装備され、車両価格は101.5万円と初代クラウンと同額に設定され、日産のフラッグシップとしてスタート。以降、クラウンとともに日本の高級車の代名詞となり2004年まで販売が続けられた。

●先進技術満載のシャープなスタイリングで登場した5代目

日産・セドリックターボ
1979年に登場した日産・セドリックターボ

その後、クラウンと競い合いながらモデルチェンジを続け、1979年6月には5代目セドリックがデビュー。5代目セドリックは、先代のデコラティブなスタイリングから、直線と平面を基調にしたシャープなスタイリングに変貌し、先進の電子技術を積極的に採用した。

日産・セドリックターボ
日産「セドリックターボ」のリアビュー

ボディ構成は、4ドアセダンと4ドアハードトップ、ステーションワゴンが用意され、また“快適ローデシベル空間”のキャッチコピーで、各部の剛性アップや遮音材により静粛性を高めたこともセールスポイントだった。
エンジンラインナップは多彩で、2.0L直6 SOHCキャブ仕様(115ps)&EGI仕様(130ps)、2.8L直6 SOHC EGI仕様(145ps)のガソリンエンジンと2.0L(60ps)&2.2L(65ps)直4 OHVディーゼルエンジン。組み合わせるトランスミッションは3速ATと4速/5速MTが用意された。
ちなみにEGIは、噴射量や点火時期などをコンピューターで総合的にエンジンを制御する電子制御システムで、国産車初の技術である。

●燃費のためのターボとして認可されたセドリックターボ

そして、5代目デビューから4ヵ月後、2.0L直6 SOHCエンジンにターボを装着した国産乗用車初のターボモデルが追加された。

日産・セドリックターボ
日産・セドリック搭載ターボエンジン(L20ET)

1970年代は、オイルショックや排ガス規制が強化され、省エネや環境性能が重視された時代。そのため出力向上のためのターボエンジンは、運輸省(現、国交省)の認可がなかなか下りなかった。セドリックターボは、高出力のためでなく、中低速トルクを増大し低燃費と性能のバランスを取ったターボ。今でいうところのロープレッシャー(低圧)ターボやダウンサイジングターボに近いコンセプトで国内乗用車として初めて認可を受けたのだ。

セドリックターボは、過給圧は抑え気味ながら、最高出力145ps(ベースエンジンに対し15psアップ)、最大トルクは21.0kgm(4kgmアップ)を発生し、スポーティな走りができるモデルとして人気を集めた。
セドリックターボの車両価格は、ベースよりも約40万円高い226.3万~264.2万円。当時の大卒初任給は、11万円(現在は約23万円)程度なので、単純計算では現在の価値で473万~552万円に相当する。

日産・セドリックターボ
日産「セドリックターボ」の豪華なシート

●セドリックが起爆剤となり1980年代にターボ時代到来

日産・セドリックターボ
日産・セドリックターボ

1970年代のオイルショックと排ガス規制により、エンジン性能が抑えられた反動もあり、セドリックターボの登場が起爆剤となり、1980年代に入ると各メーカーから堰を切ったようにターボモデルが投入された。
ただし、そのほとんどはセドリックが認可された燃費に配慮したターボとは異なる、高性能を追求するための大型ターボを使った過激な高出力ターボだった。1980年代は、バブルの勢いもあり、クルマには高性能と高機能が求められ、多くの高性能モデルが登場した華やかな時代だった。
しかし、圧縮比を下げてターボの過給圧を上げて高出力を得るという手法は燃費の悪化を招くため、地球環境問題がクローズアップされ、バブルが崩壊した1990年代中頃には、ターボモデルは悪者とされて市場から淘汰された。

トヨタ6代目クラウン
1980年にトヨタ初のターボを搭載した6代目クラウン

ところが、2010年代に入ると欧州で燃費向上のためにダウンシングターボというコンセプトが市場を席巻し、再びターボモデルが復活。高出力化の切り札として登場し、環境に対する悪者扱いされたターボチャージャーだが、CO2削減が叫ばれる現在、低燃費に貢献する技術として活用されている。ターボは、基本的に排気エネルギーを回収するという技術なので、上手く使えば省エネになるのだ。

●日産のセドリックターボが登場した1979年はどんな年?

スズキ「アルト」
1979年に軽ボンネットバンとして大ヒットしたスズキ「アルト」

1979年には、スズキの「アルト」も発売された。アルトは、物品税がかからず価格が安くできる商用車でありながら、乗用車のようなスタイルの“軽ボンネットバン”という新しいカテゴリーを開拓し大ヒットした。
第1回パリ・ダカールラリー(パリ・ダカ)が開催。この年のパリダカは12月26日にパリを出発し、翌1979年1月7日にかけ167台が砂漠を駆け抜ける過酷なレース。ちなみに、優勝はランドローバーの「レンジローバー」であり、これによりランドローバーは高級オフローダーとしての地位を不動にした。

その他、スリーマイル島原発事故が発生、ソ連のアフガニスタン侵攻が開始、ソニーの「ウォークマン」が発売され、TVドラマ「3年B組金八先生」の放送が始まった。
また、ガソリン124.8円/L、ビール大瓶228円、コーヒー一杯238円、ラーメン290円、カレー356円、アンパン76円の時代だった。

日産・セドリックターボ
日産・セドリックターボの主要諸元

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誕生以来、トヨタのクラウンとともに高級車市場を二分する人気を獲得した「セドリック」。5代目は日本初のターボエンジンを搭載し、新たな高性能時代を切り開いた、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…