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■ハードトップの追加で人気のコロナマークIIを追走
1970(昭和45)年6月22日、日産自動車は1968年にデビューし“ハイオーナーセダン”を謳った初代「ローレル」に、ハードトップモデルを追加。コロナの上級モデルとして誕生した「コロナマークII」が設定していたハードトップモデルに対抗するために、同じピラーレスハードトップを設定したのだ。
●ハイオーナーセダンを謳った初代ローレル(C30型)
1966年に大ヒットした日産「サニー」とトヨタ「カローラ」が登場して、日本のモータリゼーションに火が付き、マイカーブームの到来とともに上級志向のクルマが求められるようになった。そのような中、日産は「ブルーバード」のワンランク上で「セドリック」の下に位置する上級車ローレルを、“ハイオーナーセダン”というキャッチコピーを掲げて1968年4月に発売した。
ブルーバードで採用された“スーパーソニックライン”を踏襲した直線基調のスタイリングに、最高出力100ps/最大トルク15kgmを発揮する1.8L直4 SOHCのエンジンを搭載。先進的な技術を備えていた初代ローレルだったが、半年後に登場したトヨタの初代「コロナマークII」に圧倒され、販売は苦戦した。
コロナマークIIは、コロナの最上級車種としてモデルチェンジの代わりに登場、4ドアセダンと2ドアハードトップが用意され、特にスタイリッシュな2ドアハードトップは月販2万台を記録する大ヒットを記録したのだ。
●日産初のハードトップをローレル(KC30型)に追加
日産は、コロナマークIIの2年後1970年に「ローレル・ハードトップ」を追加。ピラーレスハードトップを採用することで、従来の4ドアセダンとは異なるスポーティで流麗なスタイリングをアピールした。
エンジンも、最高出力125ps/17.5kgmの2.0L直4 SOHCを追加し走りにも磨きをかけた。インテリアは、フライトコクピットタイプのインパネにウッドステアリング、オプションでパワーウインドウを装備し、ハイオーナーカーらしさを演出。車両価格は、2.0Lの標準仕様で82.5万円、当時の大卒初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で約513万円に相当する。
ところが、トヨタはコロナマークII・ハードトップに、最高出力140ps を発揮する高性能の1.9L直4 DOHCエンジンを搭載した「コロナマークII GSS」を追加したため、ローレル・ハードトップは苦戦を強いられたのだ。
●ハードトップ時代をけん引したトヨタ
日本初のハードトップは、3代目「コロナ」の1965年に追加されたハードトップモデルである。次に登場したのが、上記の1968年の「コロナマークII」と3代目「クラウン」、その後も「カリーナ」、「セリカ」、「カローラ/スプリンター」と続々とハードトップモデルの展開を進めた。
そして、ハードトップは1980年代に大ブームとなったスポーティな高級セダン“ハイソカーブーム”で花開くことに。ここでも主役は、「ソアラ」と「マークII 3兄弟(マークII/チェイサー/クレスタ)」など、やはりトヨタだった。
一方、日産初のハードトップのローレルは、1972年にモデルチェンジで2代目に移行。“ノーブルでダイナミックな彫刻美”をデザインテーマにボディを拡大し、アメ車風の彫りの深いスタイリングとなり、特にトップグレードの2.0L直4 SOHCの2ドアハードトップ「2000GX」は、走り屋から人気を集めた。
2代目は、約5年間で累計販35万台のシリーズ最高の販売を記録したが、ハードトップ対応の出遅れが響いて、結局コロナマークIIを超えることはできなかった。
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コロナマークIIをライバルとして登場したローレルだが、ハイソカーブームの立役者に成長したマークIIに対して、ローレルは好き嫌いがハッキリ分かれた、ある意味大衆に媚びない個性派の人気モデルとして異彩を放った。
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