SUV超絶人気の“歴史の始まり”は三菱「パジェロ」! 本格オフローダーに市民権を与えたその魅力とは?【歴史に残るクルマと技術048】

三菱・パジェロ
三菱・パジェロ
1980年代~1990年代のRVブームの立役者となった三菱自動車の「パジェロ」は、1982年に登場した。それまでの武骨なイメージの本格オフロード4WDとは異なる、乗用車のような快適性や安全性を合わせ持つパジェロは、一世を風靡する大ヒットモデルとなった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・ハイパーレブ Vol.10 三菱パジェロ

●パジェロの源流は、重工時代の三菱ジープ

三菱・パジェロ
三菱・パジェロ

パジェロの始祖は、1956年から生産された三菱重工の「三菱ジープ」である。もともとジープは、米国陸軍の要請で開発された小型4輪駆動の軍用車であり、ジープの名前が正式に付けられたのは、第二次世界大戦後に米国ウイルス・オーバーランド社が商標登録したことに始まる。

菱ジープJ3
1953年の登場の「三菱ジープJ3」

ウイリス社は、1949年から日本での販売も始め、1953年に三菱重工がジープの国内ライセンス生産を取得し、三菱ジープが誕生。最初は、ウイリス社から技術支援を受けていたが、1956年からは自社エンジンを搭載して完全国産化を果たした。これを機に、ジープは国産車として民間にも販売されるようになった。

その後、三菱ジープはバリエーションを増やしながら進化を続け、一方で1982年にそれまでのジープの開発で培った技術を生かしたパジェロが誕生した。
その後も、三菱ジープは防衛省や熱狂的なジープファンのために生産を続けたが、2001年にその役目を終え、累積生産20万台超の記録を残して生産を終了した。

●乗用車感覚を纏った本格オフロード4WDパジェロの誕生

三菱・パジェロ
1982年に誕生した三菱・初代「パジェロ(2ドアメタルトップ)」

初代パジェロが目指したのは、ジープの走破性能を持ちながら、乗用車的な快適性や安全性を合わせ持つオフロード4WDだった。

堅牢なセパレートフレーム、フロントサスペンションにダブルウィッシュボーン/縦置きトーションバーの独立懸架、フロントブレーキにベンチレーテッドディスクなど、新しい時代に対応した仕様を採用。ボディタイプは、当初は2ドアのメタルトップと帆をまとったキャンパストップの2種だけだったが、翌1983年に乗用車系のワゴンタイプと7名乗車を可能にしたロングボディが追加された。
パワートレインは、低中速トルクに優れた最高出力95psの2.3L直4 SOHCディーゼルターボと75psの3.0L直4 SOHCディーゼル、110psの2.0L直4 SOHCガソリンの3種のエンジンと、4速および5速MTの組み合わせ。駆動方式は、オフロードに対応したパートタイム4WDである。

三菱・パジェロ
1983年に追加された三菱・パジェロワゴン

車両価格は、ガソリン車が189万~256万円、ディーゼル車が163万~255万円。なかでも人気のメタルトップ(2.3Lディーゼルターボ)は189万円に設定された。ちなみに当時の大卒初任給は12.5万円程度(現在は約23万円)なの、メタルトップ2.3Lが単純計算で現在の価値で約348万円に相当する。
従来の武骨なオフロード4WD車とは異なり、街中の走行も似合うスタイリッシュな新しいタイプのパジェロは、瞬く間に人気モデルとなり、日本のRVブームのパイオニアとなった。

三菱・パジェロ
三菱・初代パジェロのロングモデル
三菱・パジェロ
1989年の三菱・パジェロ ワイドシリーズ

●パリダカの活躍がパジェロ人気を加速

三菱・パジェロ
パリダカを激走する「パジェロ」。パリダカの活躍とともに人気は急上昇

パジェロは、発売の翌年1983年からオフロード性能の高さをアピールするため、パリ・ダカールラリー(通称、パリダカ)に参戦。パリダカは、毎年正月元旦にパリをスタート、アフリカの砂漠地帯を走破してセネガルのダカールにゴールする、当時としては世界一過酷なレースだった。

三菱・パジェロ
1995年のパリ-ダカールラリー参戦のパジェロ・プロトタイプ。プロト5と呼ばれる350psマシン

初参戦は、2.5L直4ガソリンエンジン搭載のキャンパストップモデルで、さっそく市販車無改造クラスで優勝。その後、エンジンを同エンジンのターボ仕様に変更して市販車改造クラスに移り、1985年に日本車初の総合優勝を果たす。1990年代から、このパジェロのパリダカでの活躍ぶりをNHKが連日特番で放映しため、パリダカブームに火がつき、パジェロ人気はさらに加速した。

その後も、パジェロはモデルチェンジしながらパリダカに参戦を続け、1997年篠塚健次郎選手がついに日本人初となるパリダカ総合優勝。さらに、1999年からは増岡浩選手が参戦し、2001年から2007年まで破竹の7連覇、7連覇中の2002年と2003年は、増岡選手が連覇するなど、世界の舞台で三菱パジェロは輝きを放ったのだ。

●パジェロの栄枯盛衰、ついに終焉を迎える

三菱・パジェロ
1994年にデビューした三菱・パジェロミニ。軽のオフローダーとしてヒット

1991年に登場した2代目パジェロは、パリダカ人気の後押しもあり絶好調を迎え、RVブームの主役となった。その勢いで、三菱はパジェロのシリーズ化を展開した。1994年に軽オフローダー「パジェロ・ミニ」、1995年には1.1Lエンジンを搭載した「パジェロ・ジュニア」、1998年にはコンパクトカー「パジェロ・イオ」も投入し、パジェロのブランド力を活かした幅広い商品展開を進めた。

三菱・パジェロ
1998年にデビューした三菱・パジェロイオ。パジェロをサイズダウンしたスタリング

その後、1999年に3代目、2006年には4代目が登場したが、2000年を迎える頃にはRVブームは去り、代わりに市場の興味がミニバンやソフトな都会派SUVに向かうと、パジェロの人気に陰りが見え始めた。さらに、三菱の経営状況が悪化したこともあり、パジェロの人気は一気に右肩下がりになった。
これを受け、三菱は国内向けについては2019年の「パジェロ・ファイナルエディション」を最後に生産終了。また、海外向けも2021年に生産を終え、1982年の初代モデル以来、生産台数で約300万台を誇ったパジェロは、39年の歴史に幕を下ろすこととなった。

三菱・パジェロ
1991年に登場して人気が爆発した三菱2代目「パジェロ」

●三菱のパジェロが登場した1982年は、どんな年

ホンダ2代目「プレリュード」
1982年発売のホンダ2代目「プレリュード」。デートカーの元祖的な存在

1982年には、三菱自動車の「パジェロ」の他にも、ホンダの2代目「プレリュード」、日産自動車の「マーチ」も発売された。
プレリュードは、リトラクタブルヘッドライトを装備した低いノーズのワイド&ローのスポーティなフォルムで大ヒットした“デートカー”の元祖的なモデル。マーチは著名なデザイナー、ジウジアーロがデザインした洗練された親しみのあるハッチバックで、世界戦略車としてヒットしたリッターカーである。

日産・初代「マーチ」
1982年に誕生した日産・初代「マーチ」。ジウジアーロデザインのリッターカー

その他、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併し、トヨタ自動車が誕生。東北新幹線・上越新幹線が開通、ホテルニュージャパンの火災発生、日航羽田沖墜落事故が発生した。
また、ガソリン172円/L、ビール大瓶268円、コーヒー一杯264円、ラーメン338円、カレー440円、アンパン84円の時代だった。

三菱・パジェロ
三菱・パジェロの主要諸元

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悪路専用だった本格オフロード4WDを、一般路や高速路でも快適に走れるお洒落な4WDへと変身させた三菱パジェロ。それまで高級車やスポーツカーに乗っていた4WDとは無縁のユーザーまでも夢中にさせた、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…