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■一世を風靡した“ケンメリ”に続いた“ジャパン”
1977(昭和52)年8月8日、日産から5代目「スカイライン」がデビューした。伝説となった“ハコスカ(C10型)”、“ケンメリ(C110型)”に続いた5代目のキャッチコピーは、日本車の決定版の意味を込めて“ジャパン”。環境問題がクローズアップした時期だったので、歴代スカイラインの中では比較的大人しいジェントルなモデルだった。
GT-Rを誕生させた3代目ハコスカ(C10型)
1964年に開催された第2回日本グランプリで直6エンジンを搭載した2000GTがポルシェを一時的だが抜き去るという偉業を成し遂げ、“羊の皮を被った狼“と評された2代目(S5型)。それに続いたのが、1968年にデビューした3代目スカイラインである。1966年に日産自動車とプリンス自動車が合併したので、3代目から正式名称はそれまでの「プリンス・スカイライン」から「ニッサン・スカイライン」に変わった。
3代目には、1.8L直4 SOHCエンジンと2代目から受け継いだ最高出力105psを発揮する2.0L直6 SOHCエンジンの2機種だったが、直6エンジンの2000GTがやはり人気となった。精悍な箱(ハコ)型のスタイリングから、”ハコスカ“と呼ばれて今でも多くのファンを持つ。
そして、1969年には現も国産車最高峰のスポーツモデル「GT-R」の初代に相当する「スカイライン2000GT-R」が誕生。レーシングカー用R380用エンジンを一般向けに改良して最高出力160psのパワーで最高速度は200km/hを超えた。
一大ブームを巻き起こした4代目ケンメリ(C110型)
ハコスカの後を継いだのが、“ケンとメリーのスカイライン”のキャッチコピーとともに1972年に華々しくデビューを飾った4代目スカイラインである。
ダイナミックなハコ型の“ハコスカ”からデザインを一新。シャープながらやや丸みを待たせたスポーティなファストバックスタイルと以降スカイラインのシンボルとなる丸形テールランプが特徴である。
4ドアセダンと2ドアハードトップ(HT)、ワゴン、バンが設定されたが、人気となったのはもちろん美しいフォルムのHTだ。室内も、大型ソフトパットで覆われたインパネや木目パネルを多用するなど、スポーティかつゴージャスに仕上げられ、エンジンは1.6L&1.8L直4 SOHCと、2000GTには2.0L直6 SOHCのツインキャブ仕様が搭載され、最高出力125psを誇った。
翌1973年には、先代同様160psの2000GT-Rを投入したが、排ガス規制の関係で僅か197台しか販売されず、希少かつ悲運のGT-Rとして今でも語り継がれている。4代目スカイラインは、ファッショナブルなTVコマーシャルで“ケンメリ”の愛称を日本中に浸透させ、“ハコスカ”を上回る人気を獲得し、歴代最高の販売台数を記録した。
排ガス規制に苦しむも引き続き人気を獲得した5代目ジャパン(C210型)
空前の大ヒットモデルとなったケンメリの後を継いだ5代目スカイラインは、“日本の風土が生んだ日本の名車”の意味を込めて、“スカイライン・ジャパン”のキャッチコピーが与えられた。
ジャパンは、先代より直線基調でシャープなフォルムを採用し、先代と同じく4ドアセダンと2ドアHTを用意。エンジンも先代と同じ1.6L&1.8L直4 SOHCエンジンと、2000GTには最高出力130psを発揮する2.0L直6 SOHCが搭載された。1970年代は、世界的なオイルショックと排ガス規制の強化によって、高性能を追求するのが難しく、特に際立った性能ではなかった。
しかし、排ガス規制から解放された1980年にスカイライン初となるターボモデルを追加、出力は一気に145psまで向上し、走りを極めるスカイラインらしさが戻ってきたのだ。
車両価格は、HTのTIシリーズが11.5万~138万円(1.6L&1.8L)、2000GTが125.9万~160.5万円、セダンはHTより5万~10万円安価に設定。ちなみに当時の大卒初任給は9.6万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算で現在の価値でHTの2000GTが302万~385万円に相当する。
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ジャパンは、排ガス規制や省エネ機運が高まった1970年代後半に登場したこともあり、スカイラインの中では大人し目のジェントルなスカイラインだった。しかし、先代のケンメリの勢いを減速させることなく、販売開始数年は15万台前後/年と好調な販売を記録した。
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