クルマが踊る!? アメ車カスタムの極致?ローライダーによるホッピングバトルを見よ!in『IKURA’sアメリカンフェスティバル2024』

富士スピードウェイで開催されたアメリカン・モーターカルチャーの祭典『IKURA’s アメリカンフェスティバル』(以下、IAF)の会場で、パドック前に専用の展示エリアが設けられていたLOWRIDER(ローライダー)。今回は派手なカスタムで注目度の高かったLOWRIDERを、ホッピングバトルの様子とともにリポートする。
PHOTO&REPORT:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

富士スピードウェイにアメ車や旧車が大集合!『IKURA’sアメリカンフェスティバル2024』は岩城滉一や横浜銀蝿もゲストで登場!!

いよいよ夏休みシーズンが到来。暑い夏と言えばアメ車の季節。そしてアメ車の季節と言えば、富士スピードウェイで開催されるアメリカン・モーターカルチャーの祭典『IKURA’s アメリカンフェスティバル』(以下、IAF)だ! 主催者のIKURA(イクラ)ちゃんこと井倉光一さんのボルテージは最高潮! アメ車を中心に国産旧車、VW、ハーレー・ダビットソンやインディアン、カワサキZシリーズなどのヤバめなマシンが全国からIAFの会場に集った。今回はイベントにエントリーしたCOOLなマシンを中心に、真夏の太陽に負けない熱気溢れる会場の様子をリポートする。 REPORT&PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)

IAFの会場で注目度の高かったLOWRIDER
その発祥は南カリフォルニアに移民して来たチカーノにある

富士スピードウェイ(静岡県)で2024年7月28日(日)に開催された『IKURA’s アメリカンフェスティバル2024』(以下、IAF)の会場には、ジャンルや車種、年式を問わず全国からさまざまなアメリカ車が集まった。その中でもMUSCLE CAR(マッスルカー)とともに、とくに注目を集めていたのがLOWRIDER(ローライダー)だ。

マスタング!コルベット!カマロ!チャレンジャー!アメ車の魅力はマッスルカー!! in『IKURA’sアメリカンフェスティバル2024』

富士スピードウェイで開催されたアメリカン・モーターカルチャーの祭典『IKURA’s アメリカンフェスティバル』(以下、IAF)の会場でもエントリー台数が多く、目立つ存在で人気を集めていたのがアメリカ車の魅力をギュッと凝縮したようなMUSCLE CAR(マッスルカー)だ。今回は1960~70年代前半にかけて相次いで登場した高出力・大排気量V8OHVエンジンを搭載した往年のMUSCLE CARを中心に紹介する。

伝統的に白人中心のHOTROD(ホットロッド)に対して、LOWRIDERはチカーノ(メキシコ系アメリカ人)が礎を築き、のちに同じくアメリカ社会でマイノリティだったアフリカ系アメリカ人(黒人)のジャンル参入によって大きく盛り上がることになる。

1993年に登場したキャディラック・フリートウッド・ブロアム(左)と1991年デビューのビュイック・ロードマスターセダン。ともにFR駆動方式を採るフルサイズセダン。LOWRIDERのベース車として人気が高い。

その発祥の地は1940年代後半のロサンゼルスやコンプトンなどの南カリフォルニアで、メキシコをはじめとした中南米からアメリカにやって来た若者たちは、不法就労するものが少なくはなく低所得に喘いでいた。アメリカ西海岸ではクルマは必需品だが、彼らはクルマを買おうにも裕福な白人のように新車を買うことができず、格安で購入した中古のシボレーやダッジなどをベースに、新車に負けないゴージャスなカスタムを施すことで見栄を張った。

1982年型キャデラック・ブロアムクーペ 。キャデラックブランドのフルサイズのFRクーペをベースに、 サスペンションに四輪独立でポンプを装着し、ハイドロシステムを駆動させることでスリーホイラー状態で展示されていた。

HOTRODに夢中だった白人の若者たちと違い、彼らはスピードを追い求めることはなく、車体をより大きく見せるために標準よりも小さなサイズのタイヤとホイールを装着し、車高を限界まで下げ、どのクルマよりも派手で目立つことを重視していた。その目的は街中をゆっくりとクルージングすることにあって、交通への危険性は少なかった。

美しいクロームメッキのパーツに、ワンポイントでゴールドメッキがあしらわれている。トランク開口部のパネルにはブラシアートによるミューラル(壁画)ペイントが施されており、セクシーな女性の姿が描かれている。

だが、南カリフォルニアへの移民流入を問題視していた当時の白人社会は、人種的偏見とも結びついてメキシコ系移民の象徴であるLOWRIDERの存在を苦々しく見ており、彼らを路上から排斥すべく、カリフォルニア州政府は1958年1月に車両法を改正して車高をホイールリム底部よりも低くする改造を禁止して取締りを強化した。

フロントの足まわりにも手が入れられており、アッパー&ロワーアームはクロームメッキ仕上げ、ちらりと見えるシャシーにはピンストライプが入る。ホイールは小径のデイトンで、ホワイトリボンタイヤが組み合わされている。

これによってLOWRIDERはその命脈を絶たれるかに思われたが、1959年に整備士のロン・アギーレが航空機用部品を流用してサスペンションの高さを変更するアイデアを思いつき、車高の低いクルマで行動を合法的に走れるようになったことで、LOWRIDERは辛くも存続することができた。

リヤの足まわりもフロントに負けず劣らず美しい仕上がり。デフケースやドライブシャフトなどはクロームメッキ仕上げ。

アギーレが改造に使ったパーツは、のちに「ハイドロリクス(通称ハイドロ)」と呼ばれるもので、停車時は車体をグランドタッチさせて見栄を切るが、走行時は車高を上げてクルーズを楽しむというスタイルが広く浸透する。

ローダウンで公道を合法的に走るためのハイドロが
いつかしか派手なパフォーマンスを見せるための手段に

もともとは法の抜け道を掻い潜り、取り締まりを避ける目的で始まったカスタムであったが、やがてはハイドロの油圧やコイル、シリンダー長、スイッチングやアクセルワークを活かしたパフォーマンスがLOWRIDERの間で自然発生的に現れた。

1977~1990年まで製造されていた3代目シボレー・カプリス。カプリスの2ドアクーペは1987年に生産を終了したモデルで、日本国内では希少な存在。フロントから見ると足廻りにハイドロ・システムを組み込み、小径ホイールを組み合わせた典型的なLOWRIDERスタイルのクルマに見えるが……。

ハイドロの仕組みはバッテリーを電源とする油圧ポンプをラゲッジルームなどに搭載し、足まわりにセットされたシリンダーに油圧ポンプでオイルを注入したり抜いたりすることで、車高調整をする仕組みとなっている。車両のサスペンションに前後独立あるいは四輪独立でポンプを装着し、駆動用のバッテリーを増やすことで歪でユニークな姿勢をクルマが取れるようになるのだ。

トランクフードには天使を描いたミューラルペイントが入り、このカプリスだけのオリジナリティを主張する。

これにより「ホッピング」(ハイドロのスイッチをタイミングよく操作することで車両をホップさせること)、「ランニングホップ」(ホッピングしながら走行すること)、「スリーホイラー」(コーナーリング中に曲がる方向と反対側のリヤシリンダーを縮めることで重心移動と遠心力を利用しながら曲がる方向のフロントタイヤを浮かせること)、「ナチュラル」(バッテリーの大量搭載により重心が後方に移動した状態をキープすること)「ベッドダンス」(ハイドロを仕込んだトラックの荷台を操作して複雑な動きをさせること)などのパフォーマンスがLOWRIDERオーナーたちの間でブームとなった。

ゴールド&グリーンでゴージャスに仕上げられたキャデラック・ブロアム。メッキパーツはすべてゴールドメッキ置き換えられている。

さらにバッテリーを増やせばそれだけ高電圧となるため、足まわりに装着したシリンダーの稼働スピードも速くなる。ということは、車両がホップするスピードも速くなるので、より高く車体を跳ねさせることが可能になる。そうしたことからLOWRIDERの間では、いつの頃からか車両を派手にカスタムするだけでなく、高くホッピングするなど、より派手なパフォーマンスを見せるマシンが称賛されるようになった。

「ナチュラル」ポジションで展示されていたリンカーン・マークⅥ。高級パーソナルクーペ のマークシリーズの5代目として1980年に登場。先代マークⅤのスタイリングテーマはそのままに車体サイズを大幅にシュリンクした。生産期間は3年ほどと短く、ユニークなカスタムペイントとも相待ってエントリー車の中でも目立っていた。

日本上陸から40年!? ブームは去ったがモーターカルチャーとして根付く

そんなLOWRIDERが日本に入ってきたのは1980年代のことで、バブル景気も追い風になって1990年代に人気に火がつき、若者の間でB-BOYや渋カジなどファッションが流行していた2000年頃がブームの頂点となった。

HOTRODやドラッグマシンのベースとして人気があるトライシェビーは、LOWRIDERのベースとして選ばれることが多い。写真の車両は「ベビーキャデラック」の愛称で知られる1957年型シボレー・ベルエア・2ドアハードトップ。

一時期はMOONEYES主催のStreet Car Nationalsやヨコハマホットロッドカスタムショーなどの、アメリカンカスタムのイベントではLOWRIDERが埋め尽くすほどの盛況ぶりを見せていたが、その後の経済の長期低迷、ガソリン価格の高騰、円安によるベース車両の価格上昇などが影響して往時ほどの盛り上がりは見せていない。

参加台数1000台以上!アメ車や国産旧車からネオクラに新型プリウスも!? カスタムカーの祭典『MOONEYES Street Car Nationals』を見てみよう!!

今年も初夏のAMERICAN CUSTOMの祭典『MOONEYES Street Car Nationals(ムーンアイズ・ストリートカー・ナショナルズ。以下、SCN)』が開催された。今回で36回目を数えるSCNは参加台数は1000台を超え、来場者数は1万人以上を数えるアジア最大規模のCUSTOM SHOWだ。参加車両はアメ車ベースのHOTROD(ホットロッド)、LOW RIDER(ローライダー)、TRUCKIN’(トラッキン)、STREET VAN(ストリートバン)から空冷VWベースのCAL LOOK(キャルルック)、軽自動車やコンパクトカーなどをベースにしたDOMESTIC CUSTOM(ドメスティックカスタム)までジャンルを問わず様々なマシンが一同に介する。今回はそんなSCNの様子をリポートしよう。

だが、それでも熱烈なファンは少なくなく、今回のIAFでは全国からLOWRIDERが集結。パッドック裏の特設会場を埋め尽くすほどの台数がエントリーした。

シボレー ・インパラとしては第3世代に当たる1964年型の2ドアHT。LOWRIDERのベース車としての人気が高く、ファンが憧れる車両だ。

集まった車両の中にはアメリカ本国のカーショーでアワードを充分に狙えるクオリティの高いマシンも散見され、LOWRIDERにあまり詳しくない筆者のような門外漢でもエントリー車両を見て回るだけでも充分に楽しめた。

1965年型シボレー ・インパラSS (スーパー・スポーツ)・2ドアコンバーチブル。第4世代インパラの初年度モデルで、アメリカでは年間販売台数が100万台を超える大ヒットモデルとなった。なお、この年からインパラ4ドアハードトップを対象にトリムレベルを引き上げるパッケージオプションとして「カプリス」が設定された。

IAF会場も大熱狂!LOWRIDERによるホッピングバトルが熱い!

ホッピングバトルのアンリミテッドクラスにエントリーした1964年型シボレー・インパラ。激しホッピングによりドライブシャフト が外れてしまう。

LOWRIDERの展示エリアで目玉イベントとなったのがホッピングバトルだ。とくに改造無制限のアンリミテッドクラスは、人の背丈より高くクルマがホッピングをするため、安全を考えて1台ずつパフォーマンスを披露するというスタイルを採る。このクラスにエントリーしたのは内外装を美しく仕上げたシボレー・インパラやビュイック・リーガルクーペ 、シボレー・マリブなどの往年の名車たちだ。

同じくアンリミテッドクラスにエントリーした1988年型オールズモビル・カトラス・シュープリーム。リヤバンパーがヒットするほど高くホッピングして会場を沸かせていた。ボディサイドのトリムは着地の衝撃で外れてしまった。

そんな希少性の高いクルマが合図とともにホッピングし、リヤバンパーが地面にタッチする高さまでノーズを持ち上げる姿は圧巻だ。しかし、当たり前のことだがクルマはホッピングすることを前提には作られてはいない。

1978~1983年にかけて生産された第5世代シボレー ・マリブワゴン。写真の車両は1982年のマイナーチェンジ以降の後期型で、ホッピングバトルに1980年代のステーションワゴンがエントリーするのは珍しい。

相応の対策が取られているとは言え、着地の衝撃は凄まじく、ホッピングを繰り返しているうちにパーツは外れて飛び散り、美しいペイントにはクラックが入り、サスペンションはナックルやアッパーアームが外れ、ドライブシャフトが脱落する。モーターやバッテリーはショートして火を吹き、過負荷に耐えきれなくなったポンプは壊れる。だが、そんな些細なことは構わぬとばかりに、一瞬のパフォーマンスのために限界に挑むのがこのクラスの特徴となる。

激しくホッピングするシボレー ・マリブワゴン。

もちろん、オーナーにとっては大切な愛車である。ホッピングバトルの終了後は壊れたマシンはガレージに戻ってから完璧に修理し、傷んだ車体をリペイントして再び元の美しい姿へと戻し、次のイベントに備えるのだという。エントリーした彼らの姿はどこかアスリートを思わせるストイックさがあり、会場に集まったオーディエンスの声援を一身に受ける姿は最高にCOOLだった。

アンリミテッドクラスに参戦した1962年型シボレー ・インパラ2ドアハードトップ。
1981~1987年にかけて生産された2代目ビュイック・リーガルの後期型。激しいホッピングの末、ヘッドランプは外れ、右前輪のアームが外れてしまった。美しく仕上げたマシンが壊れることも厭わずに一瞬のパフォーマンスのためにすべてをかける姿は最高にCOOLだ。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…