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ちょっとだけ振り返るシトロエンのラリーヒストリー
シトロエンがラリーフィールドに初登場したのは1956年のモンテカルロ。前年のパリ・モーターショーで発表されたばかりのID19(DS19の装備を簡略化したモデル)がプライベーターにより参戦。ピエール・クルトのドライブするID19は総合7位を獲得。1300〜2000ccクラスでは優勝を果たし、出場した6台全てが完走という結果を残している。
1959年にはモンテカルロとアドリアティコでポール・コルテローニが総合優勝を果たし、この年のドライバーズタイトルとマニファクチャラーズタイトルを獲得。その後も上位入賞を続け、1966年にはマイナーチェンジされたDS21をドライブしたパウリ・トイボネンが優勝している。
DSシリーズは生産が終了する1970年代の中盤まで参戦していた。その後もCXやGSが活躍。1986年には当時のグループBに参戦するため、FFのBXをベースにプジョー504用エンジンを縦置きで搭載して4WDへと改造したBX 4TCを投入するものの成績は振るわなかった。
1989年にはレーシング部門のシトロエン・スポールが誕生。AXやZXでレース活動を開始する。1991年には同じPSAグループのプジョーがラリー競技から撤退したのを受け、それを受け継ぐ形でZXが参戦。同年のパリ・ダカールラリーではアリ・バタネンのドライブにより総合優勝を獲得している。パリ・ダカールラリーでは1994、1995、1996年に3年連続で優勝している(1995、1996年はグラナダ・ダカール・ラリー)。
1998年にはクサラでWRCに参戦。1999年のカタルーニャとツール・ド・コルスで初の総合優勝を獲得した。2007年からはC4にスイッチ。セバスチャン・ローブはデビューから4年連続でドライバース・タイトルと獲得している。
2011年にWRCの車両レギュレーションが変更されるのに合わせ、ベース車両がDS3へと変更された。新規則に合わせてエンジンは1.6Lターボ、トランスミッションはマニュアルのシーケンシャル・フロアシフト、センターデフが廃止となっている。2011年はメキシコ、ポルトガル、ヨルダン、イタリア、アルゼンチン、アクロポリス、フィンランド、ドイツ、フランス、カタルーニャ、ウェールズで総合優勝。セバスチャン・ローブ&ダニエル・エレナ組はドライバーズ、コドライバーズ、マニファクチャラーズのタイトルを全て制覇し、翌年も同様に全制覇した。2017年からはC3に車両を変更するが、2019年をもってWRCからワークスチームは撤退している。
ワークスの撤退後、シトロエンC3は下位カテゴリーのR5規定車両とそれに続くラリー2規定車両をカスタマーチーム向けに販売。好成績を挙げている。
映画『OVER DRIVE』の劇用車!?
話をラリーファンミーティングに戻そう。会場で見つけた特徴的なレッドブルカラーのWRC仕様にドレスアップされていたDS3は、2011年に世界限定1000台で発売され、その後2000台が追加になったものの、日本市場にはわずか35台しか割り当てられなかった貴重なモデルであるDS3レーシングがベース。
WRCマシンのように大型のフロントバンパーと前後のブリスターフェンダーが装着され、リヤにはカーボン製のウイングが装備されている。
これらのボディパーツは全てワンオフで製作された世界で1台の貴重な車両なのだが、ラリーやレースに参戦するために作られたものではなく、2018年に公開された映画「OVER DRIVE」の劇用車として製作されたもの。
これはある意味ラリーカーより珍しいかもしれない。トヨタ・ヤリスに乗る主役の東出昌大のライバルとして登場する、北村匠海がドライブしていた車両そのもの。映画では黒×白のカラーリングが施されていたが、オーナーが購入後に2012年のレッドブル・ウェールズラリー・グレートブリテン仕様にレプリカ化されている。
オーナーの井出原さんは、当時乗っていたプジョー308GTをラリーレプリカにカスタムしようととあるショップを尋ねたところ、ガレージの隅にこのシトロエンDS3を発見。当初は非売品として展示されていたが、ショップのオーナーを説得して譲り受けることができた。
購入後にはロングドライブに出かけることが多く、購入時に6万kmだったDS3はもう12万kmを超えている。映画のロケ地巡りやラリーイベントにも積極的に参加している。一度ピストンリングが割れるというトラブルに見舞われたものの、現在は絶好調。リヤスポイラーが重すぎて燃費が悪いのが悩みだとか。