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■リッターカーの先駆車となったシャレード
1977(昭和52)年10月4日、ダイハツから軽量なコンパクトカー「シャレード」が発表(発売は11月)された。世界初の3気筒1.0Lエンジンを搭載し、広い室内空間とモンテカルロ・ラリーでクラス優勝した俊敏な走りで、リッターカーブームの先駆車となった。
3輪トラックで成長したダイハツ、トヨタとの提携が大きな転機に
1907年に発動機(エンジン)の開発・製造で創業したダイハツは、1930年に3輪自動車「HA型」で自動車事業に参入。戦後になって3輪車の需要が急速に高まり、3輪トラックを製造していたダイハツは急成長した。
1957年には小型3輪トラック「ミゼット」が爆発的なヒットを記録してダイハツの名を一般市民にも知らしめることになった。1960年代に入ると満を持して小型乗用車の開発に着手し、「コンパーノ・ベルリーナ(1963年~)」、「ベルリーナ800(1964年~)」、「コンパーノ・スパイダー(1965年~)」、1966年には軽自動車「フェロー」をデビューさせ、着々と乗用車メーカーへの階段を駆け上がったのだ。
そして1967年、ダイハツは資本強化のためトヨタ自動車と業務提携を結び、提携のメリットを生かして1969年にパブリカのボディを流用した「コンソルテ」、1974年にカローラベースの「シャルマン」を市場に投入した。
世界初の直列3気筒エンジンを搭載したシャレード
1977年のこの日、提携後初のダイハツオリジナルのリッターカー「シャレード」を発表。1.0Lエンジンながら、1.3Lクラスの小型車に匹敵する性能と室内空間、軽自動車並みの燃費を達成することを目標に開発された。
当初は4ドアハッチバックのみだったが、翌年にはハッチバッククーペも追加された。コンパクトながら、タイヤを極力隅に追いやり、乗員すべてをホイールベースの中に収めて十分な室内空間を確保。パワートレインは、乗用車としては世界初となる3気筒エンジンの1.0L 直3 SOHCエンジンと4速&5速MTの組み合わせ、駆動方式はFFである。
エンジンは1Lながらシャレードの車重は630~660kgと非常に軽量だったので、燃費の良さとともに軽快な走りが自慢だった。それを実証するため、海外ラリーにも積極的に挑戦し、1981年にはモンテカルロ・ラリーでクラス優勝を飾る活躍を見せた。
車両価格は、65.3万~79.8万円。当時の大卒初任給は9.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約156万~191万円に相当する。1970年代後半は、1973年のオイルショックや排ガス規制の影響で省エネブームが続いており、燃費の良かったリッターカーのシャレードは、ダイハツ久々のヒットとなった。
当時直列3気筒が敬遠されたのは振動
現在、軽自動車や小型車の多くは3気筒エンジンを搭載しているが、4気筒に較べると機構的に3気筒エンジンは振動面で不利であることは否めない。
4気筒エンジンでは、クランクシャフト中央位置を中心にピストンの動きは「#1&#2気筒)」と「#3&#4気筒」が対称になるのでつり合いが取れる。一方、3気筒ではピストン位置がクランク中央に対して対称にできないので、クランクシャフトの両端を交互に上下させる、揺さぶるような振動”偶力“が発生するのだ。
シャレードは、この振動を打ち消すためにクランクシャフトと連動する逆回転のバランサーシャフトを設けて対応した。
ちなみに現在は、この振動の課題については、主としてクランク前端のクランクプーリーや後端のフライホイールにバランスウェイトの装着することやエンジンマウントの改良などで、問題のないレベルまで解消している。
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軽自動車と当時人気だった1.3~1.5Lクラスのコンパクトカーの中間を埋めるシャレードは、リッターカーの元祖的なモデルだった。その後、日産自動車「マーチ」、スズキ「スイフト」、三菱自動車「ミラージュ」など人気モデルが続いたが、2000年以降は軽のハイトワゴンブームが起こって市場を奪われ、リッターカーはやや中途半端な位置づけとなってしまった。
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