ランボルギーニ イオタ。1969年にミウラの改良開発過程で誕生した、開発ドライバー、ボブ・ウォレスの赤ちゃん。
事故車のミウラをベースに、未だ発展途上で市場に送り出されたミウラの不満点に手を加えながら、レース仕様さながらのエンジンの開発や足まわりの見直しなどを行ない、リベットやつぎはぎだらけの異様なスタイルのイオタJが出来上がりました。
しかしイオタは誕生からわずか2年で事故により焼失。エンジンのみが、その開発により改良されたミウラSVへと移植されて現存しているそうです。
2019年、そのイオタ誕生50周年を祝う企画がランボルギーニのふるさと、ボローニャ県はサンタアガタ市(イタリアでは市区町村の区別はなく、すべて「コムーネ」と呼ばれますが、本稿では便宜上「市」とします)の市役所前のメインストリートで行なわれました。イオタにまつわるビッグネームの面々が集い、イオタのクローンやミウラ イオタ、ミウラなどとともに、ランボルギーニ創始者のフェルッチョ氏の誕生日もお祝いされました。
そんなイベントについて、アルミのランボルギーニ イオタのオブジェを製作された綿引雄司さんの思い出話をもとにお話ししていきましょう。
2019年4月23日、アルミのランボルギーニ イオタJのオブジェ製作を依頼したGGF-Tの赤間保氏、実際にアルミを叩いてイオタのオブジェを製作された綿引さん、そしてイタリアとのパイプ役となってプロジェクトを導かれたマセラティ クラブ オブ ジャパンの越湖信一氏を中心にしたプロジェクトチームはイタリアのモデナに到着しました。
綿引さんは初めてのイタリア訪問だったそうで、その時、日本で綿引さんのフェイスブックを見ていたボクは、夜のモデナの教会の尖塔の写真をタイムラインにあげられた綿引さんの興奮が手に取るように伝わってきたのを覚えています。
日本から船便でイタリアに送ったのは、イオタの完成したフロントノーズ部分のみ。センターカウルとリヤカウルは完成を目指して日本で作業を進め、あらためて9月のイベントでイタリア、フェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムにおいて合体した姿を世界中にお披露目することが既に決まっていました。
綿引さんたちはモデナのエンツォ フェラーリ ミュージアムやマラネロのフェラーリ ミュージアムなどを堪能された後、到着したイオタのフロントノーズを預かってもらっていたレストア工場へ。そこで綿引さん自製の木箱を開封してノーズと再会、急遽決まったアルミを叩くデモンストレーションのためにハンマーなどの道具を、件の工場で借りることにされたそうです。
迎えた27日のイベント当日。サンタアガタのメインストリートは、美しいイタリアの光溢れる素晴らしい好天に恵まれていました。この日、サンタアガタ市庁舎の裏手にあるこじんまりとした公園にランボルギーニの創始者、フェルッチョ・ランボルギーニの銅像が建てられ、翌4月28日の誕生日をお祝いしてその除幕式が執り行なわれました。
集まったのはあのランボルギーニの名テストドライバー、バレンティーノ・バルボーニ氏をはじめ、フェルッチョ氏の孫娘でモデルをされている綺麗なお嬢さんエレットラ・ランボルギーニさん、日本で有名なイオタSVRをファクトリーに発注した張本人であるドイツ人のハインツ・スティバー氏、故ボブ・ウォレス氏の兄夫婦など錚々たるメンバーでした。その中にはあの濃紺のミウラ イオタをレストアしたガッティさんの姿もありました。
そしてメインストリートでは続々とクラシック ランボルギーニが集い、その中でも目を引いたのはイギリスから参加したクローン イオタでした。ミウラからモディファイされたスタイルは迫力満点で、ボブ自身が組んだというレーシングエンジンはマフラーが直管に近いせいか、驚くほどの迫力あるエキゾーストサウンドを奏でています。
モディファイされたリヤフェンダーのボリュームはとても迫力があり、リアル イオタの面影が浮かびます。
そしていよいよGGF-Tによるアルミ製イオタJのフロントノーズのオブジェのお披露目です。綿引さんがアルミを叩いて形を作るデモンストレーションを行なう横で、オブジェにかけられたカバーが剥がされると、来賓から驚きの声が上がったそうです。越湖氏によれば、イタリアでは昔から職人たちがアルミを叩いてボディを作り出していますが、その手法は木型に合わせてボディを形作っていくのが一般的で、木型を使わずにここまでの形を手と目のバランスだけで作り上げてしまうことが信じられなかったそうです。
その様子はニュースや新聞で配信され、日本で見ていたボクもフェイスブックでの生中継によって体験することができました。
美しいミウラやクローン イオタ、ガッティさんがレストアされたミウラ イオタたちが、溢れる陽光のものとでキラキラと輝いています。その様子をボクは思わず衝動に駆られて水彩画にしていきました。
イベントの後、一行はレストランへと場所を移し、ベルギーのランボルギーニ クラブなども集まってランボルギーニの話題、日本のスーパーカー事情など話は尽きなかったそうです。スーパーカーブームがあの時に起こって子供たちが夢中になったという現象は、世界中でも日本だけだったようで、イオタがこれだけ注目されているというのも日本だけの特殊な事情なのだそうです。世界的にはイオタの知名度はミウラほど高くありません。そんな、ある意味“秘宝”を発見して物語として広めていくことが、今回のプロジェクトの目的でもあったのです。
そしてその後はランボルギーニ本社ミュージアムへ移動。そこにはクローン イオタが場所を移して展示されていました。さらにフーノのフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムではフェルッチョ氏の遺産に心奪われ、その秘書だったクリスティーナさんの解説もまた素晴らしいものでした。大きく掲げられたフェルッチョ氏の写真を前に、綿引さんは次はイオタの全身のお披露目をすることを心に誓ったそうです。
翌28日はイモラ サーキットでのミナルディ デイに参加しヒストリックF1を堪能した後、夜は、今は亡きカウンタックの父・スタンツァーニ氏の元・自宅を改装したレストラン『ランボルギーニの館』でのディナー。ボブ・ウォレス氏の兄夫婦も招き、ボブの思い出話をしながら時を過ごしたそうです。
29日にはプロジェクト一行はサンタアガタの小学校を訪問。アルミで叩いたイオタJのフロントノーズを校庭に持ち込み、子供たちに絵本『アヒルのジェイ』のイタリア語版の読み聞かせ会を開きました。語ってくれたのはフェルッチョやボブとも親しかったクリスティーナさん。子供達は目をキラキラさせて話に釘付けだったそうです。
さらに一行はトリノの博物館でのガンディーニ展の見学、GFGデザインのジウジアーロ氏の訪問など素晴らしいメニューをこなして帰国の途に就きました。
他愛ない雑談から生まれた、ランボルギーニ イオタJを作り出す「プロジェクトJ」にまつわるストーリー。次回は9月に開かれたフェルッチョ ランボルギーニ ミュージアムでの全身のお披露目についてお話したいと思います。