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■FFに生まれ変わった5代目サニー
1981年(昭和56年)10月13日、日産自動車の人気大衆車「サニー」の5代目がデビューした。サニー初のFFに生まれ変わった5代目は、同時にダットサンの冠が取れ、サニーの単独ネームとなり、FFのメリットを生かした快適な室内空間を実現し、さらに優れた走りと燃費をアピールした。
カローラとともに小型大衆車市場をけん引したダットサン・サニー
初代サニー「ダットサン・サニー」は、1966年4月に誕生した。当時は、日本のモータリゼーション黎明期であり、高速走行もできる本格的なクルマ作りが始まった時期だった。
小型大衆車の先陣を切ったサニーは、ノーズが長く、傾斜したリアウインドウで構成されるファストバックのような、当時としては斬新なスタイリングを採用。最大の特徴は、新開発の一体成型で剛性を確保しながら、外板も極力薄肉化を図り、625kgという軽量ボディを達成したことだった。
最高出力56psを発揮する1.0L直4 OHVエンジンを軽量ボディに搭載し、1.5Lクラス並みの優れた走りが自慢だった。発売後、サニーは5ヶ月で3万台を売り上げ、その年の12月には月販台数が1万台の大台を突破する大ヒットを記録した。
そしてサニーのデビューから遅れること半年後の11月には、トヨタからライバルとなる初代「カローラ」が登場。初代対決は、総合力で優るカローラが販売台数で上回ったが、その後“CS戦争”と呼ばれる激しいトップ争いを繰り広げ、日本の小型大衆車市場をけん引したのだ。
FRからサニー初のFFとなった5代目サニー
その後もサニーは、モデルチェンジによって進化を続けたが、販売台数ではカローラの後塵を拝した。そして、1981年のこの日、それまでのFRからFFレイアウトへ、そして車名から「ダットサン」が外れてサニーという単独ネームになった5代目が登場した。
FFのメリットを最大限に生かすため、すべての基本設計を一新。エンジンとトランスアクスルを横置きとし、ワイドトレッド&ロングホイールベース化することによって、クラストップの室内空間が実現された。
ボディスタイルは、4ドアセダンをメインにスタイリッシュなハッチバッククーペ、カリフォルニアと呼ばれた5ドアワゴンの3つがラインナップされ、パワートレインは1.3L(75ps)&1.5L(85ps)直4 SOHCエンジンと、3速ATおよび4速/5速MTの組み合わせが用意された。
車両価格は、1.5L仕様でセダンが79.5万~119.4万円、ハッチバックが99.0万~124.4万円、カリフォルニアが106.1万~128.4万円。当時の大卒初任給は12万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値でセダンが約152万~229万円に相当する。
ターボ、ディーゼルと積極的にモデル展開
5代目サニーは、ユーザーの声に応えるように積極的にモデル展開を進めた。
デビューの翌1982年9月には、サニー初のターボ搭載車「サニーターボ・ルプリ」を追加。ルプリに搭載された1.5L直4 SOHCターボエンジンは、最高出力115ps/最大トルク17kgmを発揮し、ベースに対して最高出力は35%向上。これにより、1.6L直4 DOHCエンジンを搭載していたカローラを凌ぎ、同クラストップの走りを実現したのだ。
さらに翌10月には、セダンとカリフォルニアに61ps/10.6kgmの1.7L直4 SOHC渦流室ディーゼルを搭載。サニーとしては初のディーゼルモデルで、燃費の良さをアピールした。
ちなみにカローラは、サニーより約2年遅れの1983年発売の5代目でFFに切り替えた。しかし、スポーツタイプの「カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型:愛称ハチロク)」は、FRを踏襲して人気を獲得した。
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5代目サニーは、FF化のメリットを生かした広い室内とともに優れた走りと燃費の良さをアピールしたが、広い室内の割に内装がシンプル過ぎて高級感に乏しかったためか、当時の上級志向のユーザーには不評で、総合的にバランスの取れたカローラには販売では及ばなかった。
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