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■日産「R380」のスピード記録がFIAで公認
1967(昭和42)年11月11日、日産自動車が10月8日に開催したスピードトライアルで、レーシングカー「R380」が樹立した7つの記録が、FIA(国際自動車連盟)によって国際記録として正式に公認されたことを発表した。R380は、元々は日産に吸収合併する前のプリンス自動車が開発したレーシングカーである。
ポルシェ904に負けた雪辱から生まれたR380
レーシングカーR380を開発したのは、日産自動車と吸収合併する前のプリンス自動車である。
1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPに、プリンス自動車は初代スカイラインのスポーツモデル「スカイラインスポーツ」と「スカイラインスーパー」で参戦したが、見せ場なく惨敗。そこで、プリンス自動車は翌1964年の第2回日本GPで雪辱を果たすため、2代目スカイラインにグロリアの2.0L直6 SOHCエンジンを搭載した「スカイラインGT」で参戦。スカGは、7周目のヘアピンカーブで「ポルシェ904」を抜き去り、先頭に立つという快挙を達成。これによって、今も語り継がれる“スカG伝説”が誕生したが、最終的にはレースはポルシェ904の圧勝で終わった。
ポルシェ904のプロトタイプスポーツカーの高性能を目の当たりにしたプリンス自動車は、ポルシェ904に勝てる、本格的なレーシングカーの開発を決断。これが、R380だったのだ。
プリンス自動車渾身のプロトタイプレーシングカーR380
R380の開発リーダーには、スカイライン生みの親の桜井眞一郎があたり、まずは参考車として当時のレーシングカーの名門、ブラハム「BT8」を購入し、分解して徹底的に分析することから始めた。
R380のボディは、風洞試験を重ねてスタイリングを決定し、アルミパネルの溶接は立川飛行機出身の熟練者が丹念に作り上げた。車体を鋼管スペースフレーム+アルミ合金製ボディで製作、サスペンションを前軸:ダブルウィッシュボーン/後軸:ダブルトレーリングで構成し、ブレーキにはガーリングタイプの4輪ディスクが組み込まれた。
ミッドシップされたエンジンは、ウェーバー製キャブレターを3連装し、フルトラ式点火装置を装備した1996cc直6 DOHC 4バルブ(GR8)エンジン。アルミ合金製シリンダーヘッドに鋳鉄製シリンダーブロックで構成され、ギアトレイン式のカムシャフト駆動、ドライサンプ式オイル潤滑システムが採用された。ヒューランド製5速MTを組み合わせ、最高出力は220psを発生し、最高速度は290km/hを超えた。
ちなみに、GR8エンジンから派生した市販エンジンが、“ハコスカ”「2000GT-R」に搭載されたS20エンジンだ。
日本GPを制覇して、7つの国際スピード記録を樹立
R380が完成したのは1965年6月末、そこから試験走行を繰り返してマシンの完成度を高め、満を持して1966年5月の第3回日本GPに参戦。ポルシェ906やトヨタ2000GTを破って前回の雪辱を果たして見事1-2フィニッシュ。プリンス自動車は同年8月の日産との合併を控えた最後のレースで見事有終の美を飾ったのだ。
そして、1967年11月8日には茨城県の日本自動車研究所:通称・谷田部の高速周回路でのスピードトライアルに挑戦した。
・区間記録(区間距離:平均速度)
50km:256.09km/h、50マイル:255.37km/h、100km:254.67km/h、100マイル:252.44km/h、200km:251.99km/h、200マイル:251.22km/h
・時間記録
1時間で走行距離250.98km:平均速度250.98km/h
以上の7種目のスピード記録は、11月のこの日にFIAによって国際記録として正式に公認されたのだ。
その後、日本GPは大排気量マシンの戦いに移行し、短時間で開発できなかった日産は、シボレー製の5.5L V8エンジンを搭載した「R381」を開発し、1968年第5回日本GPで優勝を果たした。1969年第6回日本GPでは、さらに大排気量化に拍車がかかり、日産は自社開発の6.0L V12エンジンを搭載した「R382」で参戦し、ここでも1位、2位を独占する圧倒的な速さを見せつけた。
日産は引き続き1970年第7回日本GP用に「R383」を開発していたが、突然排ガス対策に専念することを理由に、GP参戦を断念。「トヨタ7ターボ」で参戦予定だったトヨタも不参加を表明し、結局この年の日本GPは開催中止となった。
これにより、プロトタイプレースカーが主役だったレーシングスポーツの歴史は幕を下ろしたのだ。
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短期間だったが、日本のレーシングスポーツの原点になったR380。レーシングカーの開発は、制約の多い乗用車開発とは異なり、純粋に将来につながる先進技術を追求でき、その技術を市販車にフィードバックできる。ただし、レース用マシンの開発やレース参戦には多額の費用がかかるので、2000年以降はレース活動から撤退するメーカーが増えてしまった。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。