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■ブルーバード・シルフィが3代目でシルフィを名乗った
2012(平成24)年12月5日、日産自動車はミドルサイズセダン「シルフィ」を発売。1959年に誕生して長く日産を代表する大衆セダンとして人気を獲得した「ブルーバード」は、2000年に「ブルーバード・シルフィ」、そしてこの代で「シルフィ」と車名を変更。名車ブルーバードは、シルフィ誕生を機に53年の歴史に幕を下ろしたのだ。
日本のマイカーブームをけん引したブルーバード
日産のブルーバードと言えば、トヨタの「コロナ」とともに1960年代に日本のモータリゼーション、マイカーブームをけん引したミドルクラスのセダンである。
初代ブルーバードは、1957年にデビューしたトヨタの初代コロナ「トヨペットコロナ」に対抗するかたちで、1959年に「ダットサン・ブルーバード(310型)」の車名で誕生。1960年代から1970年代にかけて、ライバルのコロナと“BC戦争”と呼ばれた熾烈な販売競争を繰り広げた。
モータースポーツでも華々しい活躍をし、世界で最も過酷と言われたサファリ・ラリーで優勝した初の日本車はブルーバード1600SSS(510型)だった。当時のブルーバードは、日産の優れた技術の象徴であり、看板モデルとして不動の人気を誇っていたのだ。
11代目でブルーバード・シルフィに車名変更
一時代を築いたブルーバードも2000年を迎える頃には人気が低迷。2000年に登場した11代目ブルーバードは、シルフィというサブネームを付けたブルーバード・シルフィとなって新鮮さをアピールした。
ブルーバード・シルフィは、当時の50代、いわゆる”団塊の世代”をターゲットに、奇をてらわずオーソドックスな4ドアセダン、言い換えると大人しい万人受けするスタイリングだった。パワートレインは、1.5L/1.8L/2.0L直4 DOHCの3種エンジンと、CVTおよび4速AT、5速MTの組み合わせで、日本車として初めて米国カリフォルニア州U-LEV(超低排出ガス車)の認定を受けたことで注目を集めた。
その後は、地味なスタイリングと“セダン冬に時代”に直面して、日本では人気を獲得することはできなかった。
3代目ブルーバード・シルフィでシルフィに車名変更
2012年12月のこの日、ブルーバード・シルフィの3代目へのモデルチェンジを機に、車名からブルーバードの冠が取れて単独ネームのシルフィを名乗った。ここで、1959年に誕生したブルーバード53年の歴史の幕が下ろされたのだ。
シルフィのターゲットユーザーは、セダンに馴染みが深い60代を想定。“上質とくつろぎの本格派ジャストサイズセダン”をコンセプトに、典型的なセダンらしいスタイリングとクラスを超えた快適性をアピールした。
エンジンは、1.5Lと2.0Lの2本立てだった従来モデルから、最高出力131ps/最大トルク17.7kgmを発揮する1.8L直4 DOHCに1本化し、組み合わせるトランスミッションも副変速機付CVTのみ。駆動方式もFFだけで、燃費は従来の1.5L搭載車よりも優れ、2.0L搭載車から16%も向上した。
車両価格は、標準グレードが209.5万円と比較的リーズナブルに設定。しかし、日本での販売は低迷して2019年の販売台数は2000台を切るレベルまで低迷し、2021年10月に日本での販売を終えることになった。
中国では年間50万台を売るセダンNo.1モデル
国内での販売が終了したセルフィだが海外、特に中国では大ヒット中だ。特に2018年以降は爆発的な伸びを記録しており、毎年40万~50万台超の販売台数を記録、2021年の中国における乗用車販売台数ランキングを見てみると、1位はシルフィで販売台数は50.6万台となっている。
中国ではセダンはまだ根強い人気があり、2021年の乗用車販売台数ランキングTop10の中でセダンが6車種、SUVが2車種となっている。そのような背景の中、シルフィは性能、経済性、信頼性の3拍子が揃ったクルマとしてブランドが確立されているのだ。
中国に限らず海外では今でもセダンは人気があり、シルフィも人気セダンのひとつである。米国では、「セントラ」を名乗り安定した人気を獲得している。ブルーバードの名は消えても、その後継車は世界で頑張っているのだ。
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“セダン冬の時代”と言われて久しいが、日本市場と中国市場の大きな違いに驚かされる。ところ変われば好みも変わるのだろうが、よくよく世界を見れば日本が特異な市場なのかもしれない。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。