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■北米向けカムリを国内に投入した5代目カムリ
1996(平成8)年12月16日、トヨタの5代目「カムリ(XV20型)」がデビューした。5代目は、北米向けカムリを日本仕様に仕立てて「カムリ・グラシア」を名乗った。北米仕様なので、従来の5ナンバーのカムリよりひと回り大きい3ナンバーのアッパーミドルセダンだった。
カムリの原型は、セリカのセダン版として登場したセリカ・カムリ
カムリの名が初めて登場したのは、セリカのセダン版として1980年に登場した「セリカ・カムリ」だった。やや中途半端な位置づけとなったセリカ・カムリは、結局1982年にベースだったカリーナがモデルチェンジしたタイミングで僅か2年の短命で販売を終えた。
その後、セリカの名を取った初代カムリ(V10型)が、1982年にデビューして、カムリの歴史は幕開けた。カムリは、トヨタ初の横置きエンジンのFFモデルで、当時ブームに火が付いていた“ハイソカー”を意識した直線基調のシャープなスタイルを採用した。
パワートレインは、セリカにも搭載されていた1.8L直4 SOHCと5速MTの組み合わせだが、車重が比較的軽かったので2.0Lクラスの走りを誇った。最大のアピールポイントは、何といってもロングホイールベースと横置きエンジンのFFパッケージングによって実現された、当時のFR車クラウンを凌ぐ広い室内スペースだった。
初代カムリは、国内での販売は期待されたほど伸びなかったが、居住性の高さは海外、特に米国で高い評価を受けて大ヒットを記録した。
カムリ・グラシア登場までのカムリの進化
カムリ初のモデルチェンジで1986年にデビューした2代目(V20型)は、ハイソカーを象徴するようなスポーティなスタイリングを採用し、国内でも人気を獲得した。翌1987年には米国市場から要望が強かったV6エンジンを搭載した「プロミネント」を設定、さらに1988年には4ドアハードトップが追加された。ちなみに、プロミネントのハードトップは、1989年に北米で開業したレクサスブランドから「レクサスES」として販売された。
1990年に登場した3代目(V30型)は、先代に引き続いてセダンとハードトップ、V6エンジンのプロミネントを設定。北米向けのカムリは、1992年からは「セプター」と名乗り、日本でも販売されてカムリと差別化された。
1994年に登場した4代目(V40型)は、バブルが崩壊したこともあり、それまでの高級化路線を見直して原点回帰した。4ドアハードトップやV6エンジン搭載モデルをラインナップから外して、オーソドックスなミドルサイズのセダンとなった。
北米向けカムリをカムリ・グラシアとして国内に投入
そして1996年12月のこの日、5代目となるカムリ・グラシア(XV20型)がデビューした。カムリ・グラシアは、北米カムリを日本向けに仕立てた3ナンバーボディだったため、ユーザーの要望に応えるかたちで5ナンバーの4代目カムリは1998年まで併売された。
スタイリングは、シャープな面構成で高級感を演出。ボディには、衝突安全ボディGOAが採用され、プラットフォームはFFの「ウィンダム」と共用し、エンジンは最高出力200ps/最大トルク25kgmの2.5L V6 DOHCと、140ps/19.5kgmの2.2L直4 DOHCを搭載。トランスミッションは、前者にはエンジンとの総合制御を行なうATのECT‐i、他は一般的なAT ECTが組み合わされた。
全車にABSとデュアルSRSエアバッグ、全5席の3点式シートベルトを標準装備したほか、オプションでSRSサイドエアバッグを採用し、クラス世界トップレベルの安全性も注目された。
車両価格は、標準グレードが218.8万円(2.2L)/248.8万円(2.5L)。当時の大卒初任給は19.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で257万円/292万円に相当する。
1998年のマイナーチェンジで、グラシアの名が取れてカムリの単独ネームとなり、以降カムリの名を引き継いだ。
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カムリは、米国ミッドサイズセダンで21年連続ベストセラーを記録中である。残念ながら、日本では2023年をもって販売終了となったが、米国では今もトヨタを代表する看板モデルとして揺るぎない地位を誇っている。カムリ・グラシアも米国で人気だったカムリを国内に投入したのだろうが、米国でヒットしても日本ではパッとしないという、よくある話だった。
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