世界初となる量産EVの三菱自動車「i-MiEV」。EV時代を切り開くという重要な役割を果たした【歴史に残るクルマと技術073】

三菱・i-MiEV
三菱・i-MiEV
三菱自動車は、2009年7月に軽自動車の電気自動車「i-MiEV」を法人・自治体向けの発売を始めた。i-MiEVは、ミッドシップ(MR)の軽ガソリン車「i(アイ)」をベースにしたEVで、翌2010年4月から一般ユーザー向けの販売を開始し、世界初の量産EVとなったのだ。
TEXT:竹村 純(JUN TAKEMURA)/PHOTO:三栄・i-MiEVのすべて

ガソリン車よりも古かった電気自動車の歴史

三菱・i-MiEV
三菱・i-MiEV

歴史的にみて実用的な電気自動車は、1873年に英国のロバート・ダビットソンによってが開発されたとされている。カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーがガソリン自動車を発明したのが1886年なので、電気自動車の方が早く実用化されたことになる。T型フォードが生産を始めた1908年以前は、構造の簡単なEVの方がガソリン車よりも普及していたのだ。

また、20世紀最高の自動車設計者と誉れ高いフェルディナント・ポルシェも、何とインホイールモーター式の電気自動車を1900年のパリ万国博覧会に出展していた。120年以上も前に、現在先進技術として注目されているインホイールモーターを考案・製作していたとは、さすが天才技術者だ。

たま自動車
1947年に東京電気自動車で生産された「たま自動車」

日本では、1947年にプリンス自動車の前身にあたる東京電気自動車が、鉛電池のEV「たま電気自動車」を発売した。最高出力は4.5ps、最高速度35km/hで満充電時の航続距離は65km。その後、1949年の改良型「たまセニア号」は、最高速度55km/h、航続距離が200kmまで向上した。

しかし内燃機関が急速に進化したのとは対照的に、EVは実用的なバッテリーが開発されず、航続距離が短く、さらに効率の良い充電法が存在しなかったために市場性を失い、その後はガソリン車とディーゼル車が長く自動車のパワーユニットの主流となったのだ。

電気自動車の実用化を現実なものとしたリチウムイオン電池

市場からEVが消えたとはいえ、自動車メーカーと電池メーカーは新たな蓄電池やEVの開発は続けながら、さまざまな形態のEVの試作を行なっていた。1983年には、実用的なリチウムイオン電池が発明され、その開発の貢献が認められ、2019年に吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞した。

日産「プレーリージョイEV」
1997年にリチウムイオン電池を世界で初めて搭載した日産「プレーリージョイEV」

1990年代に入ると、リチウムイオン電池が携帯電話やPCに使われ始め普及が始まった。そのような中で、1997年にリチウムイオン電池を世界で初めて搭載した日産自動車「プレーリージョイEV」が発売された。

日産・プレーリージョイEV 国立極地研究所 北極観測センター車
日産・プレーリージョイEV 国立極地研究所 北極観測センター車。1997年(平成9年)、法人向けに30台リース販売されたのがプレーリージョイEV(電気自動車)。ミニバン「プレーリージョイ」をベースにゆったりした室内も特徴。このクルマは、2000年から国立極地研究所北極観測センターの支援車として使用された個体で、極寒の気象条件でも6年間無故障で稼働し、高い信頼性で関係者を驚かせた

主に各種関連企業・団体などの法人向けに30台を32万円/月のリース販売だったが、最高速度120km/h、フル充電時の航続距離は200km以上を実現。2000年からは、国立極地研究所北極観測センターの支援車としても活用され、厳しい気象条件下でも6年間故障せず、高い信頼性をアピールした。

三菱自動車のEV開発の歴史

三菱のEVの歴史は重工時代に始まり、1994年には鉛電池搭載の「リベロEV」を開発、1995年の東京モーターショーではリチウムイオン電池を搭載した「三菱HEV」を出品。これは、プラグインハイブリッドで約96kmのEV走行距離を実現していた。

三菱「リベロ」
「リベロEV」のベースとなった1992年にデビューした三菱「リベロ」
三菱「FTO」
「FTO EV」のベースとなった1994年にデビューした三菱「FTO」

1998年には、FTOをベースにした最高出力70kWのモーターとリチウムイオン電池を搭載した「FTO EV」を製作。フル充電時の航続距離は150km、最高速度は186km/hを記録し、1999年には走行と急速充電を繰り返す24時間耐久走行で、現在もギネス記録となっている2142.3km走行を達成した。

三菱・i(アイ)
三菱「i-MiEV」のベースとなった2006年デビューのMR(ミッドシップ)軽自動車「i(アイ)」

その後、コンパクトカー「コルトEV」も製作されたが、本格的な市販化を目指したEVは、2006年に発売された軽自動車のi(アイ)ベースにすることになった。iは、近未来的なタマゴ型のフォルムとMRレイアウトが特徴でエンジンと燃料タンクの代りにモーターやリチウムイオン電池、インバーターなどを搭載した。

開発されたプロトタイプのi-MiEVのフリート走行は、2006年11月から東京電力および中国電力、翌年には九州電力、関西電力、北陸電力と共同でスタート。実際の使用環境下での様々なデータを収集し、市販化に向けて改良を重ねた。

MRの軽自動車i(アイ)をベースにしたi-MiEV誕生

三菱・i-MiEV
2010年にデビューした量産初の電気自動車、三菱「i-MiEV」

十分なフリート試験を終えたi-MiEVは、2009年7月から法人・自治体向け、翌2010年4月から一般ユーザー向けの販売を開始した。

i-MiEVは、ミッドシップのエンジンの代わりに、最高出力47kW(64PS)/最大トルク18.4kgmを発生するモーターを搭載し、200kgを超える16kWhのリチウムイオン電池は床下に配置された。

三菱・i-MiEV
三菱「i-MiEV」のリアビュー。タマゴ型の近未来的なデザインでEVらしさをアピール

モーターのトルクバンドが広い特性を利用してトランスミッションを使わず、モーター回転を減速する減速ギアとデファレンシャルギアを一体化したギアボックスを介して、後輪駆動で走行。バッテリーの搭載によって車重が1100kgほどあったi-MiEVだが、EVらしい優れたレスポンスと力強い加速でガソリンターボ車を上回る動力性能を発揮した。

三菱・i-MiEV
三菱・i-MiEV

MiEVは、量産初のEVということで注目され、評価を受けた一方で、課題は価格が459.9万円と高額(税制優遇を受ければ300万程度まで低下)であること、満充電時の航続距離が160km(10・15モード)と短いことだった。

その後、以上の2つの課題を徐々に改良したが、i-MiEVは一定のユーザーを獲得しながらも、累計販売台数約2万3700台をもって2021年3月に販売を終えた。

三菱・i-MiEV
三菱・i-MiEV

しかし、2022年にはi-MiEVの進化版に相当する新型軽EV「eKクロスEV」が登場。車両価格293.26万円、航続距離180km(WLTCモード)を達成し、進化した姿を見せたのだ。

三菱の軽EV「eKクロス EV」
2022年6月に発売された三菱の軽EV「eKクロス EV」

三菱自動車「i-MiEV」が誕生した2009年は、どんな年

2009年にはi-MiEVの他にも、トヨタの3代目「プリウス」、ホンダの2代目「インサイト」、レクサス初のハイブリッド専用モデル「レクサスhS250h」が登場した。

トヨタ3代目「プリウス」
2009年にデビューしたトヨタ3代目「プリウス」。エンジンとモーターをパワーアップして燃費と走りを両立
ホンダ2代目「インサイト」
2009年にデビューしたホンダ2代目「インサイト」

エコカー減税が始まり、環境性能が商品力を大きく左右するようになったため、ハイブリッドを代表するプリウスとインサイトがさらに燃費に磨きをかけた。またハイブリッドだけでなく、軽自動車でも燃費競争が過熱するようになった。またこの年、中国の自動車販売台数が前年比46%アップして1364万台に達し、1042万台の米国を抜いて世界一位となった。

自動車以外では、裁判員制度がスタートし、草食系男子や歴女という言葉が流行った。また、ガソリン127円/L、ビール大瓶200円、コーヒー一杯442円、ラーメン584円、カレー726円、アンパン131円の時代だった。

三菱・i-MiEVの主要諸元
三菱・i-MiEVの主要諸元

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世界初の量産EVとして市場に放たれた三菱自動車「i-MiEV」。時代を先取りし過ぎたかもしれないが、現在につながるEV時代の小さいながら幕を開けた、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…