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■昭和50年排ガス規制をクリアして復活したTE51型レビン
1977(昭和42)年1月31日、トヨタの「カローラレビン」2代目後期型(TE51型)がデビューした。昭和50年排ガス規制をクリアできずに1975年に生産を中断していた2代目レビン(TE37型)だったが、EFI(電子制御ガソリン噴射)+酸化触媒で規制をクリアして復活したのだ。


カローラ/スプリンターのスポーツクーペとしてレビン/トレノ(TE27型)誕生

1966年に誕生して大ヒットした初代「カローラ」に続いて、1970年には2代目カローラが登場。豊富なバリエーションによってファミリーカーとして確固たる地位を築いた。その2年後の1972年、「カローラクーペ/スプリンタークーペ」よりもさらにスポーティなモデルとして、初代「カローラレビン/スプリンタートレノ(TE27型)」が誕生した。

レビン/トレノは、クーペボディに「セリカ1600GT」に搭載されていた高性能1.6L直4 DOHCエンジン(2T-G型)を搭載し、トランスミッションは5速MTが組み合わされた。最高出力115ps(ハイオク仕様)/110ps(レギュラー仕様)で、セリカよりも小柄なボディだったレビン/トレノは、誰でも手の届く価格に抑えた手軽に楽しめる小型FRスポーツカーとして人気を集めた。

ちなみにレビンとトレノは、兄弟車として多くの共通コンポーネントが使用され、主な違いは前後ライト周りの形状やフロントマスクなどのデザインだった。
排ガス規制に苦しんだ2代目、後期型で規制をクリア

1974年に、初めてのモデルチェンジで2代目レビン(TE37型)/トレノ(TE47型)に移行。2代目では、レビンは2ドアハードトップ、トレノは2ドアクーペで、レビンとトレノは、フロントマスクやリアコンビランプも全く異なるスタイリングが採用された。
駆動方式はFRを踏襲し、パワートレインも先代から受け継いだ。ところが、1975年に厳しさを増した昭和50年排ガス規制への適合が困難になり、いったん生産の中断を強いられた。

しかし、排ガス規制をクリアするための開発は続けられ、1977年1月のこの日、カローラにクーペが追加されたタイミングで、規制に適合した2代目後期型となるレビン(TE51型)/トレノ(TE55型)が復活を果たした。エンジンをキャブからEFI(電子制御燃料噴射)に変更した最高出力110ps/最大トルク145kgmの1.6L直4 DOHC(2T-GEU型)と、酸化触媒を組み合わせることで排ガス規制をクリアしたのだ。
さらに装備面でも変更が施された。ボディのサイドには、“DOHC EFI”のロゴ入りデカール、インテリアはダーク系カラーでまとめ、ハイバックシートや吊り下げ式アクセルペダルがスポーティさを演出。さらに、サスペンションンは専用のセッティングがされていた。

車両価格は、「カローラ1600レビンGT」が128.2万円でトランスミッションは5速MTとの組み合わせ。当時の大卒初任給は、9.7万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約304万円に相当する。
排ガスをクリアするために走りは犠牲に
昭和50年規制をクリアしたレビン/トレノだったが、走りの評価は芳しくなかった。全体的にマイルドになり、DOHCらしさがなくなったとか、レスポンスが良くないといった評価が散見された。排ガス規制をクリアしたことによるデメリットが目立ったのだ。
レビン/トレノでは、排ガスをクリアするために酸化触媒が使われていた。酸化触媒は、COをCO2に酸化、同様にHCを水蒸気とCO2に酸化して、有害物質であるCOとHCを低減するが、残るNOxについては低減できない。NOxを下げるためには、一般的には点火時期を遅らせることと、EGR(排ガス再循環)を採用するのが有効である。
点火時期を遅らすことはエンジン出力の低下になり、排気ガスを吸気側に戻して吸気と混合させるEGRもエンジン出力を低下させることにつながるので、結果として全体的にクルマの走りはマイルドになってしまうのだ。
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日本で本格的な排ガス規制が始まった1973年の昭和50年規制から1978年昭和53年規制の間は、日本メーカーは排ガス規制対応に追われて、レビンだけでなくすべてのクルマの性能は抑えられる傾向があった。その反動か、排ガス規制を乗り越えた1980年代はクルマの高性能時代が到来したのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。