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■米国製アコードクーペを輸入販売
1990(平成2)年3月22日、ホンダは米国生産の新型「アコードクーペ」の日本への投入を発表(発売は4月1日)した。1988年に初めて輸入販売されたアコードクーペは、アメリカンテイストをもつクーペとして人気を獲得、今回のモデルは2代目に相当する。

輸入販売が始まった初代アコードクーペ

アコードクーペは、3代目アコードをベースに、フロントにリトラクタブルヘッドライトを採用し、流れるような美しいラインを持つ洗練されたスタイルの3ボックスタイプの2ドアクーペである。さらに、ドアの開閉だけでシートベルトの着脱可能なパッシブシートベルトをフロントに設置したことや、シート表皮に上質な感触の本革を採用、オーディオメーカーBOSE社が専用開発したオーディオシステムを搭載するなど、豪華さと心地よさを求めた高級ツアラーという位置付けだった。
米国生産のアコードクーペが日本で初めて登場したのは、1988年4月のこと。米国のホンダR&Dノースアメリカ(HRA)で開発され、同じく米国のホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング(HAM)で生産されたアコードクーペを日本で輸入販売したのだ。
パワートレインは、最高出力120psの2.0L直4 SOHC PGM-FIエンジンと4速ATの組み合わせ。日本での車両価格は260万円で、高級な輸入車として売り出した。
初代アコードクーペは輸入車をアピールするように左ハンドルのみの設定で、また当時はバブル好景気だったこともあり、高額ながら異彩を放つ存在として、1988年の輸入開始から1990年2月末までで1万台を超える優秀な販売実績を残した。
4代目アコードの人気挽回のために輸入販売された2代目アコードクーペ

1989年9月にアコードを全面改良し、4代目アコードに生まれ変わった。高性能な2.0L直4 DOHCエンジンを筆頭に、多彩なエンジンラインナップとそれに合わせたバリエーション豊かなモデルを用意し、1990年代に向けた先進のワールドカーであることをアピールして登場した。

期待を込めて市場にデビューした4代目アコードだったが、バブル絶頂期にはハイソカーの陰に埋もれて存在感を示せず、バブル崩壊時にはRVブームの到来でセダンは冬の風が吹き始めており、期待したほど人気が上がらなかった。
そこでホンダは、アコードシリーズのシェアを高めるため、1990年4月に2代目となる米国製「アコードクーペ」、さらに翌1991年4月にアコードワゴンを日本に輸入販売することを計画したのだ。
2代目アコードクーペは初代のような人気は得られず
ホンダは、1990年3月のこの日に2代目アコードクーペを発表、4月から輸入販売を始めた。

ヘッドランプは、先代のリトラクタブルヘッドライトから、オーソドックスな固定式になったが、低いウエストラインで流れるようなフォルムは継承された。5ナンバーサイズ枠のギリギリまでボディサイズを拡大し、初代に比べてひと回りボディは大きくなったおかげで、広い室内空間が確保された。

パワートレインは、最高出力150psを発揮する2.0L直4 DOHC PGMFIエンジンと4速電子制御4速ATの組み合わせ。上級グレードの2.0Siエクスクルーシブには、本革シートや運転席は電動パワー機構付きシートが採用された。また先代は、左ハンドル仕様のみだったが、2代目は標準グレード2.0Siには右ハンドル、2.0 Siエクスクルーシブは右ハンドルと左ハンドルが選べた。



車両価格は、標準グレード2.0Siが210万円/上級グレード2.0Siエクスクルーシブが261万円に設定。当時の大卒初任給は17万円程度(現在は23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約284万円/353万円に相当する。


アコードシリーズのシェア拡大のために登場したアコードクーペだったが、すでにセダン同様、クーペの時代も冬風が吹き始めていたので人気獲得とはいかなかった。しかし、翌1991年に同じく米国から輸入販売したアコードワゴンは、ステーションワゴンブームの追い風もあり、数ヶ月の納車待ちが出るほどの人気を獲得したのだ。
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初代アコードクーペと2代目の人気の差や、クーペとワゴンの人気の差をみると、いかに市場のトレンドに見合ったクルマを出すのが重要であるかがよく分かる。どんなに完成度の高いクルマでも市場が求めていなければ無用なのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。