サステナブル・ブランド国際会議でヤマハ発動機が訴えたかったのは社員の意識
サステナブルと聞けば、持続可能な社会を維持するために必要な、CO2排出を抑えた革新的技術、リサイクル可能な最新素材、エネルギー消費を抑えるための新たな行動…といったモノ、コトが思い浮かぶのではないだろうか。しかし同時にこれらは、これから目指すべき課題ではあるものの、本音ではやりたくないことでは?というある意味我慢した修行的行動を想起させるのも事実。
しかし、「サステナブル・ブランド国際会議 2025 東京・丸の内」でのヤマハ発動機ブースには「未来の技術」らしきものはなく、一見すると「懐古主義?」「どこがSDGs?」と思わせる展示物が並んでいる。

具体的には、1955年に日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)から派生した時のヤマハ発動機の原点である最初のオートバイ、通称赤とんぼの「YA-1」、ヤマハ発動機が発明した電動アシスト自転車のユニットを応用した電動アシスト車いすと電動車いす、オートバイ事業からマリン事業へ進出した翌年1961年の歴史的船外機、黄色い帽子の「P-3」などだ。



ヤマハ発動機CSOの青田元氏は、この展示について「そもそもヤマハ発動機の社員に対しての展示である」としたうえで、大企業のいいところは「歴史だ」と述べる。ヤマハ発動機という既に大企業となった会社の社員は、その企業が築いてきた歴史を振り返り、いま自分たちがどこに立っているかを確認してほしい。そのうえで、これから目指すべきものを3つの言葉でまとめたと言う。それが、「モビリティの楽しさ」「豊かな人生」「地球との共生」だという。この中には、ヤマハ発動機は元々モビリティの会社なのでモビリティで楽しみたい。それによって人の人生を豊かにしたい。そして結果として地球との共生もしたい、というメッセージが短い言葉に込められているわけだ。まず第一に「地球環境ありき」などと押し付けないんだ、と言い換えればわかりやすいかもしれない。

「『人は想像したものは実現できる』と思っています。想像したものは実現できると信じていますが、そこに意思とパッションがあれば、時間を短くして実現できるのです。その時間を短くすることがサスティナビリティで大事な取り組みだと思います。『何年までにカーボンエミッションゼロだ』とか、『電動車両を2割にします』などと宣言することはできます。けれど、それをどうやったら実現できるか、それには人を育てるしかないと思っています。そのためのメッセージを社内に向けて伝えていきたいと思っているのです。」
会場のパネルにはもうひとこと、書かれたフレーズがある。
「人はもっと幸せになれる」
これは、これから社員一人ひとりの気持ちに持ってもらいたい言葉だという。
1955年に創業し、今年で70周年を迎えるヤマハ発動機は、1990年に「感動創造企業」という企業理念を掲げた。初代社長の川上源一氏は社長就任直後、90日間もの欧米視察出張に行き、帰国したときにレジャーと言う言葉を持ち帰った。戦後わずか10年の我が国で、日本人にとってレジャーなど言葉すらなかった時代だ。川上源一氏は、このレジャーに対しヤマハ発動機がどのように関われるかはわからないが、日本人にとってレジャーは必要であると確信して向き合ったそうだ。
日本語の特徴として、よくわからない言葉はカタカナで表すことがある。当時のレジャーもそうだし、サステナビリティもそうだ。わからないけれど、サステナビリティを目指すことで「人はもっと幸せになれる」と社員全員に向き合ってほしい、という青田氏の思いも伝わってくるようだ。
青田氏の思いを聞いて、改めて展示されている赤とんぼ「YA-1」、黄色い帽子「P-3」を見ると、そこから新しいサステナブルな社会を想像することができるような気がした。そしてそれはきっと、若い人ならば、尚更に違いないと思った。
