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今日は何の日?■三菱ジープも最終生産記念車で長い歴史の幕を下ろす
1998(平成10)年6月3日、三菱は優れた走破性と変わらぬ機能本位の合理的なスタイルを続けた「三菱ジープ」の生産終了を決断、これを記念して最終生産記念車を発売した。最終生産記念車は、長く愛用してもらうために、専用ボディカラー、専用帆生地、防錆強化仕様など、特に耐久性向上策が施された。

パジェロ誕生の源流となった三菱ジープ
もともとジープは、米国陸軍の要請で開発された小型4輪駆動の軍用車であり、ジープの名前が正式に付けられたのは、第二次世界大戦後に米国ウイリス・オーバーランド社が商標登録したことに始まる。

ウイリス・オーバーランド社は、1949年から日本での販売も始め、1953年に中日本重工(戦後分割された三菱重工のひとつ)がジープの国内ライセンス生産を取得して、ノックダウン生産で三菱ジープ(J1型)が誕生した。最初はウイリス社から部品や技術支援を受けていたが、1956年からは自社エンジンを搭載して完全国産化を果たした。これを機に、三菱ジープ(J3型)は国産車として民間にも販売されるようになった。

その後、三菱ジープはバリエーションを増やしながら進化を続けて、生産台数は1953-1954年が2930台、1957年には5437台、1961年には9659台に達した。主要なユーザーは自衛隊の他、各自治体、建設、林業、電力会社などで、優れた走破性を持つ貴重な4WD車として高い評価を受けて採用された。


当初J3型には、最高出力95ps/16.4kgmを発揮する2.2L直4水冷OHVエンジンが搭載され、トランスミッションは3速MTに2速のトランスファーギアを組み合わせたパートタイム4WDが搭載された。さらに1956年頃には、独自開発の2.7L直4 ディーゼルエンジンも追加された。
パジェロの誕生を機に、ジープはオープンボディのJ50系に集約


その後三菱ジープは、4ドアのワゴンボディやロングホイールベースのメタルボディなどボディスタイルを増やしながら、エンジンについても2.3Lガソリンエンジン、また2.4Lと2.7Lディーゼルエンジンなどが追加され、1980年時点でJ50系/J20H系/J40系/J30系とバリエーション展開が図られた。

しかし1982年になると、J50系以外の民間向けジープの生産が中止された。同年4月に、それまでのジープの開発で培った技術を生かして乗用車イメージを持たせた4WDオフローダー「パジェロ」がデビューしたからだ。パジェロと明確に差別化できるオープンボディのJ50系のみ、その他のモデルについてはパジェロを実施的な後継車とするためだった。

その後、J50系の改良を重ねて、1994年には最高出力100ps/最大トルク22.5kgmの2.7L直4 OHVインタークーラーターボディーゼルエンジンを搭載したJ55型ジープへと進化を果たした。また、1995年に三菱はジープの委託生産会社である東洋工機の株式を譲り受けて、同社をパジェロ製造に改称した。
オリジナルに近いイメージを大切にした最終生産記念車

その後も、三菱ジープは自衛隊や熱狂的なジープファンのために生産を続けたが、ついに三菱はジープの生産を終了することを決断。その記念として、最終生産記念車が1998年6月の日に発売されたのだ。ちなみに、このタイミングで三菱ジープの生産台数は20.5万台を達成していた。

最終生産記念車は、J55系をベースに極力オリジナルのジープに近いベーシックな仕様としながらも、ジープファンにできる限り長く乗ってもらうために、耐久性を大幅に向上した仕様に仕立てられた。
車体色はジープらしさを感じさせるウラルベージュとし、スタイルドホイールも同色で塗装。耐久性の向上を図って、車体に防錆鋼板を採用するとともに、中塗り塗装およびアンダーコートが追加された。また、高品質素材の専用帆と専用シート表地にはボディカラーに合うオリーブ色が採用された。
さらに、特別装備として最終生産記念車であることを示す記念プレートがインパネに貼付され、オリジナルキーホルダーが作られ、三菱ジープの歴史がまとめられた記念誌“MITSUBISHI JEEP J55 FINAL PRODUCTION”が付けられた。
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パジェロの源流が三菱ジープということは、三菱ジープが三菱自動車のRVの原点と言える。長年自衛隊に供給することで、必然的に実用性の高い三菱伝統の4WD技術などオフロード性能が磨かれたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。