連載

歴史に残るクルマと技術

モータリゼーションと国産ショーファーカーの要望

1960年代、日本は高度経済成長期を迎えて、一般庶民にも手の届く純国産車が続々と登場し、日本のモータリゼーションが加速した。

日産「セドリック・スペシャル」
1963年にデビューした日産「セドリック・スペシャル」

そのような中、政府要人や会社幹部などを送迎する純国産ショーファーカーへの期待が、官公庁や大企業から自動車メーカーに寄せられた。ただ当時の日本では、ロールス・ロイスやメルセデス・ベンツ、キャデラックのような大型高級車を製造する技術はなかったので、既存の高級車の拡大モデルで対応するしかなかった。

日産「セドリック・スペシャル」
セドリック スペシャル/1964年に開催された東京オリンピックにおいて、聖火搬送車の大役を務めたクルマ

日産は、まず1963年にセドリックを大型化した「セドリック・スペシャル」を仕立てた。セドリックのホイールベースを205mm延ばした全長4855mm×全幅1690mm×全高1505mmのボディに、最高出力115ps/最大トルク21kgmの2.8L直6エンジンを搭載。前後3人乗車の6人乗りで、高級織物で覆ったシートやパワーシート、パワーウインドウなどを装備し、その大きさと豪華さから日本初の大型乗用車と位置付けられ、車両価格は国産乗用車中最高の138万円(現在の約1670万円相当)だった。

堂々たるショーファーカーのプレジデント

1965年にデビューした日産初代「プレジデント」
1965年にデビューした日産初代「プレジデント」

セドリック・スペシャルの後継「プレジデント」は、1965年10月の東京モーターショーで華々しくデビューを飾り、そのサイズ感と豪華さで観衆の目を釘付けにした。発売は2ヶ月後の12月から始まり、主要な用途は官公庁要人のVIPカーや会社幹部の社用車といったショーファーカーだった。

日産「プレジデント」
1965年にデビューした日産初代「プレジデント」

最大の特徴は、当時のリンカーン・コンチネンタルより長い1940mmの室内長であり、全長5045mm×全幅1795mm×全高1460mmの超大型ボディ全体で豪華さを演出。シートは、ベンチタイプ、セパレート、セミセパレートが用意され、機能面でも熱線吸収ガラスのフロントウインドウや電熱線入りリアウインドウ、パワーウインドウ、パワーベンチレーター、パワードアロック、パワーシートなどの豪華な装備が満載された。

「プレジデント」のサイドビュー
「プレジデント」のサイドビュー

ボディは、強度剛性の高いモノコックボディを採用。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン/リアがリーフリジッドという当時の高級車の定番を装備。またステアリング機構として、乗用車として日本初のパワーステアリングが採用されたことも注目である。

「プレジデント」の4.0L V8エンジン
「プレジデント」の4.0L V8エンジン

パワートレインは、最高出力180ps/最大トルク32.0kgm を発揮する4.0L V8 OHVエンジンと130ps/24.0kgmの3.0L直6 OHVエンジンの2機種と、3速ATおよび3速MTの組み合わせ。

「プレジデント」のリアビュー
1965年にデビューした「プレジデント」のリアビュー

車両価格は、4グレードで185万/200万/250万/300万円に設定。当時の大卒初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約1850万/2000万/2500万/3000万円に相当する。

2年後にトヨタからライバルのセンチュリー登場

トヨタ「センチュリー」は、プレジデントに対抗する形で2年後の1967年に登場、プレジデントと同様主にショーファーカーとして使われた。

1967年にデビューした「センチュリー」
トヨタの最高級車として1967年にデビューした「センチュリー」

センチュリーは、宇治平等院の鳳凰をモチーフにしたエンブレムや独特のボディカラーを採用して高級感を演出。フロントサスペンションは、国産初のエアサスペンション、ブレーキは4輪ドラム式、その他にもドア自動ロック(30km/h)、ビルトインエアコンディショナー、オートライトなど、当時の最先端技術が投入された。

プレジデントとセンチュリーを比べると、以下のようにプレジデントの方が大排気量エンジンを搭載してやや高額なことが分かる。

【車両サイズ】
・プレジデント:全長5045mm×全幅1795mm×全高1460mm
・センチュリー:全長4980mm×全幅1890mm×全高1450mm

【エンジン】
・プレジデント:最高出力180ps/最大トルク32.0kgm 4.0L V8 OHVエンジン
・センチュリー:最高出力150ps/最大トルク24.0kgm 3.0L V8 OHVエンジン

【車両価格(当時)】
・プレジデント:185万~300万円
・センチュリー:208万~268万円

今も輝きを放つセンチュリー、残念な最期を迎えたプレジデント

先端技術と贅を尽くしたプレジデントとセンチュリーは、その後も進化しながら日本の最高級車として長く君臨した。

2代目「プレジデント」
1973年にデビューした2代目「プレジデント」
2代目「プレジデント」
プレジデント ソブリン/1977年に53年排ガス規制への適合化を図り、型式名を252型とした車両の1980年製。最上級グレードとして設定された「ソブリン」は、その大きく威厳のあるスタイルに、V8 OHV 4400ccのY44型エンジン(最高出力200psを搭載。公用車やハイヤーなどとして、多くのVIPに快適な移動を提供した

プレジデントは、1973年に2代目に移行し、排気量を拡大した4.4L V8 OHVと3.0L直6 OHVを搭載して、上級化をさらに追及。1990年に3代目に移行したが、日産の経営悪化にため専用設計を止めて前年に北米で高級車ブランドとして設立されたインフィニティのフラッグシップ「Q45」をベースに仕立てられた。

3代目「プレジデント」
1990年にデビューした3代目「プレジデント」。「インフィニティQ45」をベースに大型、高級化
4代目「プレジデント」
2001年にデビューした4代目「プレジデント」。「シーマ」ベースで高級化したが、2010年に生産を終え、最後のプレジデントになった

さらに2003年に最終モデルとなった4代目は、シーマと同じコンポーネントを流用して基本のスタイリングも同じ。高級な装備で差別化を図ったが、当時日産が進めたラインナップの整理によって2010年に生産を終え、45年の歴史に幕を下ろした。

トヨタ3代目「センチュリー」
2018年にモデルチェンジしたトヨタ3代目「センチュリー」
トヨタの3代目、SUVのセンチュリー
トヨタ・センチュリー3代目の最新は2023年にSUVとして誕生。2018年のセンチュリー・セダンはこのSUVと区別するため「センチュリー(セダンタイプ)」と表記

一方、センチュリーは初代誕生から30年目の1997年に2代目にモデルチェンジ。最大の特徴は、最高出力280ps/最大トルク46.9kgmを発揮する新開発の5.0L V型12気筒エンジンを搭載、日本の乗用車としては初めて、かつ最後のV12エンジンである。そして2018年には、さらにひと回り大きくゴージャスになった3代目へバトンタッチ。エンジンは、環境対応に考慮して5.0L V8エンジン+ハイブリッドシステムに変更、日本を代表する最高級車もついに電動車となったのだ。

プレジデントが誕生した1965年は、どんな年

1965年には、プレジデントの他にも「トヨタスポーツ800」、スズキ「フロンテ800」、日野自動車「日野コンテッサ1300クーペ」、日産自動車「シルビア」も登場した。

1965年デビューの「トヨタスポーツ800」
1965年デビューの「トヨタスポーツ800」
1965年デビューの「トヨタスポーツ800」
1965年デビューの「トヨタスポーツ800」

トヨタスポーツ800は、優れた空力と軽量化が特徴の2シーターコンパクトスポーツ。フロンテ800は、スズキ初の小型車かつ日本初のFF小型車で、美しい曲面ボディの2ドアセダン。コンテッサ1300クーペは、ミケロッティデザインの流麗なスタイリングとRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトが特徴で、国内外のレースでも活躍した。シルビアは、“走る宝石”と呼ばれたハンドメイドの流麗なスタイリングが特徴のスペシャリティカーである。

1965年にデビューしたスズキ「フロンテ800」
1965年にデビューしたスズキ「フロンテ800」
日産初代「シルビア」
1965年にデビューした日産初代「シルビア」。美しいクリスプカットから”走る宝石”と呼ばれた

その他、この年には湯川秀樹氏に続いて朝永振一郎氏が日本で2人目のノーベル賞を受賞し、ソニーが世界初のビデオレコーダー「CV-2000」を発売。さらに、大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売し、TVアニメ「ジャングル大帝」の放送が始まった。
また、ガソリン51円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯71.5円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代だった。

日産「プレジデント」
1965年にデビューした日産初代「プレジデント」

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国産車初のショーファーカーとして、4L V8エンジンを搭載した堂々たるスタイリングの大型高級セダン「プレジデント」。当時の最先端技術と贅を尽くした日産が誇った最高級車、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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