次期型の計画はありませんでした
バブル時代に登場し「シーマ現象」を巻き起こしたシーマは、2012年に五代目へとフルモデルチェンジされたが、今夏にもその生産が終了する方針だという。しかし、シーマは2010年にも生産終了がアナウンスされたものの、2012年に復活を果たした。
その復活劇の舞台裏には何があったのか?
1997年のシーマ(F50)の商品企画から2010年の販売終了まで手掛け、ラインオフ式では涙を流したほどシーマへの思い入れが強いチーフ・プロダクト・スペシャリスト(当時)の笹岡正吾氏は以下のように語った。
「先代(F50)が販売終了する時点では、次期型の計画はありませんでした。」
また、当時のシーマが置かれていた状況について次席チーフ・ビークル・エンジニア(当時)の長谷川聡氏は「海外市場から撤退せざるを得なかったのが、次のシーマをつくれなかった最大の理由です」と語った。台数や利益の話になると国内セダンは不可能という結論に至り、シーマの受け皿としてはフーガハイブリッドを考えていたという。
しかし、お客様や販売サイドからは「シーマをなくすな」という声がたくさん届いていた。いかにフーガが優れていても、シーマはシーマであり、代わりにはならない。そういった声が想像以上に強かった。そういった後押しもあって経営陣からゴーサインが出た。
とはいっても、年間1000台ほどのシーマでコンポーネンツを新開発はできない。また、生産を担う栃木工場の生産ラインの都合から、フーガをベースにするのは当然だった。そこで、グローバルモデルのフーガでは不可能な技術をシーマに採用することで差別化が図られた。
具体的には、専用の外板、専用リヤシート、熟成したハイブリッド、さらにはブッシュやバネ、アブソーバーやタイヤ、遮音対策もフーガとは別物となった。なかでも静粛性は職人の手と可能な限り多くの遮音・吸音材を使って、ボディの穴という穴を塞いだほどこだわられており、少量生産のシーマだからこそできたという。
また、乗り心地についてもフーガで求められる“アウトバーン250km/hでの操縦性”といった要素を捨てて、日本での現実的な速度域に限定して乗り心地と静粛性を追求した。この点、サスペンション開発チームはフーガで究極の乗り心地を追求したらどうなるか?といった先行研究を進めており、そのノウハウがシーマ開発へと活かされたと語った。
そのほかにも、シーマには塗装の手磨き工程や前後席にテスターが座っての全数チェックなど、さまざまな手間暇が掛けられており、いずれもGT-Rなどを手掛けた職人がいる栃木工場での少量生産だからこそできたものだった。
今夏で生産終了してしまうとはいえ、“シーマをなくすな”という熱い要望、開発者の熱意、つくり手の技術、そういったことを受けてシーマは2012年に五代目として復活を果たしただけに、時代が変わった暁には新たなシーマの復活を期待せずにはいられない。
2010年の販売終了から復活を遂げた五代目シーマ。日産の持てる技術を惜しげもなく投入した実力とは?
開発ストーリーのほか、試乗レポートやメカニズム詳密解説、デザインインタビューなど、復活の舞台裏を余すことなく収録。