近年人気のスカイラインといえばR32だが、それより前のR31やDR30も中古車価格が高騰しているモデル。R31ではGTS-Rという限定モデルが人気の牽引役で、DR30ならターボCと呼ばれるターボインタークーラーRSがそれだ。特にDR30の時代はトヨタと日産が毎年のようにハイパワーモデルを追加して覇権を競っていた。スカイラインは1981年に4気筒ながらDOHCエンジンの復活がニュースにな理、その1年半後にはDOHCターボを、同年中にマイナーチェンジして俗称「鉄仮面」と呼ばれるフロントマスクが与えられ、毎年のようにトップグレードに変更が加えられた。中でも目玉は1984年に追加されたインタークーラーを装備するターボインタークーラーRSの登場。最高出力はグロス表記ながら205psにまで達し、2リッタークラス最強モデルとして君臨したのだった。
栃木県足利市の永楽町北多目的広場で2日間にわたって開催されたクラシックカーヒストリックカーミーティングTTCMのうち、6月18日の会場に最強のDR30であるターボCの姿を見つけることができた。若干ローダウンされた足元にRSワタナベの8スポークホイールが当時の風情を感じさせる1台で、近くにいたオーナーに話を聞くことができた。オーナーの大野浩二さんは若い頃からスカイラインが大好きで、特にRSターボに憧れ続けてきた人。実はこのターボCの前にもDR30スカイラインを所有していた経験があるそうで、根っからのDR30ファンだといえる。年齢はヒミツとのことだが、DR30が現役だった頃を記憶に留めている世代。一度乗ったら加速感や乗り心地、ハンドリングなど他の世代のスカイラインでは味わえない魅力に溢れいているそうだ。
大野さんにとって2台目になるこのDR30は、なんと1999年に購入された個体だという。今から20年以上前のことで、当時すでに数が少なくなっていたターボCだから維持する苦労も絶えなかっただろう。そう聞けば「毎日通勤で乗っているんです」と驚きの答え。大野さんは20年以上、1985年式だから37年も前のスカイラインに毎日乗り続けられているのだ。古いクルマといえども、ガレージ保管で月に1度くらいしか乗らない個体だと調子を崩しやすいもの。逆に雨の日も風の日も毎日乗られている個体は調子が良かったりする。それだけにトラブルは少なかったのかと思いきや、やはり年式相当であちこちが壊れたそうだ。
1999年に購入されて走行距離が8万キロを過ぎた頃、エンジンがトラブルを起こしてしまう。当時すでに補修部品が少なく手に入れるのは困難な状況だったため、程度の良いエンジンに載せ換えることにされた。ただ、手に入ったのはターボCと同じインタークーラー仕様ではなく通常のDOHCターボ。残ったインタークーラーを使おうかとも考えたが、フロントバンパーの下に前期DR30純正エアダムを組み合わせたところ、加工が必要になってしまうと言われて諦めたとか。壊れたのはエンジンだけでなく、排ガス浄化システムの一部であるチャコール・キャニスターも使い物にならなくなった。そこで180SX用を移植したり、最近ではブレーキのマスターシリンダーをマスターバックごとR32スカイライン用に変更してみた。すると明らかにDR30純正よりブレーキフィーリングが改善されたそうだ。またボロボロになってしまったボンネット裏の遮熱材はFRP製の汎用を手に入れ、大野さん自らシルバーの素材を貼った手作り品。これを苦労と思うか楽しみと捉えるかで旧車乗りの適性が問われるところだろう。
さらにエンジンを制御するECUもパンクしてしまったので、社外品に変更してブーストアップを可能にした。だから室内には追加メーターが並ぶことになったが、これも当時のDR30に多く見られたカスタム手法だろう。スピードメーターが当時のチューニングメーカーであるTBO製の240km/hスケールというところもマニアックな選択。さらに1万rpm以上まであるタコメーターを装備すれば完璧と大野さん。そのスピードメーター内にある積算計を見て驚くことに。なんと走行距離は35万キロを突破している。確かに毎日通勤に使っているわけだし、年に2、3回ほどDR30専門店であるKRSで知り合った仲間に呼びかけてツーリングも行っているから長距離を走ることも多い。35万キロ超という走行距離も年式を考えたら当たり前のことかもしれないが、ここまで走り続けてきたのは大野さんの愛情そのものだろう。