TGRはこれで、2018年の初優勝以来、ル・マン24時間レース4連覇を果たしたことになる。今回の優勝により、優勝回数3回のマトラとプジョーを上回り、アルファロメオとフォードに並んだことになる。歴代6位タイの記録だ。アルファロメオはトヨタと同じように4連覇を果たしたが、それは1931年から34年にかけてのことだ。優勝回数でトヨタを上回るのは、6回のベントレー、7回のジャガー、9回のフェラーリ、13回のアウディ、19回のポルシェである。
2018年に初優勝を成し遂げたのは、8号車(ブエミ/中嶋/フェルナンド・アロンソ)だった。2019年の2回目の優勝も8号車(ブエミ/中嶋/アロンソ)、2020年の3回目の優勝も8号車(ブエミ/中嶋/ハートレー)が手にしている。7号車は2位、2位、3位だった。予選では、2019年と2020年に小林可夢偉のドライブでポールポジションを獲得しているが、レースでは8号車の後塵を拝する結果になっていた。
小林は自身として参戦2年目の2017年に従来のコースレコードを約2秒上回る3分14秒791の驚異的なタイムを記録し、2番手のポルシェ919ハイブリッドに約2.5秒もの差をつけてポールポジションを獲得。以来、「小林可夢偉は速い」というイメージが定着していた(ル・マンに限らないが)。いわば、現役のル・マン最速男である。しかし、レースでは何度も勝利に近づきながら、勝てずにいた。
そしてようやく、小林はル・マン24時間レースで勝利を収めた。小林はレース後、次のようにコメントしている。
「ル・マンの勝者としてここにいるというのは、最高の気分です。ここに到るまでに、何年も何年も、さまざまな経験を経てきましたし、そのなかには本当に辛いものもありました。ル・マンに勝つためには運が必要だと常々感じていましたが、今日も運が必要でした。最後は走り続けるために、特別な操作をしなくてはなりませんでした。終盤の7時間は、生き残るために死力を尽くして戦う必要があり、とても難しい作業でした。通常であればそこでレースは終わりでしたが、チームが本当によくやってくれて、正しい判断で導いてくれたおかげで、なんとか最後まで走り切ることができました」
7号車も8号車も、燃料供給系のトラブルに見舞われていたのだった。確実な方法で解決を試みようとすると作業に時間がかかるため、勝利は諦めるしかなくなる。チームは知恵を絞り、ドライバーの力を借りて、走りながら、ロスを最小限に食い止める解決策を施した。残り5分で発生したトラブルにより初めての勝利を逃した2016年以来、チームが一丸となって取り組んできた“カイゼン”の賜物である。
小林可夢偉を含む7号車のドライバーにとっても悲願の初優勝だったが、トヨタの「7号車」にとっても今回の優勝は悲願だった。トヨタは2012年にル・マン24時間レースに復帰して以来、カーナンバー7と8を付け続けている。7と8に決めたのは、2012年当時、ル・マン24時間を含むFIA世界耐久選手権(WEC)に参戦するプロジェクトを率いていたトヨタ・レーシング(現TGR WEC) チーム代表の木下美明氏だ。
「(2012年に参戦するにあたり、ル・マン24時間レースを主催する)ACOからカーナンバーは何番がいい? と聞かれたので、7と8でお願いしますと言いました。自分が7号車を担当していましたから」
1992年のル・マン24時間レースに、トヨタはRV10型3.5ℓV10自然吸気エンジンを積んだTS010の7号車と8号車、それに33号車を持ち込んだ。当時、エースカーの7号車を担当していたのが木下氏だった。7号車はクラッシュによるダメージを修復しながら走り続けたが、最後はエンジンのトラブルでリタイアした。8号車は完走したものの、トップから21周遅れの8位だった。
そのときの雪辱を果たすための7と8の選択だった。カーナンバー8の雪辱は2018年に果たし、カーナンバー7の雪辱は、2012年のル・マン復帰以来、10回目の挑戦でようやく果たしたことになる。ちなみに、1992年のル・マン24時間で“3台目”の扱いだった33号車をサポートメンバーとして担当していたのが、表彰台でドライバーたちと4回目の総合優勝の喜びを分かち合った現TGR WECチーム代表の村田久武氏である。33号車はこのとき2位に入り、トヨタが1985年にル・マンへの挑戦を始めて以来、初めて表彰台に上がった。
TGRチームオーナーの豊田章男氏によれば、小林、コンウェイ、ロペスはようやく「忘れ物」を取り戻したことになる。忘れ物を取り戻したのは、トヨタの7号車にとっても同じだ。取り戻すのに29年かかったが。