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自動車評論家『渡辺敏史』がバブル期の名チューンドベースを斬る
80年代中盤からはじまった“バブル期”。その大きな泡は自動車業界をも包み込み、スポーツカー市場に歴史的な大豊作をもたらした。中でも90年を中心にした前後1年間は、BNR32やZ32、NA1やFD3Sなど、今でも第一線で活躍しているチューンドベースが怒濤のごとく登場した黄金期だったのである。ここでは、それぞれの年を代表する3モデルと、チューニングにも精通する自動車評論家の渡辺敏史氏が対峙。バブルが生んだ名馬達の資質を再検証しつつ、名チューナーの手によって現代に蘇ったチューンドの力を探る。
マインズGT-R(BNR32)、KSP NSX(NA1)、RE雨宮RX-7(FD3S)が揃い踏み!
「操安性を電子制御に頼りきった現行車にはない、濃密なクルマとの対話感こそ黄金世代の魅力だ」渡辺敏史
走行性能向上への努力が結実した黄金期
第一次オイルショック→排出ガス規制強化→第二次オイルショックと、70年代前半以降は自動車業界にとっては最悪の連鎖が続き、日本のメーカーがやっとの想いでその闇から抜け出すことができたのは、80年代の初頭だった。
6気筒の2.8Lツインカムを積んだ初代ソアラがアウトバーンで200km/hを記録、430セドグロに初のターボチャージャー搭載と、本来のクルマの魅力であるパワーやスピードにまつわる話題が増えはじめたその頃を境に、それまで溜めていたものを一気に吐き出すように、80年代の日本車はスポーティ路線を邁進していくことになる。AE86やS13やFC3S…といった、今でも現役を張る走り屋御用達の名車は、その間に続々とデビューしていったわけだ。
そして時は89年。現在の世界の市況もしばしば“バブル”と例えられるが、その言葉自体、当時は一部の経済学者が警鐘を込めてささやきはじめたに過ぎず、多くの日本人はその頃に初めて耳にしたものだったハズだ。お前ら舞い上がりすぎ=バブルと。しかし大半の人はそんなことを気にするでもなく、目の前にある空前の好景気を堪能しまくっていたことを思い出す。そんな僕は当時22才。出版社で修行をはじめて間もない頃だった。そんな若造には、さすがにバブルの恩恵などあるわけがない。
…と思ったが、掘り返せば良い想い出もあった。まさに今回集まった、この3台のクルマのデビューに立ち会えて、新車のそれを触れる機会があったことだ。個々の想い出は後に織り交ぜるとして、89〜91年というバブルの最後っ屁のようなこの時期に、日本の自動車メーカーはキラ星のようなモデルを矢継ぎ早にリリースしている。
セルシオ然り、ロードスター然り、Z32然りプリメーラ然りビート然り……。挙げればキリがないが、なかでも日本車のスポーツカーが世界のそれらと比してもなんら劣ることがないということを証明したのは、やはりこの3台ということになる。言い換えれば80年代のアタマに、日本のメーカーが邁進した走行性能向上への努力が、ここに結実したといっても過言ではないだろう。
ポルシェ959のパフォーマンスがこの価格=445万円で買える。第二世代GT-Rへの驚嘆につきまとった言葉は、2008年の第三世代GT-Rがデビューした時のそれと非常に似ていた。しかし決定的に違っていたのは、当時、我々がスポーツ性能に特化したトルクスプリット4WDというものに対して、まるで免疫がなかったということである。
R32GT-Rは物理の一線を越えたかのようなそのシャシー能力と、グループA前提で設計された頑強なターボエンジンを武器に、一躍ストリート番長の座に踊り出た。まともに踏み抜ける輸入車はポルシェしかなかった時代に、GT-Rはそのポルシェをあっさり追い越し車線から押しのけ、公道を走る量産車としては恐らく世界最速であったであろう座を、十年以上に渡って守り続けることになる。もちろんその速さを支えたのはチューニングにまつわる技術の発達であり、GT-Rの進化とチューニングショップの隆盛は密接な関係があったと言えるだろう。
02年、R34の生産終了とともに幕を閉じた、そんな第二世代GT-Rの歴史を後世に伝える記念碑的なものとしてマインズが手がけた、その名もR32ニュルスペック。
単に良好なコンディションのベース車にN1スペックのRB26DETTを積んだ……というわけではなく、ウインドウを含めたボディをストリップにして、至るところに補強を施すまでしたというそのコンプリートカーの製作は、代表の新倉さんをして「R32をベストなカタチで残すという慈善事業みたいなものだった」という。こうして生まれた十数台のうちの1台、今回の取材に供じていただいた車両は、オーナーによって素晴らしい状態が保たれていた。
当たり前ながらR35GT-Rとモロに比較すれば、R32GT-Rは古いと感じさせるところがいくらでもある。でもその古さは、今、スポーツ走行を楽しむという目的においては致命的なネガではない。そして劣ったそれらを補える環境とノウハウは、それこそマインズをはじめとするチューニングショップがいくらでも用意してくれる。
奇しくもR35GT-Rと似たような500馬力前後までスープアップされたR32GT-Rは、ヤツがきても動じない動力性能を確保しつつ、バブル期に登場したスポーツカーが持つ独特の魅力は失うことなく備えていた。では、その魅力とは何なのか。その話はまとめにとっておこうと思う。
性能うんぬん以前の話として、NSXの周囲にはバブルという時代の特殊性からくるエピソードがたくさんつきまとった。デビュー直後のピーク時には5年待ちとも言われた納期は、投機目的の予約が殺到してのことだ。借り出したホンダの本社から路上に出るや、人だかりができるほどの注目を集めたのは、800万のクルマがチマタでは5年先までの取り合いになっているという、そういう好奇の目によるところも大きかったと思う。
金持ちがあぶく銭で買うクルマ。
この、時代がもたらしてしまった最初のボタンの掛け違いは、NSXにとって最大の不幸だったんだと思う。クルマ好きがNSXを見る目は些か冷ややかで、ミッドシップにして横置きのV6エンジンであったり、立派なトランクがついてたり〜なんてところが非難の的となった。おかげで、以降のNSXの進化の歴史は如何に純然たるスポーツカーで在り続けるか、すなわちサーキットアタック至上主義に傾いていったわけだ。
では、NSXは生まれながらにして骨抜きなファッションクーペだったのか。ごく初期のNSXをベースにチューニングが施された、KSPエンジニアリングのそれに乗ると大きな誤解だと分かる。超絶品のサス設定をはじめとしたチューニング技術の高さも際だっているものの、その奥に見えるのは、このクルマが生まれながらにして持つ素晴らしい素性だ。
なかでも、アルミボディの強烈なボディ剛性はこのクルマの核心と言えるだろう。現在の水準と比べても劣りはなく、一般的なチューニングレベルならばハコに補強の類を施す必要は一切ない。そんな剛性を軽さと両立させたシャシーに、ホイールベースを短縮できる横置きでエンジンを積み、そのエンジンは中低速トルクの面で有利なV6……となれば、NSXは旋回性と瞬発力を重視したピュアスポーツとしての明確なビジョンを持っていたのではないかと思えてくるわけだ。
GT-Rがドライブトレインに、NSXがボディにそれぞれの革命があったのに対して、ではRX-7の進化のポイントはなんだったのか。あえていえば、それは「変わらなかった」ことなのだと思う。
初代のSA22C、2代目のFC3S、そして3代目のFD3Sと、RX-7は一貫してホイールベースをほとんど変えていない。搭載するエンジンの前後長が一定で、乗る人間の想定寸法が決まっているのなら、2+2のFRピュアスポーツとして成立する長さはココしかないというところに、ドンビシャでホイールベースを合わせたクルマ。浮ついた時代の風に惑わされず、寸法を極力動かさなかったことでRX-7のスポーツカーとしての成功は約束されていた。
無論、運動性能を高めるべく拡大されたトレッド分や、強化されたボディやブレーキ等がもたらす重量増はまぬがれなかったが、それを根性で吸収していることはFC3Sとの重量差をみれば明らかでもある。まるで色褪せる気配のないその美しい外衣のなかには、孤高の存在であるロータリーに対するマツダの、もはや宗教とも言える、求道にまつわる執念があったのだ。
そんなFD3S型はRE雨宮の歴史のなかで、もっとも長く深く使い込まれたRX-7でもあるはずだ。知り尽くした人がやり尽くしたマツダの執念は、どんなクルマにも比べようがなく刺激的だ。とにかく弾けまくり斬れまくる。そんな例えなら思い浮かぶクルマはあるかもしれないが、その質が他とはまるで違う。
つまり、RX-7のスポーツカーとしての具体的な核心は爆発的なパワーや清涼な回転フィールという以上に、やはりロータリーという特殊なエンジンが決定づけるパッケージと、それを活かしきるシャシーのポテンシャルにあるのだと思う。
今、この時代のスポーツカーの基準を頭に置いて3車を走らせると、まず愕然とする違いは、ともあれ小さく軽く、視界が素晴らしくクリーンであることだ。逆に言えば、昨今のスポーツカーは様々な時代要件を背負いながら周囲と戦うために、とめどなく重く大きなクルマになってしまったという印象が強い。少なくとも運転を楽しむという上で心理的な開放感が高いのは、圧倒的に前者のほうだ。
しかも決定的な差異として、3車には操縦安定性を電子制御に任せきった今のクルマにはない、ドライバーとクルマとの濃密な対話感がある。R35GT-Rを峠道で全開にする果てしない緊張感に比べれば、R32GT-Rを同様に走らせる自分なりの歓びのほうが、僕らレベルでは幸せなのではないか。そう考えると野放図に贅沢を満喫した30年前に、たっぷり時間とお金を掛けて開発されたこれら3車の魅力は褪せるどころか、今、ますます輝いているようにも思う。
TEXT:渡辺敏史/PHOTO:藤田昌久