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どんなクルマもカッコ良くなる鉄板技のルーツ
「車高は低い方がカッコ良いに決まっている」。OPTION読者のほとんどは、乗っているクルマがスポーツカーだろうとミニバンだろうとSUVだろうと、そう思っているに違いない。そこで、ふと考えた。そもそも『車高が低い=カッコ良い』という感覚は、一体いつから持たれるようになったものなのだろうか? 少なくともOPTIONが創刊した40数年前の1980年代初めにはすでにその感覚があったわけで、ということは日本のシャコタン文化の始まりは1970年代なのでは…そんな推測の下、ルーツを探ってみる。
独説“日本のシャコタン史”
バネカットは当たり前。究極は、スプリングを外したノーサス状態で落とせるだけ車高を落とす。そんなストリートカーでのシャコタンは、1970年代半ばから全国的に大きな盛り上がりを見せ始めた暴走族に端を発すると言っていい。
ただ、何もないところから自然発生的にシャコタンが誕生したとは考えにくく、そこには必ず前例なりモチーフなりがあったに違いない。そこで思い当たったのが1960年代から続くストックカーレースや、その後のツーリングカーレースを戦っていたマシンだ。
そもそも日本におけるチューニングの原点は、レーシングマシンに投入された技術やノウハウをストリートカーに落とし込むところにあった。まだ、モータースポーツ色が濃かったオートスポーツ臨時増刊時代のOPTION誌面を見てもそれは明らかで、1980年当時ページを賑わせていたのはTSレース(後にマイナーツーリングレースと名称を変更)で鎬を削っていたKP47スターレットやB110サニー、SB1シビックであった。
つまり、日本のチューニング史を振り返る時、往年のストックカーやツーリングカーといったレーシングマシンの存在は無視できないということだ。
それはパワーアップを目的としたエンジンチューンだけではなく、車高を落としてワイドなタイヤを履かせ、カテゴリーやレギュレーションによってはオーバーフェンダーも追加して…という見た目のスタイルについても同様。
大排気量エンジンに換装されたクラウンやセドリックが競い合ったストックカーレースや、常勝ハコスカGT-Rに新興勢力のロータリーエンジンを積むサバンナRX-3が挑みかかったツーリングカーレースに感化され、その姿をストリートカーで再現したのが日本におけるシャコタン文化の始まりだと考えていいだろう。いつの時代も、「速いクルマはカッコ良い。カッコ良いから自分のクルマも…」。そういう話だ。
当時は違法改造だったにも関わらず、そんなシャコタンがさらに増殖するキッカケになったのは、間違いなくTSレース(マイナーツーリングレース)人気の高まりにある。いわゆる大衆車として身近な存在だったスターレットやサニー、シビックなどが争うレースはGC(グラチャン)の前座として開催。それが毎戦メインイベントと思えるほどの熱い戦いを繰り広げたため、観客の多くが熱狂した。注目が集まれば集まるほど、そこに憧れるクルマ好きが増えるのは当然のことだ。
また、第三者から見ればやっていることは暴走族と変わらなかったが、速さやドライビングテクニックを競う『街道レーサー』というジャンルが生まれたのもこの頃。それが後に『走り屋』へと変化していく。
ここで紹介しているのはもう45年以上も前のレーシングマシンなのに、ストックカーもツーリングカーも素直にカッコ良いと思えて仕方ない。実際、旧車系サーキットイベントではTSレース熱が再燃しているし、結局のところ、「シャコタン+ワイドタイヤは時代を超えてクルマ好きの心に刺さる」という証に他ならない。もしそこにオーバーフェンダーが装着されていれば、まさに“鬼に金棒”だ。
これはあくまでも個人的な感覚だが、日本のモータースポーツファンはフォーミュラ系よりもツーリングカー系を好む傾向があるように思う。その顕著な例が1980年代半ばにシリーズ戦がスタートした全日本ツーリングカー選手権、JTCだ。
その数年後に日本はバブル景気を迎え、鈴鹿でF1GPも開催されるようになったが、日本のローカルレースであるJTCや、それに続くJTCCの人気は、世界選手権の最高峰であるF1にも全く劣っていなかった。
すでに前例として存在していたストックカーやツーリングカー、TSマシン。それらに憧れ、「自分のクルマも同じようにカッコ良く見せたい」という欲求こそ、シャコタンを生み出す一番の原動力だったのだ。
TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Hiroshima Kentaro)