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KDR30ドラッグ仕様 Tuned by ガレージ八幡
まずはKDR30に至るまでのターボチューン遍歴から。
80年代半ば、大きな盛り上がりを見せる愛知県の“鍋田ゼロヨン”で圧倒的な速さを見せつけ、一目置かれるマシンが存在した。当時全盛だったL型メカチューンを新鋭のターボチューンでなぎ倒したKDR30、スカイライン2000ターボRS-X。
オーナー兼チューナー兼ドライバーは、ガレージ八幡の森田代表だ。まだショップをオープンする前、ブライベーター時代の事である。そんなKDR30の心臓部が今でもハコ替えされて現存する。それを現代のチューニング技術で甦らせるのがこの企画だ。
16歳の頃からホンダモンキーのエンジンを触るなど、チューニングが好きだったという森田代表。クルマの免許を取って初めて買ったのがGC210スカイラインジャパンで、早速HKSターボキットを装着した。ここに森田代表の“ターボチューン人生”が始まるのだ。
「ポン付けでブースト圧も0.4キロくらいやったけど、その加速感にスゲェ…と感動したよ。ただ、トランジスタがよく壊れてね。始めはディーラーでも原因が分からなくて、手探り状態でのチューニングだったよ」と当時を振り返る。
それから2年くらい経った頃、ミラージュターボが登場。森田代表は市販車ターボに心惹かれるものの、2台目の愛車としてTE71カローラレビンを購入した。
いわく、「友達がミラージュターボを買ったんで、ノーマル同士でヨーイドン!してみたんだわ。そしたらTE71の方が速かったわけ」とのこと。
GC210でターボチューンの味を占めていた森田代表は、当然TE71にもターボを装着。テンロクの2T-Gに3T用クランクを組んで2.0L化した上で、日立製タービンをドッキングしたのだ。
「ようやくエンジンが仕上がって走りにいったら、一発目の3速全開でガスケットが抜けちゃってさ。まだメタルヘッドガスケットが無かった時代で、最大ブースト圧0.6キロとかいってた頃に0.8キロかけてたんだから、まぁ当然だよね」。
パーツを付けては毎週末、友達と連んで走りに行って、チューニングの効果を体感していたこの頃から、森田代表は“鍋田”に通うようになる。時はL型メカチューン全盛期。“Lメカで300psなら、ターボは400psないと勝てない”と言われていた鍋田の常識に、森田代表はターボチューンで挑む決意をする。
そこで選んだ相棒が、FJ20ETを搭載して“史上最強のスカイライン”を謳ったKDR30、スカイラインRSターボだったのだ。
ボディは、当時、森田代表が乗っていた2ドアハードトップから4ドアセダンにチェンジ。
というのも、R30系(を含めた80年代前半の日産車)は今時のクルマに比べるとボディ剛性が著しく低く(剛性感で言えば、ハコスカやケンメリの方が格段に良い)、特に2ドアハードトップはセンターピラーが存在しなかったため、“ドア落ち”が発生して開閉に難が出たりもした。それを考えると、4ドアセダンベースの方がベターなのである。
すぐ分かるDR30変遷史
- 1981年10月:RS登場(FJ20E:150ps/18.5kgm)
- 1983年2月:ターボRS追加(FJ20ET/ICなし 190ps/23.0kgm)
- 1983年8月:マイチェンで後期型“鉄仮面”登場(エンジンは変更なし)/RS-X(4AT)/ターボRS-X(5MT)追加
- 1983年10月:ターボRS-X(4AT)追加
- 1983年11月:2ドアターボRS-Xに日産50周年記f念限定車『50thアニバーサリーバージョン』追加
- 1984年2月:ターボインタークーラーRS/RS-X登場(FJ20ET:205ps/25.0kgm)
TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)
●取材協力:ガレージ八幡 愛知県半田市上浜町10-20 TEL:0569-26-1660
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