「最高速に魅了された男の物語」御年76歳、チューニング界の生き字引“稲田大二郎“”の生き様

日本カーオブザイヤー選考委員からドロップアウトした男!

 高速周回路でのアタックはDai以外は不可能!?

OPTIONグループの総帥にして、チューニング業界のレジェンドでもあるDaiこと稲田大二郎(76歳)。モータースポーツ編集者を志すも、当時、暴走族と同義的に捉えられていたストリートチューンの魅力に取り憑かれ、OPTION誌の創刊や東京オートサロンの立ち上げに尽力。1980年代の話だ。

その後は、意図せぬ中で最高速テストドライバーという役割を担い谷田部(高速周回路)を激走、JUNオートメカニックと目指したボンネビル・スピードウィークでは、2.7L+TD06-25Gツインターボ仕様のBCNR33で時速383キロという記録を打ち立て、栄光の200マイルクラブ(200マイル以上で各クラスの記録を更新したドライバーだけ入れる)入りを果した。

趣味は様々だが、学生時代から一貫してのクルマ好き。人生初の愛車は、当時5万円で譲ってもらったオースチン。初任給2万円の時代の5万円だから、アルバイトの学生には大変なものだった。

その後も大学にはほとんど通わず(3年でドロップアウト)、アルバイトとモータースポーツ三昧。日野コンテッサやホンダのS600などを乗り継ぎ、改造して競技に出場したり、当時唯一の高速ステージでもあった第三京浜に通ったり、レースメカの手伝いなどをしながら暮らしていたそうだ。

33歳の頃のDai。隣にいるのはRE雨宮の雨さん(34歳)! 二人とも貫禄バリバリだが、あまり現在と変わってない気もする。

大学を中退した後は長崎の実家に帰り、ダンプの運転手として家業の土建業を手伝うも、その生活が嫌になり…再び上京。オートスポーツを出版する三栄書房に飛び込んで自らの存在を売り込み、編集者としてのキャリアをスタートさせた。

一時、モータージャーナリストとして栄えある日本カーオブザイヤーの選考委員を務めたりもしたが、お堅い仕事はあまりそぐわず自ら役割を返上。以降、自由気ままなで豪傑なOPTION誌の大将として現在に至る。

なお、昨今の高齢者の免許返納&事故問題については「そうだなぁ、80歳はまだ平気、90歳もいけるのかな? 想像つかないけど、自分で危険だと思ったら潔く免許は返納するよ。確かに僕はジジイだけど、高速周回路での最高速アタックは自分以外には任せられない。あれは独特だからな。多分、死んじゃうよ。僕は、ドリフトの練習を通して運転の勘や反射神経の鍛錬もしているつもりだし、生涯現役を貫くために努力を続けているかな」とのこと。

Daiがかつてプロデュースした180SXベースのコンプリートチューンド“

現在でもチューニングと走りへの好奇心は旺盛で、テストドライバーとして最高速ステージでの時速300キロは余裕の感覚、危険回避術の感覚でチャレンジしたドリフトにも積極的だ。そして、クルマが壊れたら自分で直す。

「運転してると疲れが取れるんだよな」とはDaiの弁。クルマとの接し方が、常人では理解できないほど濃密なのだ。

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