「伝説の名機“RB26DETT”誕生秘話」第二世代GT-RはV6エンジンの可能性もあった!?

「RB26DETT」は量産型レーシングエンジン!

BNR32のエンジンはV6だったかもしれない

チューニング界はもちろんのこと、レース界においても最強の名を欲しいままにしたRB26DETTというエンジン。直列6気筒ターボというスペックそのものは決して珍しくはないが、数々の伝説を生み出し続けている稀代の名ユニットだ。そんな名機が誕生した背景を、今から30年も前になるデビュー当時の記録と記憶から振り返ってみることにしよう。

第二世代GT-R(BNR32型)を誕生させるにあたり、日産は国内外のライバルを軽く凌駕する高性能を求めた。さらに、当時隆盛を極めていたグループAでの勝利、これもまたGT-Rが達成しなくてはならない絶対条件だった。

世界一のロードゴーイングカーの心臓であり、GT-Rの名に恥じない速さを身に付けるためには何よりもエンジンを決めなければ基本レイアウトが決まらない。だからこそ、RB26DETTの開発はGT-R復活(BNR32誕生)における大きなキーポイントに位置付けられ、当時の開発陣の中でも飛び切りのメンバーが集められることになったのである。

VG系か? それともRB系か?

当時の記録によると、GT-Rに搭載されるエンジンはノーマルの目標性能を300psクラスに定め、V型6気筒と直列6気筒のシリンダーレイアウトが異なる2種類で比較検討されたという。というのも、当時の日産にはV6のVG系と直6のRB系という2つのラインナップが存在していたため、どちらを選ぶことも可能だったからだ。

これら2つのエンジンをあらゆる角度から検討した結果、高回転域はクランクの短いV6が有利だが、バランスの良さと気持ち良いフィーリングなら直6にメリットがあると判断。さらに、グループAで勝つために必要となるターボ化にあたっても、V6は吸排気のデザインが難しく、直6の方がスペースに余裕がある。このような経緯から直6というシリンダーレイアウトが決定されたのだ。

次に排気量。エンジンの総排気量を決定するにあたって、最も大きなファクターとなったのはやはりグループAの存在だ。当時のグループAレギュレーションは排気量によって最低重量が変化し、日産ではレースで有利な最低重量となるのは2.3Lと2.6Lだと考えていた。

そして、ハコスカのような常勝マシンとなるためには600psクラスのパワーが必要であり、その出力を2.3Lの排気量から安定して引き出すのことは難しい。そうした理由から、必然的に2.6Lという排気量に決まったのである。 

量産型市販エンジンの異端児

意外に感じる人もいるかもしれないが、RB26DETTは完全な新設計ではなく、すでに存在していた輸出用のRB24エンジンブロックをベースとしたものである。RB24のボアを86mmに拡大し、ストロークを73.7mmに延長して2568ccという排気量を実現したのだ(※RB30をスケールダウンしたものではない)。

ただし、ブロックにはオーバー600psを想定した補強リブが加えられているため、RB24とは別次元の強度を有するブロックに生まれ変わっている。

なお、グループAレギュレーションではピストン交換が許されていたためノーマルは鋳造製となっているものの、耐熱性を高めるためにクーリングチャンネル&オイルジェットを実装。排気側バルブには、世界で初めて自己冷却性を持つナトリウム封入式も採用した。

さらに、ハイパワーに対応するためにヘッドボルトはサイズアップされ、クランクはフィレットロール加工が施された鍛造となっている。

グループA基準で開発された量産型レーシングエンジン

また、グループAレギュレーションではターボチャージャーの個数やサイズ変更が許されていなかったため、タービンは1基あたり300psの容量を持つものを2基使ったツインターボを採用。インタークーラーも、レギュレーションで交換が禁止されているからこそ、それまでの市販車とは全くかけ離れたバンパーダクトいっぱいに広がる超大型の前置きタイプを与えたのだ。

つまり、RB26DETTは量産エンジンでありながら、全てにおいてグループAのレギュレーションを意識した作り込みがなされているのが何よりの特徴。開発基準はグループAで勝つために必要なのか?というところに収束し、レギュレーションで交換が許されていない部分は市販車レベルを大きく超えるクオリティで仕上げられた。まさに、レースに勝つために設計されたエンジンなのである。

そもそも2568ccという排気量こそ、量産市販エンジンとしては愚の骨頂ともいえる設定。排気量500ccごとに自動車税額がアップする日本においては、税額の区切りである2500ccを超えた、たった68ccのために毎年の自動車税が高くなってしまったり、自動車保険料が高くなってしまう。こんな販売する上で大きな足枷になってしまうことが分かっている設定を、わざわざ行ったエンジンは他に存在しない。

しかし、ここまでの拘りを持って設計されていたからこそ、RB26DETTは誕生から生産終了まで大きな設計変更が行われずとも、グループAにおいて常に一戦級の戦闘力を保ち続けることができたのだ。そして、こうしたストイックな設計思想がいつまでも我々のハートを掴み続けている秘密なのかもしれない。

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