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ただ速いだけでは意味がない。幾年過ぎてもなお人々を魅了する記録やスタイル、魂に響くストーリーを持ち得たマシンだけが全てを超越して“伝説”へと昇華するのだ。ここでは最高速や筑波スーパーラップが激化した90年代後半から00年代初期にかけて活躍し、文字通り伝説と呼ばれるようになったRB26搭載の第二世代GT-Rを紹介していく。
VeilSide R1 STREET DRAG MODEL【BNR34】
語り継がれる、伝説の最高速戦闘機。
ニュージーランドの公道最高速レース『ラリーニュージーランド1999』で、時速346.2キロという金字塔を打ち立てた最強GT-Rにして、90年代の最高速ムーブメントに終止符を打った名馬だ。
手がけたのは、当時、無敵のパワーチューナーとうたわれた横幕代表率いるヴェイルサイド。心臓部は、GT3540ツインターボの導入を軸に徹底強化された、レブリミット1万2000rpmの1460ps仕様とされた。
二基のビッグシングルが大気中の空気を圧縮しきった刹那に産み出す推進力は強烈の一言で、同マシンの手綱を握った稲田大二郎は「次元を超えていた。RB26の出力特性とは到底思えない、空間が歪んでしまうほどの暴力的な加速Gが全身を貫くんだ。路面がドライだったら(レース当日は雨が降り続いていた)、間違いなく350キロは突破できていたはず。なんせ記録を出した時は6速ではなく、5速だったのだから…」と当時を振り返る。
JUN AUTO MECHANIC GReddy GT-R【BCNR33】
ボンネビルで238マイルを記録したイエローモンスター
1991年にZ32で叩き出した時速420キロという自己ベストを更新するべく、1997年のボンネビルに挑戦したソルトフラッツ攻略機。
TD06-25Gツインターボ仕様で1000psオーバーを発揮するハイスペックRB26ユニットの存在は、日本のみならず世界中のチューニングフリーク達を興奮させた。
本戦は、スコール直後で全くグリップしない路面やマシンセッティングに悪戦苦闘。それでも最終的に区間最高238マイル(383キロ)をマークし、記録更新こそ果たせなかったものの、アタッカーを務めた稲田大二郎に『200マイルクラブ』入会という“栄誉”をプレゼントしたのだ。
TRUST GReddy RX【BNR32】
戦い続けた蒼き弾丸
1989年にトラストのパーツ開発車両として生まれたRXは、2.6L+TD05-16Gツイン、2.7L+STSC(遠心式スーパーチャージャーとC9ターボを直列配置したツインチャージ)、2.7L+T78シングルターボ…と、走行ステージごとに仕様を変えながら熟成を続けたマシンだ。
最終的には840ps/11500rpmを繰り出す2.7L+TD06L2-20Gツインターボへと行き着き、ゼロヨン10秒570、最高速330キロオーバー、0-300キロ加速24秒68という数々の高記録を残した。
こうした戦いの遺伝子は、後に生まれてくるBCNR33ベースのGReddy RX S-ROCへと受け継がれることとなる。
BLITZ R348【BNR34】
アウトバーンで340キロオーバーを達成!
当時、ゲンバラポルシェが保持していた時速347キロというワールドレコードを打ち破るべく、1998年末にOPTION誌とブリッツが共同プロジェクトを発足。その果てに誕生したのが、ターゲットステージをドイツの速度無制限道路『アウトバーン』に定め、各部に最高速チューンを敢行したR348だった。
アタック(ドライバーは稲田大二郎)は1999年7月18日に行われ、6速8000rpm時に時速343.35キロを記録。
最速の座には一歩届かなかったものの、市販パーツのみで構成されたジャパニーズストリートマシンの躍進は、当時のチューニング業界に第二世代GT-Rの新しい可能性を証明した。
HKS ZERO-R【BNR32】
総合性能主義の芽生え
『欧州スーパースポーツを超える性能』というコンセプトの元、HKSが2年という長い歳月を費やし創造した、BNR32ベースの究極チューンドコンプリートだ。
ドイツのニュルブルクリンクで最終テストを行った後、アウトバーン(ドイツ)〜アウトストラーダ(イタリア)〜オートルート(フランス)を経由して、スペインのバルセロナを目指すという総距離2000kmに及ぶ壮大なヨーロッパ大陸ツーリングを敢行。
ピークパワー至上主義が主流であった当時のチューニング業界に総合性能主義を提唱し、日本のトップチューナー達に大きな影響を与えた1台である。
HKS T-002【BCNR33】
0-300キロ時代の王者
OPTION誌が企画した0-300キロ加速チャレンジで、頂点を極めるために開発されたスーパーチューンドがT-002だ。
全国のトップチューナー達がしのぎを削る中、T-002は920psまで出力を高めた2.7L+GT3037Sツインターボ仕様のRB26を武器に、当時“壁”と言われていた20秒を大きく上回る17秒64を記録(1997年3月号)。
以後、終焉までの2年間、70台近いチューンドが“打倒HKS!”を誓ってアタックを敢行するも、その高みに近づけたのはフェニックスパワーのワークスR(RX6BTCW77ツインターボ仕様のBCNR33:17秒76)1台だけだったのである…。
OPTION GT-R SPEED WAGON 【BCNR33】
これが正真正銘のGT-Rワゴンだ!
OPTION誌の1995年12月号から1997年5月号まで、約1年半に渡り連載された企画『GT-Rスピードワゴン』。デビューして間もないBCNR33をベースにワゴンを作る…。そんな壮大にしてメルヘン(!?)な計画を稲田大二郎が企て、タイミングが良いのか悪いのか、納車直後に追突されて悩んでいたチューニングショップ“トライアル”のBCNR33がドナーとなり、スタートした。
開発コンセプトとして掲げられたのは“世界最速ワゴン”。そのため、エンジンチューンはHKS、ボディメイクはシロマ、オーディオシステムは尾林ファクトリー、そしてエアロパーツはトライアルが担当と、各分野の超エキスパート達に協力を依頼。約1年という月日を経てソレは具現化された。
最終的には2.7L+GT2540ツイン仕様で637ps/65kgmを発揮し、最高速304.8キロ、ゼロヨン11秒89、筑波1分4秒452という記録をマーク。名実ともに、世界最速ワゴンの座を手中に収めたのである。
M SPEED GT-R【BNR34】
生粋の筑波レコードブレイカー
ジオメトリーを見直しコーナリングスペシャルとして生まれ変わった足回りに、外板のほとんどをドライカーボンで再構築した1230kgの軽量ボディ。そして、東名2.8L+AX53B60ツインターボで740psを発揮するRB26ユニット。
当時の先端レーシングテクノロジーをフル投入して戦うために生まれてきたMスピードGT-Rは、筑波スーパーラップで2002年からライバル勢と熾烈な頂上決戦を演じ続けたタイムアタックマシンである。
年を追うごとに進化を続け、2007年には54秒516というHKS CT230R(ランエボ)に続く歴代2位のタイムを記録。以来、筑波最速GT-Rとして長きに渡って君臨し続けたのだ。
amuse CARBON-R【BNR34】
天才チューナーの忘れ形見。
読者からの絶大な支持を受けながら、OPTION連載を通して誕生した奇蹟の作品だ。前後オーバーハング部をバッサリと切り落としたホワイトボディに、ドライカーボン製のワンオフボディパーツをふんだんに投入。
その他、アテーサ機構を撤去した本格的なFR化やブロックの贅肉落としなど、ありとあらゆるパートに手を入れることで、車重1123kgの超ライトウエイトボディを実現したのである。
手がけたのは、天才チューナーとしてチューニング業界を支え続けたアミューズ代表・田名邊さん(2008年に病気で他界)。彼が掲げていた“筑波サーキット57秒台”という目標は、2002年春のシェイクダウンから約2年後となる2004年4月に達成している。
AUTECH TSUKADA ATTKD GT-R【BNR32】
筑波戦線を湧かせた立役者。
筑波スーパーラップ界においては、異例なほど何年に渡る長期間の熟成を経て、タイムを更新し続けた独創のアタックマシンだ。2004年シーズンに、中速トルク重視の2.9L+GT2540ツインターボ仕様で悲願の筑波55秒入り(55秒907)を達成し、ランエボ勢がひしめく最速争奪戦に名乗りを上げたその勇躍は、記憶に残っている方々も多いのではないだろうか。
その後、ヘッドにVカム(可変バルタイシステム)を投入してさらなるタイムアップを狙うも、諸事情により車両が全損。同パワーユニットは、BNR34ベースのニューデモカーへと受け継がれ、新たなサーキットアタッカーとして再出発した。
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